【倭人=ウバイドの世界拡散(欧州編)】
- 2020/01/10
- 16:18
読者の皆様こんにちは
早速ですが、新型コロナウイルスの影響で経済は大きく低迷し始めています。
マスクから始まり、トイレットペーパーが無くなるというデマ騒ぎ。
飲食店もガラガラ状態、大きなイベントも自粛。
それを煽るマスメディア達。
私はもうマスクも外し、外出も思いのまま、飲食店にも平気で入っています。
それは、去年の今頃は会社に2~3人はインフルエンザで休んでいる人がいたのに対し、今年は一人として風邪、インフルエンザ、ましてや新型コロナウイルスで休んでる人などいないからです。
今回の騒ぎで、依然として人類は愚かなのだと、容易に戦争につき進む可能性が有るのだと改めて認識しました。
さて、当ブログでは、名無し先生に教わった事をWikipediaを引用しながら書いてきました
何故なら、インターネットにはWikipedia以外に正当性のある情報が無いからです
他のブログに書いてあることが事実と証明することはできません
しかし、 先生のおっしゃることは必ずしもWikipediaには載っておらず
また、私の解釈が間違っており、先生のおっしゃることがそのまま伝わらないことがありますのでご了承ください
時間を要することから、これからは極力Wikipediaを使わず
Wikipediaで裏付けをすることなく、淡々と書いていきたいと思います
が、それではあまりにも不親切なので、参照できるものは Wikipediaへのリンクを貼っておきます
尚、当ブログでは、ギリギリの表現でしかお伝えすることができません。
何故なら、名無し先生のお仕事の邪魔になるどころか、世界平和に大きく影響することになるからです。
信じる信じないはお任せいたしますが、先生との会話に基づいて今回の記事を書きました
それでは当ブログの再開となります
昔々、それは何千年も昔の紀元前2700年頃のこと
初めてオリエントを統一した、民族がいました
ここを起点とした民族を倭人=ウバイドと呼びます
ここから旅に出たアブラハムはカナンの地イェルサレムにたどり着き定住
紀元前1000年ごろダビデ、ソロモンで知られるイスラエル王国が分裂しユダ王国ができました
これらのユダヤ王国も紀元前500年ごろ崩壊
長い間オリエントを統一していた倭人=ウバイドでしたが、後にほかの民族に滅ぼされ欧州やインドへ逃れます
捕囚されていたユダヤ人も解放され、ここからユーラシア大陸全体に散らばりました
この後、ギリシャ、ローマ帝国というものを築くのもインドヨーロッパ大移動で散らばった人たちです
今回はまず、ヨーロッパ方面へ散らばった倭人=ウバイドの流れを見てみましょう
彼らは西に向かい、スキタイ、西ゴート族、東ゴート族、ブルグント、
いわゆるゲルマン人と呼ばれるようになります
現在のドイツ、ライン川流域を拠点としていた民族はフランク人と呼ばれていました
その後、紀元200年ごろにはローマ帝国の北部にフランク王国が立ち上がっていました
しかし、間もなく、天候不順が続いて乾燥により馬の餌である草がなくなった中央アジアのフン族の侵略を受けます
フン族の王、アッティラは負け知らずの王でしたが、当時、ローマ帝国や周辺の王国に侵攻しても兵隊に十分な給与が支給できないほど、当時のヨーロッパの王国は疲弊しており、財政的にも困窮していました。
アッティラは現在のフランス、ベルギーの地域、ガリアに攻め込みますが瀕死の重傷を負いフン族は衰退していきます
昔の何々族という集団は奴隷や他の族から寝返りした者やゴチャゴチャな人たちの集まりで、その集団の王が死ねば、またどこかの族に所属するようなものでした
フランク人を含むゲルマン人はローマ帝国とフン族のサンドイッチ状態になり、傭兵としてローマ帝国を守る用心棒のような存在になりました
ここからさらに北欧に移動したのがヴァイキングになります
他にもヴァンダル族とかスエビ族とかいろいろな種族がありましたが、すべてゲルマン人
ゲルマン民族はローマ帝国にも同化していきました
この一連の動きをゲルマン民族の大移動と呼びます
こうして、ウバイド=倭人はアッシュールからヨーロッパに散らばりました
その後、フン族が消滅
西ローマ帝国はゲルマン系メロヴィング朝フランク王国のクロヴィス1世による攻撃を受け消滅
その後、フランク王国が西フランク、中フランク、東フランクに分裂します
