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魔導具師ダリヤはうつむかない 作者:甘岸久弥
320/320

319.夕食と暴露大会

 屋敷の奥、グイード達が客室と呼ぶ部屋に通された。

 広い部屋の真ん中、大きな白木の温熱座卓が鎮座している。

 ドリノは入り口すぐで靴を脱ぐと、ふわふわとしたアイボリーの絨毯の上を慎重に進んだ。


「上着をお預かりします」


 部屋に入ってきたヨナスが、グイードと自分の上着を持つ。

 二枚の上着は、ドアの横、かけられた金属のバーに当たり前のようにかけられる。丁寧な客扱いが、どうにも落ち着かない。

 楽にと言われたが、薄いクッションの上、どんな体勢でいていいかもわからぬ。

 暖炉の薪のぜる音だけが、ひどく耳に響いた。


「ヴォルフ様もすぐいらっしゃいますので、こちらをどうぞ」


 赤エールとグリッシーニ――細くカリカリしたパンを出され、グイードが手をつけるのを見てから同じように食べ始めた。

 汗はほとんどかかなかったが、喉は渇いていたらしい。

 香りのいい赤エールは、ひどくうまかった。


「遅くなりました! 待たせてごめん、ドリノ」


 別に駆け込んでくることはないだろうに、そう思いつつも、ヴォルフが来たことにほっとする。

 温熱座卓の四角にそれぞれが座ると、給仕の従僕が皿を置き始めた。


 最初に置かれたのは、橙瓜だいだいうりと白っぽいハムが重なった皿だ。

 交互に食べるのかと思ったが、ヴォルフが同時にばくりといったので、それにならう。


 橙瓜だいだいうりは夏、兵舎でも食べることがあるが、こちらは完熟より少し早い。

 かといって青臭さはなく、しっかりした食感があった。

 薄く白いハムはスモークなしの熟成肉だろうか。塩みがあるのだが、橙瓜だいだいうりとの組み合わせはさわやかな甘さと塩みが最高に合っていた。


「うま……」


 抑えていてもついつぶやきが出た。

 別々の方がおいしいだろうにと思って、半信半疑で口にしたが、これは合わせていい味だ。

 皿に四つしか載っていないのが残念なほどである。


 だが、皿を空けてすぐ、白い湯気と芳香に気持ちは移った。 

 大きな白い皿の上、スープ皿が載るという上品な形で、金茶のコンソメスープが来た。

 具はわずかな青の刻み物だけ。だが、それを帳消しにする香りに、鼻をひくつかせたくなる。


「これで温まれそうだね」


 外は少々冷えた。温かなスープは確かに身体にしみる気がする。

 しかし、コンソメスープではあるのだが、実家の食堂の野菜スープとはまったく違う。

 まるで雑味がなく――おいしく、上品な味ではあるのだが、余計に空腹を感じた。


 続いてきたのは、家の漬け込み羊肉と牛のカットステーキだ。

 厚みのあるステーキの横、端の丸まった羊肉がちょっとだけ気になる。


「兄上、ヨナス先生、こちらがドリノの家の漬け込み羊肉です。おいしいのでぜひ!」

「この料理は初めてだ。頂くとしよう」

「遠慮なく頂きます」


 羊はお得用のお安く硬い肉。味付けは濃い目の塩と香辛料。

 下町庶民の代表のような一品を、グイードとヨナス、そしてヴォルフが食べ始める。


 丁寧に咀嚼するグイードに、一度咀嚼を止め、再び噛み始めるヨナス。

 頼むから無理して食べないでくれと言いたいが、ここでそう口にしていいものかわからない。


