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2016年6月10日 (金)

エッサッサ

日本体育大学由来の演舞「エッサッサ」を、この33年間学校の伝統として受け継いでいる。

学校では体育大会が近づくとこの練習の掛け声が響いてきて、期待が高まって行く。

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今年の体育大会は少し肌寒さを感じる梅雨空だったが、トリの15時には数百人の見物者が集まった。

そしていよいよ太鼓の合図とともに、校庭の四方の隅から男の群れが押しかけてくる。

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校庭一杯に整列展開し、獅子が天空に向けて吼えるかの様にエッサッサの雄叫びを上げる。

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その若者達の力溢れる躍動感は、勇壮でありなおかつ将来への心意気さえ感じさせる。

500人程の男子生徒一人ひとりには様々な思いがあるだろうが、それはそれ青春の一駒として貴重なものであるはずだ。

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つまり、誰でも自分の人生の主役は「自分」だと思っている筈である。

殊に自分の主張や意志を何より大切にする近代では、無私であるのはむしろ難しい。

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服装や趣味、聴く音楽だって人によって異なっていて、共通項がドンドン少なくなっている。

しかるにこの群舞の中では、誰もが1/500の自分を演じているのだ。

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そうして現実の社会だって、理想とは裏腹に自我の露出過多は摩擦を生み出すだけだ。

世の中の動きも必ずしも個人の意図通りではなく、個人を越えた大きな力で動いていく。

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人生の主役は、実は「集団の中の一人である自分」なのである。

そうして私達は、何気ない他人の一言や顔に浮かんだ薄笑いなどを気にしつつ、

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大局よりも実は小さな関心事に翻弄されつつ暮らしている。

だから500人もが上半身裸で一糸乱れぬ行動をするなんで、もうそれは人生の一大事じゃなかろうか。

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ともあれ、私達は明日我が身に何が起るかを知らないで生きている。

知らない未来だからこそ、明日は生きるに値するのだろう。

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何故か今年の群舞は、そんな思いを湧き起こさせるエッサッサであった。

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