事件現場からすぐの楽屋出入り口を開けたら、ショー直前のDが大勢いて…
というところから話が展開する。
現場に落ちていたヒールの持ち主は、ショーのリーダーである黒人男性。
・・・・・よりによって黒人男性。
あ の さ 。
ミンストレルショーを、黒人の彼が肯定するわけないよね。
女性に対してそれをやっていると、黒人の彼がなぜ気づかないんですかね!!!!!
知ってるけど。
「男性は人種問わず人間で、女性は人種問わず人間じゃない」
が無意識の本音だからですよね!!! あーーームナクソ。
※「彼」と書いているが、無論、抗議は脚本ならびに制作陣に対してです。
幕が開き、ショーが始まる。
ごつい体にカツラ、化粧、スパンコールのドレス、ハイヒール。
その落差がショーの肝でさ・・・・
あーやっぱり「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」がやってることはこれだ。
レディビアードの「ビアちゃん5歳」もこれだ。
嫌って大正解。
★以下、ドラマ限定でなく女装全体の話。
女性に規範として強制する記号を、
男が身に着けて偽装を図ったり、落差で笑いを取ったり、
どちらにも「ふざけんなおい」としか言いようがない。
※GIDのTSについては言及対象外です。
一番おかしいのは、作り物の乳房をつけること。
化粧、ドレス、ハイヒール、カツラ、これらは装飾で、
乳房は人体の一部なんですけど。
人体の一部が装飾ですか?
これを、なぜおかしいと思わない。
おかしいと思わないことを、おぞましいとなぜ思わない。
※カツラも「人体の一部である頭髪を着脱する」のでおかしいはおかしいのだけど、
日本の芸者がカツラ、役者特に時代劇でカツラ、バロック時代の男がカツラ、等々が存在し、
「頭髪は性別問わず伸びる、その装飾を着脱にして手間を省いたもの」と考えれば、
カツラはまぁいいか、というところ。
ただし、男が「私は女」と言って着脱するのは「都合いいなオイ」と思う。
【女性の肉体の一部】を身につけるのは、
はっきり言いますよ、
「羊たちの沈黙」の連続猟奇殺人鬼の感性に近いです。
ディズニー映画「モアナ」を題材に、
ポリネシアの刺青をハロウィン衣装に商品化された時、
批判が殺到したでしょ。
人間の皮膚を剥いで纏うのと同じことをしている、と。
「刺青衣装」を「人間の皮膚を剥いで纏う」と感じる・見なす感性があるのに、
「乳房衣装」にそれが働かないのは、何なんですかね?
まぁ想像つくけど。
「作り物の乳房を装着する男」は少数でも、
「作り物の乳房を玩具(食べ物含む)にする男」は大量にいて普通扱いされてるし、
「本物の乳房を玩具(卑猥な冗談含む)にする男」は全員じゃないですかね。
乳房が「人体の一部」である事実は、
乳房が「オレたちの楽しい玩具/オレたちを惑わす()エロいもの」
のフィクションの前に、消し飛んでいる。
成長期に痛みを感じやすい、揺れで痛い、重い、
月経周期で張る、授乳で痛い、
そういう身体の事象と感覚はまったく存在しないことにされて、
「オレたちのモノ」に勝手にされてる。
Dが乳房を「衣装として装着」するのも、同じ次元ですよ。
それのどこが「内面は女性」ですか。
※病気や事故で失ったものを再建する/装具をつけるのとは全然違う話です。
★ここからドラマでの描かれ方。
トイレ
件の彼、男性用に迷わず入る。まっとう。
彼/彼女
最初は「女装男性→彼」が、途中から「内面が女性→彼女」。あーあ。
「男性トイレに入る女性」って何。
加害者全部男
Dが怯える暴力の主は男。
細身で非マッチョの青年に加害したのは
・権威主義でマチズモの父
・暴力的な同年代の男
・保護者ヅラした支配的暴力的な男
結局マチズモで終わる
上記非マッチョの青年はDの世界で生きることにする。
彼がショーデビュー、「虹のかなたに」を歌う場面で終わる。
いやいやいや、だから、だから「非マッチョは女性」ってやめれや!!!!!
メディアが示すべきメッセージはこっちでしょ。
男たちは暴力やめろ、「マッチョ=男」と思い込むのやめろ、
マッチョも非マッチョも「ありのままで」尊重されるべき、すべき。