◆作者さくらももこさんの死 ネットを通して広がる
小学3年生、まる子の日常生活を描いた漫画「ちびまる子ちゃん」の作家、さくらももこさんが8月、53歳の若さで亡くなった。70年代に小学生生活を送った私にとって、まる子ちゃんは身近な存在でもあり、同世代女性の死に大きなショックを受けた。(玉本英子/アジアプレス)
ちびまる子ちゃんは、私が取材するイラクでも大人気だった。アラブの衛星テレビ局で放映されていた10年前、小学校の女子児童たちはアラビア語の番組主題歌を歌えた。黒板にまる子ちゃんの顔を描いてくれた子もいたぐらいだ。さくらさんの死を伝えるニュースは、イラクでもネットで広がった。
現在、バグダッドの人道支援機関で働く、女性ヌーフ・アッシさん(29)が連絡をくれた。「まだ若いのにさくらさんの死は悲しすぎる」。
◆フセイン政権時代にイラクで放映 人気番組に
ヌーフさんはアニメ「ちびまる子ちゃん」の大ファンだった。彼女が番組を見たのは90年代、小学生の時だ。当時、イラクはフセイン政権下で衛星放送もなく、テレビは政府系の2局だけ。そのうちのひとつ、フセインの長男ウダイ氏が運営していた娯楽系のシャバーブ(青年)テレビでは、キャプテン翼、グレンダイザー、ちびまる子ちゃんなどが放映されていた。ヌーフさんは、まる子に夢中になった。
「正義の味方でもない普通の子。お調子者で明るいけれど、小さなことで悩んでいて失敗ばかり。でも、心優しい周りの人たちが助けてくれる。当時の私にそっくり」。午後3時の放映時間は必ず家にいたという。
ヌーフさんは2人姉妹で、お姉さんに甘えていたところも重なった。祖父母はすでに亡くなっていたので、優しいおじいさんのいる、まる子が羨ましくてしかたがなかった。
「日本のアニメと知って、母に日本のことで質問攻めにした。見かねた父が日本についての本を何冊も買ってきたこともあった」と懐かしむ。
2003年3月、中学2年生のときにイラク戦争が始まった。「大量破壊兵器を保有」を理由に米英軍などがイラクへの攻撃を開始、バグダッドへの空爆が行われた。学校は休校、防空壕の破壊が続いていたため、中心地から少し離れた叔父の家に身を寄せた。それでも夜になると、大きな爆発音が響き、恐ろしさに体が震えた。政治のことなど何も分らなかったが、戦争だけは絶対に嫌だと思った。
◆「平和というのは、まる子ちゃんのような普通の生活をおくること」
その後、高校、大学を出て、ヌーフさんは6年前ラジオ局で働いた。番組のパーソナリティーを勤めたとき、大好きだったまる子ちゃんについて話したことがあった。すると、多くのリスナーから、私も、私も、と放送中に続々電話が入った。「テレビではドラマもアニメも暴力的なシーンばかり。ちびまる子ちゃんのような子ども目線の面白い番組がないのが寂しい」との声もあった。
現在、イラクでは過激派組織「イスラム国」(IS)の弱体化が伝えられるが、不安定な状況は変わらない。
ヌーフさんは言う。「平和というのは普通の生活が続くこと。まる子ちゃんのような日々の暮らしをイラクのみんなができることを願っている」。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年10月2日付記事に加筆修正したものです)