 頼みの綱のヴォルフを見れば、こちらはじつにおいしそうにもぐもぐと口を動かしている。

 考えてみれば、友は魔物討伐部隊の食事を耐えている上に、どちらかというと庶民舌である。


 自分も二種類の肉に口をつけたが、正直、味わうゆとりなどない。


「ドリノ君、これはまとめ買いできるだろうか?」

「はい?」


 突然のグイードの問いかけに、声が上ずった。


「しっかりした味でおいしいので、家の者達にも食べさせたいと思ってね。樽入りと聞いたが、一樽で何人前かな?」

「ええと、一樽が四人前ぐらいです」

「そうか。じゃあ、二十ほど頼もうか。購入の申し込みは、お家に直接でかまわないかい?」

「はい、ありがとうございます」


 意図せず、実家の食堂の営業ができたらしい。ありがたく受けた。

 無言で固まる父親と、あわてる兄が想像できたが、とりあえず脇に置いておく。

 黙ったままで驚かせるのも面白いかもしれない――そんなちょっと黒いことを考えていると、どっしりとした皿が来た。


 白身魚のパスタがたっぷりと盛られたそれは、周囲が緑の葉物で飾られている。

 ヨナスの皿だけは薄切りの生肉だが、特に気にならなかった。


 パスタを銀のスプーンで口に運ぶと、たらかと思った白身魚は、たいだった。

 鯛の味を最大限に活かし、胡椒などは控えめだ。

 きれいな一口ずつの切り身、小骨一本ないそれに、流石貴族の料理だと感心する。食材もいいが、手間のかけ方が段違いだ。


 家の食堂にもパスタはメニューにある。

 だが、一番人気は、お手頃価格のトマトと細切れ肉のパスタだ。

 塩胡椒の利いたそれはドリノの好物でもあるが、長いこと食べていない。


「ドリノ殿のご実家は、皆様で食堂をなさっているのですか?」

「父母と上の兄が食堂を、下の兄が鮮魚店に勤めております」


 つい、尋ねられる前に下の兄のことまで言ってしまった。

 兄二人がいると言えば、必ず聞かれるのは、騎士かどうかだ。


 兄どころか、家族に親戚を並べても、ただの一人も騎士も魔導師もいない。

 そこまで言うと今度は妙に言葉を濁され、気を使われる。

 別に自分は貴族の隠し子でもなければ、養子でもない。魔力はただの偶然なのだが。

 どちらにせよ、あまりすっきりした会話になったことはない。


「では、皆様、刃物使いということですね」

「刃物使い?」

「父上と兄君達は包丁、ドリノ殿は剣。刃物の扱いにけておられるようですから」

「ああ、そうか! だからドリノは剣はもちろん、森大蛇フォレストラスネイクの解体もうまかったんだ」


 ヴォルフ、豚肉や鶏肉と森大蛇フォレストラスネイクを一緒にしないでくれ。

 下処理もろくにせず、乱切りにしようとしたのが見逃せなかっただけだ。

 どうせならおいしく食べたいに決まっているではないか。


森大蛇フォレストラスネイクの解体か……なかなか迫力がありそうだね……」


 グイードの青い目が、微妙に遠くなる中、皆でパスタを食べきった。


 次に来たのは、各自に大きな角皿だ。

 その上に、こぢんまりといろいろな料理が一口ずつ盛られている。

 温野菜のホワイトクリーム掛け、トマトの中に詰まったじゃがいもとチーズのサラダ、ほうれん草と海老を組み合わせた緑のテリーヌ、うずらの卵を挽き肉で包んで揚げたものにルッコラをきれいに絡ませたもの――見た目がきれいな上に、どれも文句なしにうまい。


