自分に対して、あるいは他人に対して、冷静に現状分析を行うための俺的心得です。

やり方

自分に対して「いま余裕ないな」
人に対して「アレ?余裕ないなコイツ」
こんな風に思ったとき、分析の一助として「余裕がない」でなく、「緊迫感(何らかのプレッシャー)がある」と捉えて思考を進めます。

いま自分はどんなことで差し迫ったように感じているか?
何があって、どんな記憶やイメージが原因で、追い詰められたように感じてしまうのか?
そして、その緊迫は現状に対して正しい感想といえるか?ムダな勘違いではないのか?

他人に対しても同じ分析を行います。
いまこの人はどんなことで差し迫ったり、追い詰められているのか?
そして、その緊迫は現状に対しての正しい感想か?無駄な勘違いか?
その余裕なさげな態度を取る以外に、現状へ対処する方法は無いものか?

具体例

時間がない、急いでいる

「時間配分についての緊迫感がある」と捉える

・完全に使える時間がゼロは有り得ない
・事実として予定が詰まっているということか?
・時間の使い方は正確で正当なものか?
・その予定で自分の大事な時間を埋め尽くす必要が本当にあるのか?
・実際に確保できる時間はあるにもかかわらず、ムダに緊迫感があるというだけではないか?
・段取りがヘタクソな自分が悪いという事実から目を背け、焦るという感情に身を任せているだけではないか?

お金がない、金欠

「収支についての緊迫感がある」と捉える

・収入が少ないか?支出が多いか?
・支出の優先順位に問題はないか?
・生きていけるにもかかわらず、ムダにお金についての緊迫感があるというだけではないか?
・経済的に無能な自分が悪いという改善の源泉から目を背け、周りを責める快楽に身を任せているだけではないか?

友達がいない、さみしい

「人付き合いの緊迫感がある」「メンタル・コントロールについての緊迫感がある」と捉える

・コミュニケーションする相手がゼロはあり得ない
・友人の選定基準が自分勝手すぎないか?
・人のことを嫌いになりすぎではないか?
・そもそも友達なんて本当に欲しいと思っているのか?
・友人と呼んで差し支えない人が存在するにもかかわらず、ムダに緊迫感を発表しているというだけではないか?
・人と折り合いをな自分が悪いという事実から目を背け、さみしいという言葉に身を任せているだけではないか?

──

以上です。

「余裕がない」「緊迫感がある」コレ言ってしまえばどっちも同じことなんですが、表現方法を変化させるだけで観点が増えて、より多角的な分析ができるようになります。
周りの余裕がない人のことや、自分が過去余裕がなかったときを思い出して、新たな分析ができそうか、試してみてください。という提案でした。

**

メンタルSEの愛と勇気100%ブログでは、少しでもあなたのより良い人生に貢献できるよう、俺的心得の投稿を行い日々あなたに新しい提案を行います。
Twitterでは投稿時の通知も行っていますので、よければこの青イルカをフォローしてあげてください。Twitterアカウントはこちら

自分に対して、あるいは他人に対して、冷静に現状分析を行うための俺的心得です。

やり方

自分に対して「いま余裕ないな」
人に対して「アレ?余裕ないなコイツ」
こんな風に思ったとき、「余裕がない」じゃなくて「緊迫感がある」と考えて分析を始めます。

いま自分はどんなことで差し迫ったように感じているか?
何があって、どんな記憶やイメージが原因で、追い詰められたように感じてしまうのか?
そして、その緊迫は現状に対して正しい感想といえるか?ムダな勘違いではないのか?

他人に対しても同じ分析を行います。
いまこの人はどんなことで差し迫ったり、追い詰められているのか?
そして、その緊迫は現状に対しての正しい感想か?無駄な勘違いか?
その余裕なさげな態度を取る以外に、現状へ対処する方法は無いものか?

具体例

・時間がない、急いでいる
⇒「時間配分についての緊迫感がある」と捉える
完全に使える時間がゼロは有り得ない
事実として予定が詰まっているということか?
時間の使い方は正確で正当なものか?
その予定で自分の大事な時間を埋め尽くす必要が本当にあるのか?
実際に確保できる時間はあるにもかかわらず、ムダに緊迫感があるというだけではないか?
段取りがヘタクソな自分が悪いという事実から目を背け、焦るという感情に身を任せているだけではないか?

・お金がない、金欠
⇒「収支についての緊迫感がある」と捉える
収入が少ないか?支出が多いか?
支出の優先順位に問題はないか?
生きていけるにもかかわらず、ムダにお金についての緊迫感があるというだけではないか?
経済的に無能な自分が悪いという改善の源泉から目を背け、周りを責める快楽に身を任せているだけではないか?

・友達がいない、さみしい
⇒「人付き合いの緊迫感がある」「メンタル・コントロールについての緊迫感がある」と捉える
コミュニケーションする相手がゼロはあり得ない
友人の選定基準が自分勝手すぎないか?
人のことを嫌いになりすぎではないか?
そもそも友達なんて本当に欲しいと思っているのか?
友人と呼んで差し支えない人が存在するにもかかわらず、ムダに緊迫感を発表しているというだけではないか?
人と折り合いをな自分が悪いという事実から目を背け、さみしいという言葉に身を任せているだけではないか?

──

以上です。

「余裕がない」「緊迫感がある」コレ言ってしまえばどっちも同じことなんですが、表現方法を変化させるだけで観点が増えて、より多角的な分析ができるようになります。
周りの余裕がない人のことや、自分が過去余裕がなかったときを思い出して、新たな分析ができそうか、試してみてください。という提案でした。

**

メンタルSEの愛と勇気100%ブログでは、少しでもあなたのより良い人生に貢献できるよう、俺的心得の投稿を行い日々あなたに新しい提案を行います。
Twitterでは投稿時の通知も行っていますので、よければこの青イルカをフォローしてあげてください。Twitterアカウントはこちら

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterもあるよ!

おすすめの記事