第1話 獅子王様、大陸を制覇する
「ゴルルゥ……(余は飼われたい……)」
切なげな吐息は、岸壁に打ち付ける荒波によってかき消された。
魔なるものが棲まう暗黒大陸。
ここでは弱肉強食こそが唯一絶対のルールだ。
強きは生き、弱きは死ぬ。
禍々しく雄々しい獣たちの、血にまみれた楽園だ。
強さだけが価値となるその大陸を、その日、一匹の獣が制覇した。
牙は大地を砕き、靭尾は空を断ち、咆哮は海を割った。
己こそが最強と信じていた百獣は、ただ一匹の獣の前にひれ伏した。
彼の者の名は、獅子王ベヒモス。
その圧倒的な力で、誰にもなし得なかった大陸統一を果たした怪物だ。
王は強靭な四肢を地に食い込ませ、断崖絶壁の先より雷雲がいななく海の果てを睥睨する。
「ガルル(陛下、大陸統一おめでとうございます)」
「ゴフルゥ(うむ、そなたらの忠誠あってこそよ。大儀であった)」
背後に控えた四足獣に、獅子王は労いの言葉を送る。
「ガル(いえ、我らの力など。全ては陛下の成されたことにございます。我らは只々、陛下に
忠臣は唯々諾々と獅子王の前に平伏した。
「ゴウルル……(……余はな。戦いに明け暮れた)」
「ガル(はい。勇ましいお姿でした。我らは貴方様の背を追って、ここまで駆けてまいりました)」
「ゴゥルル(ああ、駆けたな。駆け抜けた)」
大陸に覇を唱えんとする百の獣の国を、その武力を持って平らげた。
そうしてその後に何が残った?
「ゴルル……(何も。何もない。ここには、ただ疲れた我が身があるだけよ)」
重たく疲弊した王の言葉に、臣下たちに動揺が走る。
強く雄々しい獅子王がそのような事を呟いたのはこれが初めてだった。
「ゴウルル(余はな、よく遠くを見る。ここよりはるか西の果て、我らより貧弱なものたちが住まう大陸だ)」
獅子王の千里眼とも言うべき視力は、遥か彼方の大陸の出来事さえ、手に取るように見ることが出来た。
「ゴルル(そこでは、強さだけが絶対ではないのだ。強きものが力を誇り、弱き者は貪られる。それだけの世界ではないのだ)」
その世界にも争いがないわけではない。
だが、そこには強さ以外の、価値の多様性があった。
「ゴルル(余は憧れるのだ)」
獅子王の視線の先には、人と呼ばれし者たちの生活風景がありありと映っていた。
海を越えた先の大陸。大きな街の小さな家。
父が薪を割り、母が台所に立ち、子供が木の玩具で遊び、その様子を祖母が揺り椅子に座って眺めている。
そして、その膝に抱かれる老いた猫。
枯れた老婆の手で優しくなでられ、うとうとと微睡むあの姿に、獅子王は強く惹かれた。
「ゴルル(あれこそが余の理想の姿。余はあのようになりたいのだ)」
王の目には何が映っているのか。
千里眼を持たぬ臣下たちには、王の気持ちがわからない。
臣下たちには想像もつかなかっただろう。
彼らの獅子王は今、人間のペットになりたいと言っているのだ。
「ゴルル(我が第一の下僕、ギギムガルデよ)」
「ガウッ(はっ!)」
「ゴルル(余はしばしの休息を取る。慰安旅行というものだ)」
人間の生活を盗み見し続けた獅子王は、人間社会にも詳しくなっていた。
「ゴルル(余の不在の間、この地はそなたに任せる。出来るな?)」
「ガウッ!(はっ、一命に賭しましても! ……しかし王、いったい何処へ?)」
「ゴルル(西だ。余は西へ征く。新天地が余を待っているのだ)」
「ガウッ!(なっ! 征伐にございますか?! 然らば、我らも共を!)」
「ゴルル(ならぬ)」
「ガ、ガウッ……(し、しかし王に仕えられぬは臣下の名折れ……)」
「ゴルル(ならぬと言ったぞ、ギギムガルデよ)」
「ガ、ガウッ!(は、ははーっ!)」
顔面を擦り付けんばかりに平伏するギギムガルデには分からなかっただろう。
──我が飼い主となる者に、いきなり二匹も飼ってくれと言うのは、流石に傲慢がすぎるだろう。
いや、それよりも、余より先にこやつがペットに選ばれるかもしれない。なにそれ許せぬ。
などという愚にもつかない事を、自らの王が考えているとは、ギギムガルデは思いつきもしなかった。
「ゴルル(ではな、皆の者。誰も追ってきてはならぬぞ。余の不在の催事、しかと治めてみせよ。これはそなたらへの試練である)」
などともっともらしいことを言いつつ、獅子王はまだ見ぬ飼い主を夢見て心躍らせていた。
ぶっちゃけ、大陸へ戻ってくる気などさらさらなかった。
「ガオオオオオオオオン!!(征くぞ! まだ見ぬご主人様ァァァァァァァッ!)」
獅子王の魂の叫びは、咆哮となり、咆哮は灼熱のブレスとなって海を貫いた。
断崖の谷となった海底へ降り立ち、波が押し寄せるより早く、獅子王は駆ける。
「ゴルルルルッ!(余はなるぞ! モフモフナデナデペットに! 愛され飼い猫生活の幕開けでああああああああある!!)」
その日、世界最強の魔獣が、人の世に向かって解き放たれた。
それが何を引き起こすのか、分かっていないのは当の獅子王だけであったという。
怪獣がせめてきたぞー(´・ω・`)