東フランクが後の神聖ローマ帝国になり、中フランク(ロタール王国)がイタリアになり、西フランクがフランスになります
ここにアラゴン、カスティーリャ(スペイン、ポルトガル)が入っていません
これらの地域にはカール大帝の妾腹の子供を送りました
カスティーリャ王国の財務長官の甥っ子がイグナチオ・デ・ロヨラ
アラゴン王国の財務長官の甥っ子はフランシスコ・ザビエル
こうしてアラゴン、カスティーリャ(スペイン、ポルトガル)にもフランク王国の流れができ、イエズス会ができました
全然無関係と思われていたフランク王国とイエズス会が繋がりました
Wikipediaを参照しても繋がらないのです
後にアラゴン、カスティーリャにいたイスラム勢力をレコンキスタで追い出し、1492年スペイン、ポルトガルができました
この年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達しました・・・
このスペイン・ポルトガルにもユダヤ人が付いて回るのですが、やはりいつの時代も嫌われ者です
アラゴン、カスティーリャ(スペイン、ポルトガル)の財務官僚はユダヤ人でした
しかし、世間のユダヤ人に対する批判が激しくなります
1492年、スペイン王家が国内のユダヤ人に対し国外追放令を発布した期限が8月2日
クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に向けて出航したのは8月3日
コロンブス出航の真の目的はユダヤ人の移住地探しでした、というか、コロンブスを探し、その気にさせたのがユダヤ人
コロンブス自身もユダヤ人とのハーフと言われています
どちらにしても、ユダヤ人がスペイン国王を丸め込み、アメリカ大陸進出の費用を捻出させました
アメリカ大陸探索船には裕福な貴族階級のユダヤ人が乗っていました
アメリカに着いたユダヤ人は、アメリカ先住民から鉱物資源の利権を奪いました
スペイン王国の金を使って
スペイン王国は出し抜かれたわけです
ちなみにアメリカ大陸の発見はコロンブスではなく、11世紀にレイフ・エリクソンが率いるバイキング遠征隊によるものです
植民地化はこの時始まりましたが、当時のバイキングには継続的にアメリカに航海できなかったのでしょう
話を戻しますが、早々に新大陸の利権を手に入れたユダヤ人ですが、スペイン国王も黙ってはいません
次々と兵を送り込みユダヤ人を追い出します
そのユダヤ人達が逃げて行った先が北米・ニューアムステルダム、現在のニューヨークでした
そこには既に西インド会社のオランダ系ユダヤ人が入植しており、スペイン系ユダヤ人は彼らと合流しました
一方のフランク側はイエズス会を使い南米、フィリピンといった国々の利権を手に入れます
そして本家は神聖ローマ帝国として1806年まで千年王国を築くのでした
800年 - 814年 カール1世(フランク・ローマ皇帝初代)
915年 - 924年 ベレンガーリオ(フランク・ローマ皇帝11代、最後)
962年 - 973年 オットー1世(初代)
1155年 - 1190年 フリードリヒ1世(第10代)
1355年 - 1378年 カール4世(第16代)
1508年 - 1519年 マクシミリアン1世(第17代)
1519年 - 1530年 カール5世(第20代)
1792年 - 1806年 フランツ2世(最後)
この千年王国の再現がフランク側の目的です
こうして倭人=ウバイドが西回りで世界に散らばりました
今回の記事で何が書きたかったというと、フランク側の人間がある分野での世界利権を握った経緯です
イエズス会もフリーメイソンもイルミナティもロス茶もロックも指先に過ぎません
以前、各通貨を発行する権利を有していた諸候が元資を持っていて、その一部が市場に出回っているだけだと云う事だと書きました
簿外の資金は利権から生まれ、ますます肥大しています
我々が日本企業だと思っている大企業は実はすでに外国企業、いや、ウバイド=倭人のものになっています。
このウバイド側が中国、日本、アジア全体、地球全体を包み込んでいるイメージ。
今回の新型コロナウイルスの騒動に見るように、彼らの思い通りに踊らされています。
その中にはユダヤ人もいれば、ペリシテ人もいれば、流れとしてはアッカドのウバイド=倭人なのです。
今回はここまで
次回はアジア方面に散らばった倭人=ウバイドについて書きます
それでは