角岡伸彦 五十の手習い

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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅰ

 今年2月に知り合いの研究者から、部落問題に関する英語の論文が学会誌に出ている、私の著書からも多数引用されているのをご存知か、という連絡があった。

 さっそくパソコンで検索し、辞書を引きながら読んだ。海外の論文が、即座に読める。便利な時代になったものである。

 一読し、雑な論文だなあと思った。強引な論理展開と、自説に合わさんがための都合のいい引用に、大いに違和感を覚えた。

 私は英語がそれほど読み書きできるわけではないので、知り合いを含めた研究者が、何らかのリアクションを起こしてくれるだろうと考えていた。

 著者のJ.Mark Ramseyer(敬称略、以下同)は、教授を務めるハーバード・ロー・スクール(HLS)のサイトに掲載された経歴などによると、1954年生まれ。宮崎県で育ち、高校まで日本の学校に通った。米・ゴーシェン大学、ミシガン大学、HLSで歴史学や日本学などを学び、フルブライト研究生として東京大学にも在籍した。UCLA、シカゴ大学で教壇に立ち、現在は母校・HLSに戻っている。エドウィン・O・ライシャワー日本研究所の研究員でもある。

 専攻は法律と経済だが、近年は日本の社会問題にも取り組み、部落問題のほか、いわゆる従軍慰安婦問題に関する論文も書いている。1990年には『法と経済学』(弘文堂)でサントリー学芸賞、2018年には旭日中綬章を受章している。

 部落問題に関する論文に、2017年に発表した、Eric B.Ramsenとの共著『Outcast Politics And Organized Crime In Japan:The Effect of Terminating Ethnic Snbsidies』(日本のアウトカースト戦略と組織犯罪 同和対策事業終焉の効果)、2019年に著した『On the Invention of Identity Politics :The Buraku Outcast in Japan』(アイデンティティ戦略の発明 日本のアウトカースト・被差別部落)などがある。

 このほかの関連論文も主旨はほぼ同じなので、本稿では主に後者を取り上げたい。本稿で表記する”著者”は、 J.Mark Ramseyer を指す。

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 私は研究者ではないので、日本語はもとより英語の論文を読むことは、ほとんどない。ではなぜ、わざわざ取り上げる気になったのか。 

 つい先日、3年前に公開された映画『否定と肯定』(監督:ミック・ジャクソン、主演:レイチェル・ワイズ)の同名の原作を読んだ(デボラ・E・リップシュタット、山本やよい訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2017年)。映画は申し分なく、それゆえ原作も買ったのだが、600ページ近くあったので、長いあいだ、手に取るのを躊躇していた。

 コロナ禍で時間に余裕があったので読み始めると、一気だった。著者は、ジョージア州にあるエモリー大学で、現代ユダヤ史、ホロコースト学を教えるユダヤ系の米国人教授。90年代半ばに、自著でホロコーストはなかったと主張する英国人の著述家デイヴィッド・アーヴィングを批判したら、名誉毀損で訴えられた。

 原作は、歴史修正主義のいかがわしさを浮き彫りにした裁判の記録で、被告側の焦燥や苦悩、勝訴に至る法廷戦略・戦術、ホロコーストの実態が、詳細に描かれていた。映画も素晴らしかったが、活字の情報量は圧倒的だった。

 原告はヒトラーの崇拝者で、ホロコーストはなかったという結論から議論をふっかける。毒ガスを噴霧した穴が実証されていないとか、ガスはそれほど威力がなかったとか、そもそも殺人用ではなかったとか、幾多の屁理屈を並べ立てるが、すべて反証される。

 裁判では原告が以前に講演で語ったビデオも公開された。ホロコースト生存者の実名を挙げ、「その入れ墨で一九四五年以降にどれだけ儲けたんです?」と語り、笑いものにしている。

 当初被告の米国人教授は、エセ知識人を相手にした裁判を軽視、敬遠していたが、和解案が持ち上がるに至ってそれを拒否し、裁判で闘うことを決意する。それにしても、よくもまあこんな薄っぺらな原告を相手に6年間も闘ったなあと感心した。感動といってもいい。

