45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
それどころか仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
元ニートの高卒45歳。多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
理不尽の例1)
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
理不尽の例2)
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
パワハラ1)
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。
パワハラ2)
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
月350って、毎日12時間勤務の休みゼロ?
仕事のための勉強はしてねーな ただ趣味がいつのまにか仕事にもなってたんだ
興味深く読ませていただきました。
おつかれさまでございます
人に歴史あり……
モニタにこびりついた、偉大な魂に敬礼
また一人の増田が集合意識に同化されてしもたんやな……
これが派遣SEの実情とは言えないのが、SI関係の派遣が闇深い所である。 初任給が300万以降上がらないままの45歳派遣SEの人もいるし、非人道的な扱いを受けて増田にも書けない死にかけ...
In Japan, the salary is about 200 million yen, which is less than 300 million yen.. En Japón, el salario es de menos de 300 millones de yenes. El salario de los japoneses es de unos 200 millones de yenes.
後世に伝えたい増田文学
この業界から足を洗おうかと考えている。 休日に勉強したことは、1年目だけかな。 割り当てられる作業量が少なくて、 1日の半分近くはぼんやり過ごすことが多い。 この仕事量でこの...
もっとくれと言えばいいんでは
『他にも』をnoteとかに書いてほしいなあ 有料でも読みたくなってしまうわ
この脈絡の無さが、本当にプログラマ向いてないなーという感じ。
便所の愚痴に脈絡求めるなよ・・・
大卒の育ちの良い中国人派遣技術 2000年代の前半だがこういう人は本当にいた。 めっちゃ優秀でなおかつ努力家だった。 しかも、言葉の壁を超えてですら、なので。 今でも彼らには頭...
ちなみにその頃きた人たちと一緒に日本で働いているけど、日本は好きだけど大嫌いな人多いね。
2000年初頭にいたね。 別の部署だったからあんまり詳しくは見ていないんだけど、 Effective C++の中国語訳っぽい本を机の上においていたな。
最初のエピソードから「こんなところに書いてないで本にしろよ」ってクオリティだったが、まだまだネタあるのかよ
https://anond.hatelabo.jp/20210130001953 が支持集めてるけど、お前らって派遣プログラマなの? 正直部外者から見てると、なんでそんな仕事十数年やってんだ?と思う。2,3年目くらいで、愚痴を...
この怠け者さはプログラマに向いていると思う。 理不尽でも仕事をちゃんと終わらせているんだから。
IT系でかつブラックな環境で働いてる人の日記はなぜかみんな文章が上手い気がする 同じ人物なのか?
思考が合うだけだと思うよ プログラマーに向いてるよ
この人はすごいけどどう考えてもこんな業界は間違ってる 激務でめちゃくちゃいい仕事してるんだったら美談にもなるけど、これ違うんだよね 開発効率が絶望的に悪くて、プロジェクト...
トラブル対応が一番勉強と言われてるんだよな。なんでも勉強ですますなよーとは思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。 ライブやイベントに行くのは構わないが、それを「投資」と称するのは なんだかな。
何だかんだ言って、オタク趣味に少しだけ救われてるのが、デカいみたいだな。 私も同じ。 日々の穏やかさのために、少し安い仕事してるけど。
最後行こうと思えばもっと高い給料のとこ行けますけどみたいな一文入れるのとてもいい THE人間って感じ
前エントリが思いの他読んで貰えて「まぁ、こんなものか」と思っていた20数年の枯れたプログラマ人生に幾許かの水を挿して貰った気分になった。ありがとう。 続きを書いて欲しいと...
たまたま入ったチームが当時ワールドのとある地方を半年に渡り占拠することになるチームで、 数百あるワールドでこれを成し遂げたのはこのチームだけという実力あるチームだった...