続けて、診断後の気持ちの変化もまとめてみようと思う。
受診から診断まで
ようやくここまでたどり着けた安心感と、「違いますよ、普通ですよ」と言ってもらいたい期待が入り混じる。
診断された瞬間は、限りなく無に近い状態。なるべく平常心で、淡々と理解することに努めていた。それでも、完璧な母親になろうとしていた私は、表面上とても明るく、笑顔で、前向きに捉えるようにした。
診断後1(淡々と~万能感)
夫にも、周りの人へもなるべく淡々と、感情を織り交ぜず、「障害がある」という事実だけを伝えていった。そして、淡々とした気持ちとは裏腹に、私は万能感を抱き始める。「私ならこの子を上手に育てられる」という謎の自信を持つ。
私のもとに生まれてきた意味を見出し、なんとか自分の精神を保とうとする。自分の精神が限界に近づいていることに気づきもしない。
診断後2(万能感~闇)
万能感を感じていたが、一方で惨めに見られたくないという気持ちが強まり、新しい服を何着も購入。新しい服と、アクセサリーを身に着けて、オシャレしていく場所は療育。
この頃、療育がとてもうまくいったのか、癇癪やパニックが減り、私は少し楽になる。このままいけば、みんなに追いついて小学校にもスムーズに行けるんじゃないかと思い始める。
明るい先の見通しを話す私に、担当の医師は釘をさすように、「これからも問題は山積みである」という事実を伝えてくる。私はそれも淡々と受け入れたつもりでいた。
けれど、療育の帰りのエレベーターの鏡に映る私は、お気に入りの新しい服で着飾っているのに、とても惨めだった。鏡には、妙に着飾った、疲れた顔のおばさんがうつっていた。心の中に闇が出てきた。
診断後3(闇~病み)
療育が終了し、別の療育先になったが、まったくうまくいかない。息子の困ったところが目立ち、注意を受けることも増え、精神的に辛くなってくる。
時はコロナ。息子の障害など関係なく、精神的に辛い時期だった。
診断後から、私はすべて一人で抱えてきたが、自分の器では抱えきれないような気がしてくる。夫にも相談するが、夫はまだ他人事のようだった。
徐々に限界がきて、私は吐き出すためにブログを始めることにした。文字にすることで、一瞬、少しだけ楽になる。なんとかこれでバランスをとっていけるんじゃないか、と期待するも、それも長くは続かないことを知る。
診断後4(病み~鬱)
息子以外の悩みも重なり、完全に心と身体が限界を迎える。
日々の生活、家事、育児に支障が出始める。一人で過ごす時間は、何もしていないのに、心が不安に包まれて、涙が止まらない。笑えない。食べられない。眠れない。身体が動かない。
それでも、息子の前では涙は流さず、家事もいつも通りこなす。
が、いつもの100倍くらいの力を使って、なんとか。
と同時に、自分の発達の特性にも気づく。
そして遺伝であることを確信し、自分の浅はかさに嫌気がさす。
なぜ産んだのか。過去に戻りたいと願う。
完全に生きる意味を見失う。
限界がきて、とにかく動けなくなって。
初めて、ここで「息子の障害がつらい」と夫の前で涙を流す。
ずっと、「自分が頑張ればなんとかなる」と思っていたが、もうどうにもならないことを自覚。先の見えない不安で心が支配される。
それから、自分の心をだますことはもうできないと気づき始める。
診断後5(鬱~やや安定)
何日も涙を流し続けて、落ちるところまで落ちる。
ただ、一日は意外と過ぎていくもので。
何もしないわけにもいかず、生活する中で少しずつ復活。
だんだん日常に戻る。
が、気持ちはまだまだ不安定で、落ちたり、這い上がったりを繰り返す。
大きく変わったのは夫。私に押し付けていたことを反省し、少しずつ息子のことを一緒に考えてくれるようになった。
先の見えない不安でいっぱいながらも、できることを少しずつしていこうと思えるようになる。
それからは、情報を集め、息子の生きていく方法を探り始める。
診断後6(やや安定~今)
「普通」へのこだわりが私はとても強かったが、だんだん「普通」の意味を考えるようになり、少しずつ自分を見つめ直す。「普通」って何?と思う中で、「普通」を目指すことが無意味だと知る。
そして、息子なりの幸せを願う気持ちが出てくる。
でも、受容はほど遠く。
色々な場面で、やっぱり辛いと感じる。
モヤモヤ、ドロドロは日々心の中で生まれ続けている。
今思うのは、一番最初に私がすべきだったのは、
「息子に障害があるなんて、いやです!!」
と診断された場で泣き崩れることだったんじゃないか。
家族の前でも、「辛い」「悲しい」って言ってもよかったんじゃないか?
自分の気持ちをもっと素直に感じて、
率直に出せばよかったし、
そうすればもっと私自身も支援を受けられたのかもしれない。
淡々と、冷静にしていたことが、
「あなたなら大丈夫ね」という励ましとなって、私を追い詰めていったように思う。
今もまだ、全然受容できないけれど。
全然受容できない自分に気づいて、その気持ちを閉じ込めようとしなくなったことが、私のとても大きな成長だと思っている。
障害なんていやだ。辛い。ないほうがいい。
今は、そういう負の気持ちをやっと認めた状態。
そこまで進んで、今はちょっと気持ちが楽になった。
どこかに閉じ込められていた、本来の自分が
やっと出てきたのかもしれない。
障害なんて、嫌だけど、仕方ない。
その中で生きていこう。