手塩にかけて育てたアイドルたちに裏切られた俺は、自殺しようとしていた元人気アイドルのプロデューサーになる
とある芸能事務所の一室。
部屋には俺と社長。
そして社長の横にいる三人の美少女の計五人が立っていた。
俺以外の四人は誰も口を開かず、真剣な表情で俺を見つめてくる。
部屋に入ってからずっとそうだ。なんだか気まずくて、俺も口を開くことができない。
そんな重苦しい雰囲気の中、やっと社長が口を開いた。
「
「……え?」
その瞬間、頭が真っ白になる。
頭をガツンと鈍器で殴られたような気分だ。
え、いや、どういうことだ……?
俺が、彼女たち三人……デルタトライアングルの担当から外れる……?
その意味を理解した瞬間、地面が崩れ落ちていく錯覚がした。
足元がふらつき、倒れ込みそうになるのをぐっとこらえる。
いやいや、そんなバカな……。
嘘だろ。意味がわからない。
デルタトライアングルは、いま事務所の中でも売れているアイドルじゃないか……!
最近では、地方とはいえCMやラジオだって決まったし、これからだって時なのに……!
「と、いう訳で赤羽くんには引き継ぎを――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……なんだね?」
「どうして私が担当から外れることになったんですか!? 私がなにかしたんですか!?」
「いや、別に君が変なことをした訳ではないんだが……」
「じゃ、じゃあどうして!? 彼女たちは私が手塩にかけて育ててきたんです! 説明がなかったら納得いきませんよ!」
「あー。それについてはマミたちから説明するねー」
俺が社長に詰め寄ろうとすると、デルタトライアングルのメンバーが立ちふさがってきた。
その真ん中にいる、金髪のギャルっぽい女子――マミが一歩前に出てくる。
「本当にごめんなんだけどー。マミ、運命の人見つけちゃったっていうかー? だから、そっちに行きたくて~」
「つまり……好きな人が出来たから、アイドルをやめるのか?」
「んーん、アイドルはやめないよー。ただ他のプロデューサーの方が好みでさー」
マミはかなりの面食いだ。
元々、アイドルになった理由も、かっこいい男にモテるためだったりする。
そんな動機でも才能は素晴らしく、歌やダンス、トーク、人を惹きつけるオーラ。
全てにおいてずば抜けており、アイドルとして生まれてきたような子なのである。
だからスカウトしたし、気分屋の彼女のやる気を出すために色々頑張っていた。
幸い彼女は俺を気に入ってくれたらしく、デートに連れて行ったり、励ましたりすれば彼女はやる気を出し、みるみる内に成長していった。
そんな彼女だったのだが……まさか、こんな事になるとは……。
「ちなみに、その新しく見つけた運命の人って誰なんだ……?」
「んー? えーっとね、
「……なるほどな」
マミの言葉に思わず納得してしまう。
名取は新卒の後輩で、モデルにスカウトされるほどの超絶イケメンなのだ。
「一目惚れだったんだよねー。だから君とはもうお別れだからー。バイバーイ」
「っ……」
マミが俺のことを「君」と呼んだことにショックを覚える。
いつもは「ダーリン」と呼んでくるのに。
なんだか急に突き放されたようで、胸が痛かった。
どうやらマミは本格的に俺に対する興味をなくしたらしい。
こうなった彼女を引き戻すのは、至難の技だろう。
悔しいが……諦めるしかない。
「わかりました。マミがそうしたいなら、尊重したいと思います。でも、マミ一人の意見でユニット全員が担当から外れるなんて、勘弁してください! せめて二人は私の担当じゃダメなんですか? マミがいなくても、二人ならトップアイドルを目指せます! いや、してみせます!」
そう俺がまくしたてると、今度は長い黒髪が眩しいクールな女の子――イズミが出てきた。
「これはマミだけの意見じゃないです。ユニット全員の総意です」
「え……。な、なんで」
「簡単です。あなたの元だと、いつまで経ってもトップアイドルになれないからです」
イズミはピシャリとそう言い切る。
「私はトップアイドルになりたい。それはあなたも知っていますよね?」
イズミはとても向上心の強く、自分にも他人にも厳しいアイドルだ。