 私は長い裁判の記録を読みながら、部落問題の英語論文を思い出していた。歴史の恣意的な解釈という点で、ホロコースト裁判の原告と論文の執筆者は似ている。部落問題に関する英語論文も、やはり当事者の立場から、意見を述べておいたほうがいいのではないか・・・。映画の原作を読まなかったら、絶対にそうは思わなかっただろう。

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 私が取り上げようとする『アイデンティティ戦略の発明』は、参考文献も含めて、A4版で74ページにわたる長文である(少なくとも私にとって)。最後の「結論」(Conclusions)で、論旨が簡潔にまとめてあるので、その記述を追いながら、本文にも分け入ることにしたい。

<部落民は西側世界では注目されてきたが、誤解されている。基本的に西側の研究者や知識人たちは、部落の変化を見落としている。なぜなら彼らは、古典的な市場の域外にある社会行動の基本経済がわかっていないからだ。

 部落民は、アウトカーストではない。そしておそらく、かつてもそうではない。少ない例外を除いて、彼らは皮革に携わる職人の子孫ではない。貧農の子孫である>

 日本語がこなれていない部分は、私の翻訳能力の拙さゆえである。それはともかく、冒頭から、オレは何でも知っていると言わんばかりの高飛車な記述ではないか。

 文中の<アウトカースト>は、賤民という意味で使っているようだ。身分制やケガレ観を無視・軽視した貧農史観は、次の節を読めば、より理解できるかもしれない。

<1920年代に至るまで、部落は明確な犯罪者集団を形成した。部落の上層階級の若き知識人たちとともに、それら犯罪請負人は、巨大な架空のアイデンティティを求めてグループを形成した。マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の教えるところにより、部落民は皮革労働者のギルドの子孫であると宣言したのだ。部落の指導者たちは、祖先は容赦ない差別に苦しんだと主張し、不浄なギルドのメンバーたちに、本気で世間に対する反感をけしかけた>

 ここで述べられている<グループ>とは、全国水平社を指す。当時の犯罪者集団が、マルクス主義に影響されたというのだから驚きだ。それにしても、「犯罪者集団」「犯罪請負人」「架空のアイデンティティ」とは、なんとも剣呑である。以下、本文で詳しく内容を見ていきたい。

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 著者はこの論文で、部落民は犯罪者が多く、部落解放運動はその暴力を背景に、補助金目当ての打算で結成された、と主張している。解放運動の勃興は、1922年(大正11)の全国水平社結成だが、著者はそれ以前の部落の反社会的な状況についても、複数の文献から大量に引用している。

<何人かの著述家が注意深く、19世紀終わりから20世紀初めの部落に関するじきじきの報告を残しているが、最も鋭敏に描いたのは、おそらく賀川豊彦であろう>

 賀川は1888年(明治22)に神戸市に生まれ、1909年(同42)に、牧師として同市内の被差別部落に住み込み、のちに労働運動、消費組合などにも取り組んだ。自伝『死線を越えて』(改造社、1920年)がベストセラーになったが、それ以前に出版した『貧民心理の研究』(警醒社書店、1915年)の中で、部落民についても部分的に触れている。著者は賀川の同書から、部落民に関する三つの観察結果を引用している。以下、要点のみを記す。

 ①激しやすく、日常的に不正を働き、しばしば嘘をつき、周囲を信用しない②窃盗やギャンブルはどこでも見られ、ヤクザが個々のテリトリーを統制している。レイプは日常茶飯で、近親相姦がはびこっている。和歌山県の部落民の犯罪率は、部落外の3倍にのぼる(原典では3倍半)③家族構成が大きく崩壊し、夫婦は互いに騙しあっている。妻が娼婦であることもあり、これらの売春は珍しくない。賀川の追憶によると、通りをはさんだアパートに住んでいる女性が、外に飛び出して叫んだ。「誰か私を買わない?」。彼女は娼婦ではなかったが、生涯で10~13人の性的なパートナーがいた。

 賀川は自らが住んでいた神戸市内の部落の実態を普遍化する傾向がある。ギャンブルやレイプ、近親相姦は、多くの部落にあったことなのか、という疑問はぬぐえない。

 賀川の視線もさることながら、著者はその一部を抽出し、さらに普遍化している。賀川による三つの観察は、そのほとんどが原典で、ほんの1~2行触れられているだけで、探すのに往生した( 「生涯で10~13人」など 見つけられないものもあった)。