 酒と食事を味わいつつ、魔物の話が続く。

 スカルファロット家の領地でも、一度ゴブリンが巣を作りかけたことがあるそうだ。

 魔物討伐部隊を呼ぶ数でもなかったので、家で討伐したと言われた。

 ヴォルフも驚いた顔をしていたので、それなりに昔のことらしい。


 今は自衛のため、領地のあちこちで夜犬ナイトドッグを飼っている――そんな話を聞きながら、追加の赤エールを飲みきった。


 満腹感に浸っていると、銀の深皿と濃く少なめのコーヒーが並べられた。

 深皿には大きな半円で盛られたミルクアイス。

 これは一体どうやって食べるのか――作法のわからぬドリノは、参考にしようと三人を見る。


 グイードはコーヒーにアイスを入れたスプーンを沈め、一口ずつ味わっていた。

 ヴォルフはアイスにコーヒーをすべてかけ、話しながらすくっている。

 ヨナスは両方をすべて深皿に入れると、丁寧に混ぜる。そして、最早飲み物と化したそれをスプーンですくって飲んでいた。

 どれが正解の食べ方なのかわからず、自分は交互に食べることで落ち着いた。


 そうして食事を終えると、給仕の従僕が下がっていった。

 テーブルの上にはチーズとハム、そして新しいグラスと酒が数種類置かれている。


「さて――息抜きといこう。この部屋の中では、皆、気楽に話そうじゃないか。話の中身も含めてね」


 待ってくれ。

 帰る時間を頭で計算し始めていたドリノは、一気に血の気がひいた。

 友人の兄とはいえ、次期侯爵と気楽に話せるわけがない。


 内心の動揺を抑えつつヴォルフを見れば、兄の声に無邪気に笑っていた。

 これが昨年の春まで『兄とはあまり交流がなくて』と、話を濁していたのだから謎である。


「ドリノ、兄もこう言ってるし、いつもの話し方でかまわないよ」


 かまうわ!、そう声をあげそうになったとき、左に座っていたヨナスが上着を脱ぎ始めた。

 袖を抜くと無造作に床に放る。

 ガシャガシャと重い音を立てたのは、どう聞いても複数の暗器である。

 従者服は着ているが、あの威圧の強さといい、やはり護衛騎士の仕事がメインなのだろう。


「ヴォルフ、火酒ひざけに氷一つで頼む。グイードは何を?」


 ヨナスが二人を呼び捨てにするのに耳を疑ったが、誰も動じていない。

 これがこの三人の普通なのかもしれない、そう納得することにした。


梅酒うめしゅのお湯割りがいいな」

「あ、俺が作るので。ドリノは何がいい? 火酒と梅酒と白ワインと、エールがいいなら持ってくるよ」

「じゃあ、飲んだことがないので、梅酒のお湯割りを」


 ヴォルフがグイードとそろいで、梅酒のお湯割りを作ってくれた。

 ヨナスは火酒、ヴォルフは白ワイン、それぞれにグラスを持って乾杯する。


 梅酒というのは、東ノ国(あずまのくに)の梅の実の酒だという。

 馥郁ふくいくとした梅の花を思わせる香りに、ふわりとゆるやかな甘さが口に広がる。それでいて、喉を通るときには確かに酒の味だった。


 お湯割りのせいで、とても通りがいいのだが、弱い酒ではなさそうだ。

 東ノ国(あずまのくに)の酒だというし、それなりに値が張るのだろう――そんなことを考えていると、グイードが口を開いた。


「この顔ぶれだと、私以外は全員騎士科だね……だと、学生の頃は暴露大会ディザスラドゥなんかもやっていたのかな?」

「隊の飲み会でもやってますけど」

「ほう、面白そうだ」


 ヴォルフ、お前は俺がここにいるのを忘れていないか? ドリノはそう問いつめたくなった。

 この面子めんつで何を話せというのか。

 たらりと汗をかきつつ視線をずらせば、ヨナスが火酒を赤い舌で舐めていた。

 自分の向かい、両手でお湯割りを持つグイードは、さらに楽しげだ。

 話したくはないのだが、聞いてみたいという好奇心が鎌首をもたげた。


「話題の縛りはありか?」

「そうだね。『失敗と悔恨』にでもしておこうか。では、一番年長の私から、暴露大会ディザスラドゥ


 反射的に利き手がテーブルの上に出た。

 ヨナスもヴォルフも同じく、手のひらを下に向け、テーブル上に腕を伸ばす。

 ここにいない者に話したら、その手を斬っていいという誓い――暴露大会ディザスラドゥは、よく考えなくてもなかなかに物騒な気がする。


「妻――当時は婚約者だったが、清楚でとても美しいので、似合うと思えた白百合を部屋一杯に贈った。次に会ったときにくしゃみをくり返すので、風邪かと心配したら、白百合の花粉がだめだった……以来、花は必ず聞いてから贈ると二人で約束した」