目標を達成するためなら、どんなことでもする。そんな女の子。
レッスンだって誰よりも遅くまでやっていたし、どんな仕事でも引き受けて頑張っていた。
「あ、ああ。それは知ってるけど……」
「しかし、あなたは小さな仕事しかとってこない。それにレッスンだって、いくらなんでもぬるすぎると思います。これではいつになってもトップアイドルにはなれません」
これには理由があった。
確かにイズミは凄く努力家で、素晴らしいアイドルだとは思う。
しかし、彼女は向上心が強すぎて、自分の能力を超えて頑張ってしまうところがあった。
例えばレッスンのしすぎで体調を崩してしまったり、苦手な仕事や大きな仕事でも引き受けてしまい、結果失敗してしまったり。
だから、俺はレッスンも無理しすぎないようにコントロールしたし、仕事もまずは小さな仕事から慣れさせようとした。
勿論、イズミにもこのことは説明してある。
その時は不服そうな表情ではあったものの、一応理解してくれた……はずだったのに。
「それに比べて、名取さんは凄いです。彼はどんな大きな仕事も、コネで取ってきてくれるって言ってくれました。それに野心もあります。だから私は名取さんについていこうと思ったんです」
名取は実は大物芸能人の息子だ。
小さい頃から、多くのプロデューサーや芸人と仲がいいらしい。
そういうことか……。なんとなくわかってきたぞ。
名取のやつ、俺の担当を引き抜こうと水面下で動いてやがったんだ。
だから、最近三人とも俺によそよそしかったのか……。
全然気づかなかった、くそっ……!
「で、でも大丈夫なのか? 俺がいなくても、イズミはやれるのか?」
俺は悔しさをグッと押し殺し、イズミの心配をした。
彼女は真面目でアドリブがきかない。
だから俺がカメラの後ろでカンペを出したり、事前に仕事の練習相手になってあげていた。
そのため最近ではどんな仕事も、ある程度そつなくこなせるようにはなっていたが……。
すると、イズミはキッと俺を睨んでくる。
「馬鹿にしないでください! もうあなたがいなくても、私はやれます!」
「そ、そうか。そうだよな……。もうひとり立ちできるよな。すまん」
「はあ……、そういう弱気なところも嫌なんですよ。やはり見限って正解だったかもしれませんね」
「み、見限……」
俺がイズミの言葉に絶句していると、今度は小柄で小動物みたいな女の子――ユキが目の前に出てきた。
「あ、あのっ……! 私もプロデューサーより名取さんの方がいいです……!」
「ゆ、ユキまで……。ど、どうしてなんだ……?」
ユキは引っ込み思案で臆病な女の子。
でも、その美貌はずば抜けていて、思わずスカウトしてしまった経緯がある。
「だ、だってプロデューサーはレッスンいっぱい入れてくるし、たくさん仕事も振ってくるから……」
「そ、そんな」
ユキはその引っ込み思案な性格からして、アイドルとしてビシバシ鍛えないと、とてもじゃないけどやっていけないと思った。
だから俺は、レッスンも仕事もそこそこ入れていたのである。
もちろん彼女にはこのことは了解を取ってある。
だから承知の上でのアイドル活動のはずなのだ。
それに彼女がパンクしないように適度に休ませたり、励ましたりもしていた。
不安ならずっと側にいてあげたし、彼女が好きなお菓子で元気づけてあげたりなども。
おかげで、最近では仕事やオーディションでも良い結果を残せるようになってきた。
それに彼女は俺にこう言ってくれたんだ。
自信がついてきた、やりがいが出てきた、と。
そう言ってくれたはずなのに……。
「でも、名取さんがこういってくれたんです。レッスンとか休んでもいいし、仕事とかも好きな仕事だけしてればいいって……」
「……は? それ、本当なのか?」
「は、はい……」
「ユキ、お前そんなことしたら、アイドルとして成長できなくなっちまうぞ! いいのか? お前が前に言ってたやりがいとか、自信とか全部なくなっちまうかもしれないんだぞ! それでもい――」
「赤羽君!!」
社長の声が部屋中にこだまする。
その大声にハッとなった。
目の前にいたユキは、涙目でマミの後ろに隠れてしまっている。