 賀川は同書で部落民を<一種特別の人種>で<彼等は即ち日本人中の退化種ーーまた奴隷種、時代に遅れた太古民なのである><殊に新平民が社会に対する偏狭な思想は驚く可きで、彼はいつも自らねぢくれて居る>などと記述している。眉をひそめたくなるレポートを<最も鋭敏に描いた>(most perceptive)と持ち上げるのは、どうかと思う。

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 部落の暴力、犯罪、乱交を描いたのは、賀川だけではないーー著者はそうたたみかける。

 全国水平社と日本共産党のリーダーだった高橋貞樹の著作『特殊部落一千年史』(更生閣、1924年)からも、部落民の”特殊性”が引用されている(「Sadakichi」ではなく「Sadaki」である)。

 著者は高橋が部落出身であると明記しているが、彼は後に水平社内の対立で、士族として排除されている。執筆者が出自にこだわるのは(部落民である場合、必ず明記している。間違いも含めて)、当事者もそう見ていると強調したいがためである。

 高橋が部落をどのように”描いた”か。著者の引用部分を原本『特殊部落一千年史』から引く。

<彼らはとかく猜疑心に富んで、いわゆる穢多根性なるものがある。貯蓄心がなくて、いつまでも貧乏である。犯罪者が多い。とかく団結して社会に反抗せんとする傾きがある。かような事実が改善できぬ限り、社会が部落を嫌うのは当然と言うべきである>

 論文では、この文章の前に、原典にはない”By instinct”(生まれながらに)を勝手に付け加えている。研究者にあるまじき行為であろう。 

 論文を読む限り、部落民で水平社と共産党のリーダーであった高橋が、部落をそのように見ていたと思うだろう。実はこの引用のすぐ前には、以下の文章がある。

<同情的差別撤廃の運動者は、部落の欠点について言う。部落の生活は不潔である。狭い屋内に密集群棲して非衛生的である。トラホームが多い>

 このあと、<彼らはとかく・・・>と続く。つまり部落の”欠点”に関する記述は、高橋が観察したものではない。<同情的差別撤廃の運動者>が主語である。したがって<穢多根性>も<社会が部落を嫌うのは当然と言うべき>も、高橋の言葉ではない。水平社は徹底的糾弾を掲げたので、融和主義者には批判的であった。

 引用の前の文章を読めば、高橋の見解でないことは瞭然だが、さらに引用した部分のあとには、次の文章が続く。

<私は、上のごとき部落の欠陥と称せられるものを否定はしない。われわれの社会群のうちには、この弊風悪風が少なからぬことを知っている。この弊がある以上、社会がわれわれに近づくを嫌悪するということも無理ならぬ話かも知れぬ。しかしながら、部落に、もしかような欠点が多いとするならば、そのすべては一般社会の圧迫がわれわれを駆ってこの風を敢えてせしめるものと言い得るのである。・・・(部落の欠陥は)一つとしてこれ貧窮と社会の圧迫とから醸されたやむをえざる情勢ではないか。教育程度の低きこと、これも部落貧窮の結果である>

 何度も出てくる<われわれ>という言葉をもって、著者は高橋が部落民と考えたのであろう。むろん、同志と考えていたからに他ならない。それはさておき、高橋は部落の暴力、犯罪、乱交を描いたのでは、断じてない。それらが生起した原因である貧困と差別を、厳しく世に問うたのだ。著者は恣意的な引用で、主語を勝手に変えてしまっている。

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 著者はこの論文で一貫して、部落民は自らの反社会性、暴力性を原資に、運動団体を組織し、国家や自治体から補助金を強奪した、と主張している。部落の暴力性は、いわば自論を補強する重要な要素であるらしい。どれだけ部落がひどいかを強調すればするほど、暴力⇒運動⇒利権という構図をきれいに描くことができた。

 自説に都合のいい部分だけをつまみ食いする悪癖は、このあとも続く。<2020・5・31>

登録カテゴリ: マーク・ラムザイヤー

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