 淡々と言われたが、部屋一杯の白百合とはどのぐらいの量なのか。

 この部屋を基準で考えて、ちょっとひいた。


「兄上、気持ちはわかりますが……」

「暴露にならないだろう。ただの惚気だ」


 左右に響くコメントに対し、ドリノは曖昧に笑うしかない。


「次は俺か。暴露大会ディザスラドゥ


 ヨナスの低くなった声に身体が勝手に構える。

 威圧の怖さの残りか、それとも聞き逃すまいとする感覚か、自分でも判断がつかない。


「……女の名前の綴りを、贈るカードで三回まちがえた」

「うわ、それ駄目なヤツ!」

「ヨナス先生、なんてことを!」


 ヴォルフと同時に声を上げてしまった。


「それで、お相手のご機嫌を損ねなかったかい?」

「贈り直してくださいと、赤字で修正が入って戻って来た」


 グイードの大変的確な質問に、ヨナスがさらりと答えた。


「心の広い女性ですね。お付き合いをなさっている方ですか?」

「元婚約者だ。家の事情が変わったので解消した」


 一気に空気が重くなった気がする。

 貴族はこれだからわからない。

 家の事情でころころと結婚相手が変わるのか、当人の気持ちはどうなのか。

 ドリノには理解しがたい世界である。


「そういえば、女性に関して、ヨナス先生は年上好みだと聞いていましたが」

「正確には年齢にこだわりはない。強く、動じず、包容力がある女性が好みなだけだ」

「見た目はどうです?」

「そうだな。赤い髪、緑の――」


 ヨナスが言葉の途中、手酌でグラスからあふれそうになった火酒をすする。

 ドリノの右、ぴたりと動きを止めた者がいるが、気づかぬふりをした。


「――緑の髪、黒髪、色はなんでもありだな。長めの方が好みだが、似合っていれば短くともいい。どうした、ヴォルフ?」

「……酒を味わっていただけです」


 今、ワインは飲んでいなかったではないかという突っ込みはやめておく。

 隣の錆色の目も、向かいの青い目も、完全に笑っておられる。


「次はヴォルフだな」

「あ、そうか。ドリノより俺が少し上だっけ。ええと……」


 うつむいて考え込んだヴォルフが、ようやく顔を上げる。

 人形のように整った笑みに、何故か寒気がした。


暴露大会ディザスラドゥ。高等学院の頃、いつも屋敷で髪を切ってもらっていたのを、クラスメイトの誘いで理容室に行きました。いい気分転換になったと思ったら、俺の髪、売られてました」

「うわぁ……友達の髪を売るなよ……」

「そう長くもないだろうに、何に使うんだ?」


 今度はヨナスと同時に言葉が出た。


「確か、髪入りクッションが銀貨六枚、組み紐に編み込んだものが銀貨七枚……」

「高っ! ぼろ儲けじゃん」

「やっぱり、髪は信頼できる人に切ってもらわなきゃと思ったよ」


 理容室まで疑ってかからなければならないとは、どんな警戒基準だ。

 さぞかし兄であるグイードも憤っているだろうと思ったが、彼は口角を吊り上げていた。


「ヴォルフ、それはどこの理容室かな? そのときのクラスメイトの名前、できれば購入者もぜひ知りたいね」


 笑顔に反して声は低く――はっと固まったヴォルフに、いろいろと祈るしかなかった。


「……ええと、俺のことはともかくとして、ドリノの番」


 濁して自分に回してきたので、仕方がなく続けることにする。


暴露大会ディザスラドゥ、俺は――近所の初恋のお姉さんが、義姉になりました」


 黙り込んだ三人に、ドリノも黙り込む。

 完全に外した。

 ウケを狙ったのではなく、どさくさに紛れての初自白だが、これはより辛い思い出になる可能性が――


「ドリノ! ええと、その、もっといい人がきっといるよ! ドリノだもの!」

「ドリノ君、それは縁がなかっただけで、これからもっといい縁があるだろう」


 兄弟そろってなぐさめが似ている。

 ここは笑っていいところだろうか。

 確かめるようにヨナスを見れば、錆色の目がひどくまっすぐに自分を見ていた。


「グイード、赤琥珀の蒸留酒を開けていいか?」

「もちろんだとも。ああ、この際だ、十年ものを持って来てくれ」

「いえ、どうかお気遣いなく! そろそろ帰りますので!」


 そこまで気を使ってもらうわけにはいけない。

 あわてて立ち上がろうとすると、ヴォルフに右腕をがっちり取られた。


「ドリノ、飲もう! 今日は飲もう! とことん飲もう!」

「弟もこう言っていることだし、付き合ってもらえるかな、ドリノ君。ああ、ついでに――もう少々、それぞれの話をしようじゃないか」

「ドリノ殿、待っていてくれ。次の酒をとってくる」


 どうやら帰る時間は大幅に延びそうだ。

 しかし、この三人を前に、ドリノに断るという選択肢は消えていた。



 この夜、三巡した暴露大会は、大変に混迷を極めた。

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大変にうれしく、ありがたく読ませて頂いております。

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