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「紅の豚」のあらすじ
婚約するたびに相手を戦死され、そのジンクスに恐れ、身を寄せたい豚に対し「友人」を越えられない、 シャンソン嗜むホテル支配人のジーナ。一方、そのジレンマに一つも気付かず、戦死したジーナの婚約者との友情を大切にするあまり、彼女に惹かれる気持ちをタブー化、一生を喪に服すように生きるが世間には道徳心薄い飛行艇乗りの豚、ポルコロッソ。
まるで「賢者の贈り物」のようにすれ違いながら寄り添う2人に割り込む、若き設計士フィオと、キザな賞金稼ぎだが、この二人もどたばたな因縁で不意の縁を結びそうになる。それを食いとめようとする主人公の豚だが、なぜ止めてるのだろう、と不満げだがまんざら悪くもない。それどころか、その決闘で自らが持つ矛盾や行動モチベーションすべてを一度に総決算してみせる。それは、フィオの望まない婚約解消ためではることはもちろん、借金返済、不意打ち決闘のリベンジ、ジーナに求婚したカーチスへ復讐、戦争ではない飛行艇乗りの美学を貫き、今も天空を彷徨う魂を弔うこと−−。
しかし、このすべての動機がひとつに詰まった大フィナーレだったが、夢中で戦っているうちに、あれだけ頑なだった「飛ぶ豚」のポリシーをいつの間にか捨て、空はおろか、海抜より低い場所で拳で殴りあっているという…;。その結果、醜いがもっとも人間らしい素の豚が自分を振り返り、自ら縛っていたトラウマから解放され、ジーナと結ばるという、見るたびに発見がある、前期の子供向きジブリでありながら後期の大人向きジブリテイストたっぷりの傑作アニメだ。
最期まで語られない多くの謎
このアニメには後期ジブリにありがちな、最後まで語られない謎が数多く含んでいる。一覧にあげると
謎 | 解釈 | ||||||||
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ポルコはなぜ豚になり、おそらく、人間である自分は戦友と共に死んだ、と自分でかけた自己暗示、思い込み。この変身で人間と関わらず、ジーナとも結婚できないことを暗示。彼女を悲しめない自分に安心している。 | ポルコはなぜ政府に | 豚だから追われているようだが、フェラーリンの説明だとそうでもない。国家は豚のような生き方を奨励しないどころか、思想犯、悪人の標本として晒そうと目論んでいる。多種多様な人種や文化を受け入れない偏狭な時代の到来を予感させている? | 気絶したポルコが雲の上でみた | 飛行への情熱と反戦的なメッセージ?アニメが始まる前のタイプライターシーンと共通して、人種を超えた平和的な暗号を感じ、自然に心に溶け込み説教くさくないところがいい | フィオの何がポルコに | フォオの言う通り「空と海が飛行艇のりの心を洗うから」だろうか。ジーナに対してはポリシーを貫く豚も、フィオの前ではポリシーに縛られた自分を次第に解かれているように見える。人生哲学でガチガチになった豚を破天荒な行動で次第にほぐされていった。 | カーチスは俳優になり、 | 決闘の後のセリフから、カーチスにも心の変化がある。俳優の夢を実現したあとも、フィオに手紙が届いているし「正式に申し込む」との最後のセリフが暗示していることは、まさか… | |
「紅の豚」名セリフ一覧
セリフ | 感想 | ||||||||||||||
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飛ばねえ豚は、「豚」という言葉に、中年、男、非凡、おそらく人によっていろんな意味を感じ取れる。つまり豚とは自分自身に聞こえる。 | 仲間はずれを作っちゃ | 空賊マンマユート団のボスのセリフ。なるほど、飛行艇が好きで戦争向きではない少年のような大人、って性格が、オープニングの一言でガラリとアニメ全体の空気を決定づけている。もしかして空賊たちは、生活のために空のギャングをしているんじゃなくて、空を飛ぶためにギャングしているんじゃないかと。この場面で面白いのは、いつも子供が主人公であるジブリ作品のなかで、「紅の豚」はただ一つ中年男性が主人公で、話の全般をオヤジが占めている珍しいアニメだ。そこで唯一ちいさな子供が登場するこのシーンだが、「おしっこ?そのへんでしなさい」と、コミュニケーションが通じにくい不条理な存在として子供が描かれているところが、宮崎駿からみたもう一つの子供への視点を見ているようでユニーク。 | 女がなんだ!世界の半分は女だ! | 確かにそうだが、まるで世界の半分が自分の候補になりうるほどモテるニュアンスが含まれているし、この歳までフラれ続けている自分への苛立ちも感じ取れて、くすっとなる名セリフ。 | 飛行艇乗りは | 政府から豚扱いされているのはポルコだけではなく、自由に空を飛び回っている空賊も世間から取り残され、徴兵拒否で非国民視、偏見視されていることだろう。救いのない彼らをこの熱いアジテーションで、「フィオ団」ができてしまう空気になりそうなほど一変させてしまった。一方、アジ一つで群衆心理を逆戻りさせてしまうという、どこか独裁者の登場する時代を予感させて豚の笑いも歪む興味深い一場面。 | きれい… | 続いてポルコが言う「お前が言うと違って聞こえる」とセットかもしれない。「違って」ということはポルコにとっては世界はきれいとも、信じる、とも言えない場所。世界がきれい、だなんて絶対受け入れられない言葉だが、フィオが言うと真実に聞こえ、ポルコの心の中で何か変化していることを証拠付けている。 | 意地も見栄も無い | 見栄は男の悪い点だと思っていたが、フィオがいうと違って聞こえる。 | 婆ちゃん、 | おそらく旦那は戦死しているので、そろそろ天国で旦那に会いに行きたいが、大きくなる孫にお小遣いをあげたいと長生きするおばあさん向けて言った豚のセリフ。ピッコロのいう「女はいいぞ。よく働くし、粘り強いしなあ」にもある通り、このアニメの女性たちは集団で戦争を乗り越えている点で、一人できれいな俺哲学を守るポルコとは対照的。 | ここでは | 暗に「あなたは単純」と言っている。きれいな人がいたら口説く。ライバルがいたら撃ち落とす。そんな人が俳優や大統領になる動機を、名声のため、と訴える。無邪気な男の子っぽくて愛嬌のある夢だが、フランス映画の恋愛ように入り組んだこの映画の駆け引きの前では、軽薄なことこの上ない。 | |
「紅の豚」の主人公、MarcoのMは?
そして最後に。
「マルコ」は人間時代の旧名で「ポルコ」が豚時代の名前ですよね。
PorcoはポークのPだとしたら、MarcoのMは?
やっぱり作者でしょうか?
このアニメに自伝のような空気感が漂っていると感じるのは自分だけではないはず。
飛行機雲のに向かうたくさんの国旗マークから、時代は違えど日本を意識してしまうのは僕だけでしょうか?イタリアとナチスドイツの同盟国だった日本。赤の豚(コミュニズム)の影響を受けながらも、日米同盟で翻弄される日本を憂慮しつつ、日本人としての宿命を背負う道を選んだ。そんな、のちのジブリアニメ「風立ちぬ」を出した宮崎駿監督本人のアイデンティティー確立までの葛藤を描いている映画と見受けました。
(このレビューは2005年04月29日にmixiの「紅の豚」コミュニティに投稿した文を訂正して再掲したものです)
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