「ユキくんが怖がっているだろう? やめないか」
「……はい。すみません」
「君にとっては残念だとは思うが。これはもう決定事項なんだ。わかってくれ」
「……はい」
「わかってくれればよろしい。では、もう出ていってくれていいぞ」
そう言われ、俺は震える手足をどうにか動かして、ドアの前まで歩いていく。
全然、地面を踏んでいる実感がしない。ふわふわと足元がおぼつかない。
気を抜けば倒れてしまいそうだ。
俺はドアまでたどりつくと、チラッと後ろを振り向く。
彼女たちはどんな目で俺を見送ってくれているのだろうか。
少しは寂しそうにしたりしてくれていないだろうか。
そんな淡い期待を胸に彼女たちを見る。
「……っ」
しかし、三人の目はとても冷え切ったものだった。
もう俺のことはプロデューサーとして見てはいない、とそう言われているような目だった。
それがなんだか悲しくて。悔しくて。
せめて最後にプロデューサーとして、なにか言ってやろうと口を開く。
「お前ら……お、俺がいなくても、ちゃんと頑張るんだぞ。期待してるからな」
泣きそうになるのをこらえて、笑顔をつくってそう言い切った。
うまく笑えてるだろうか。声は震えてないだろうか。
俺の言葉は、あいつらに届いているだろうか……。
しかし、俺の言葉に三人は誰一人うなずき返してくれることはない。
心にズキンとした痛みが、更に俺の涙腺を刺激してくる。
耐えきれなくなりそうなる前に、俺はドアを開けて、さっさと部屋を出た。
部屋を出ると、すぐ横に人が立っているのに気づく。
茶髪のチャラそうな顔をしたイケメン――名取だ。
「先輩、なんて顔してるんですか? そんな情けない顔して」
名取はニヤニヤと憎たらしい顔をして、俺を見つめていた。
こいつ……わかってるくせに、白々しい……。
俺は怒りをぶちまけそうになったが、それをグッとこらえる。
「……そういや聞いたよ。デルタトライアングルの次の担当、お前なんだってな」
「あっ、もう決まったんですね。ふーん」
「そうだよ。だから彼女たちのこと、頼むぞ」
そういってポンと名取の肩に手を置いた。
すると、名取はうざったそうに、俺の手を振り払う。
「んなこと言われなくてもわかってますよ。ちまちまやってる先輩に代わって、さっさと彼女たちをトップアイドルにしてみせますから」
名取は「それじゃ」といって、社長室の中へ入っていく。
おそらく正式な任命式があの中で行われているのだろう。
拳をギュッと握りしめる。
情けない。悔しい。
俺が必死にやってきた二年間は一体なんだったんだ……。
イケメンに、コネに、欲望に負けてしまうレベルだったのか、俺の努力は。
……ダメだ。今はとてもじゃないが仕事できる気分じゃない。
今日はもう帰ろう。もう、なんか疲れた……。
※
担当を外された翌日。
俺はいつもどおり仕事をしていると、デルタトライアングルのメンバーが事務所に入ってきた。
少し気まずかったが、俺はいつもどおり彼女たちに「おはよう」と挨拶する。
しかし、三人はそれを無視して、さっさと名取のところへ向かっていってしまった。
「ダーリンおっはよー!」
「おいおい。いきなり抱きついてくるなよマミ。仕事ができないだろ?」
「えー、仕事とあたしどっちが大事なのさー」
マミは名取にベタベタとくっついて、その豊満な体をこれでもかというくらい押し付けている。ノリノリで。
「マミやめなさい。プロデューサーが困ってるでしょ」
「ははは、別にいいんだよイズミ。これくらいなんてことないって」
「プロデューサーが言うなら止めませんけど……。あ、これコーヒーです」
「おっ、気が利くな。サンキュー」
「いえ別に。あとネクタイが曲がってます。じっとしていてください」
イズミはやれやれという顔をしつつも、コーヒーを入れてあげたり、曲がったネクタイを直してあげたりと甲斐甲斐しい。
「……」
「ユキはそんなところにいて大丈夫なのか?」
「はい……プロデューサーさんの近くにいれるなら、それで十分です……」
ユキは名取の席の近くでちょこんと座って、くっついている。
どうやらもうすでに懐いているみたいだ。
俺はその光景を見て
なんだこの変わりようは……。ここまで露骨に変わるか普通?
