来年3月12日には九州新幹線が博多・鹿児島間を走る。そして真新しい新鳥栖駅に一番列車が滑り込んでくる。
「新鳥栖、新鳥栖、新鳥栖です。鹿児島本線、長崎本線はお乗り換え、新鳥栖です。」とのアナウンスに違いない気がするが、さてどうだろうか?
この新鳥栖駅は平成12年12月に設置が決定したが、今ではそのことを記憶している人は少ないとと思う。
九州新幹線の基本計画では鹿児島・長崎ルートはそれぞれ博多を起点、終点としていて、長崎ルート上に新鳥栖駅が計画され、鹿児島ルートには無かったのである。
即ち、博多の次は久留米駅であったのである。
私は市長に就任して、まず第一の政治課題が“新鳥栖駅”を鹿児島ルート上に設置をすることであった。
はじめは時の政府、自民党、鉄建公団、どこに行っても冷たい話ばかりで全くダメと思うほど厳しい状況であった。
しかし世の中「捨てる神あれば、拾う神もあり」で要請を重ねていると、一筋の光が見え始めて来た。それは、関係者からの言葉の中にあった。
あの方に会ったら、あそこに行ったら、考え方をこう話したら等など、いろんなアドバイスを頂き、時間をつくり要請活動を続けた。一喜一憂の時が続き、一番多い時には一日半で関係者を80箇所以上廻ったこともあった。
最終的には鹿児島ルート上に長崎への分岐駅として“新鳥栖駅”の設置が決定されたのである。
平成12年12月17日政府と自民党の間で最終決定され、翌18日の新聞に九州新幹線鹿児島ルートに「新鳥栖駅設置」の文字が大きく掲載された。
私は思わず泣いたことを覚えている。
このことは、佐賀県の関係者のご協力は言うまでもないが、長崎県の関係者も大喜びであった。
何故なら、それは長崎ルートの着工を意味する大きな政治的意義があったからである。
新鳥栖駅から長崎ルートが分岐する、まさしく在来線と同様な役割を新鳥栖駅も担うからである。
そして九州鉄路上においても結節点として交通要衝の地として不動のものとした瞬間でもあった。
やがて完成間近なフリーゲージトレインが走る、これは世界に売り込める国際技術として評価されるものであり、わが国の列車技術は世界のトップクラス、その最先端の技術がやがて新鳥栖駅にお目見えする日も近いのである。
これからは新鳥栖駅の乗降客をいかに増やすか、いろんな方からアイデアを頂いている。
芽になりそうなものもある。
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