……いや、おそらく裏では、とっくに彼女たちは懐柔されていたのかもしれない。
よくよく考えれば、一ヶ月ほど前からその予兆は出ていた。
マミはベタベタとくっついてこなくなったし。
イズミは身の回りのお世話をしてくれなくなったし。
ユキとはなんだか微妙な距離感あったし。
仕事が忙しくてあまり気にしていなかったが、多分その時にはもう……。
机の下で拳をギュッと握りしめる。
以前までは、名取の立ち位置にいたのは俺だった。
これまで自分がどれだけ恵まれた存在だったかを思い知る。
でも……それも自分の努力の成果だと。
きっと彼女たちとの距離が縮んでいるんだと、そう思ってたのにな……。
胸が締め付けられる。心が痛い。
怒りと悲しみの感情が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられている気分だ。
ははっ……なるほど、これが寝取られたって気分なのか……。
名取に対する怒りもそうだが、それ以上に彼女たちに裏切られたことが酷く辛い。
彼女たちをトップアイドルにするために頑張ってきたのに……。
どうしてこうなったんだろう……。
何が間違っていたんだろうか。分からない。
もっと彼女たちに寄り添うべきだったのだろうか。
なんだか、もう消えてしまいたい……。
こうなったら、もう辞め――
「おはようございます」
突如、事務所内に凛とした通る声が響き渡る。
カッカッとハイヒールを鳴らす音と共に、ツーサイドアップの黒髪をなびかせた美少女が姿を現した。
整った輪郭。すっと通った鼻筋。桜色の唇。
汚れを知らない純白の肌。すらりと引き締まった手足。
何よりその堂々とした姿。
なにかオーラのような凄みを感じさえする。
デルタトライアングルの三人と比べても、格の違う圧倒的な美少女。
彼女の登場に事務所内はシーンと静まりかえる。
彼女は事務所の真ん中にあるソファーに座ると、スマホをいじり始めた。
なにやら眉間にしわをよせ、難しい表情をしている。
そんな彼女に話しかけられるものはいない……いや、一人だけいた。
「
名取だ。
葵と呼ばれた少女の不機嫌な表情など気にせず、軽々しく挨拶をした。
しかし、彼女はそれに反応することなく、スマホをいじり続ける。
その態度にさすがの名取も苦笑いしてしまった。
彼女の名前は
元人気アイドルであり、事務所の顔だった少女だ。
四年前、超新星のごとく現れた中学生アイドル。
千年に一度の美少女なんて謳い文句で、スターダムを駆け上がっていった彼女は、連日テレビやCMなどに引っ張りだこ。
彼女の顔を見ない日などないくらいの勢いの凄さだった。
それもそのはず。彼女は天性のアイドルなのだから。
歌手顔負けの歌。ダンサー並のダンス。なんにでも対応できるアドリブ力。
喜怒哀楽の豊かな表情。どんなファンにも笑顔で接するサービス精神。
そしてなにより、見るものすべてを惹きつける圧倒的な輝き。
「やっぱり、いつ見ても綺麗だな……」
葵を見て、俺は思わずぼそりと呟く。
なにを隠そう、俺は彼女のファンだ。
グッズも大量に買ったし、彼女の歌は四六時中聴いていたし、どんな小さなイベントでも欠かさず応援しにいった。
俺がこの事務所で働こうと思ったのも、彼女の影響なのである。
しかし、彼女は二年前。急にアイドルをやめてしまった。
理由はわからない。世間では様々な憶測が飛び交った。
死亡説。妊娠した説。アイドルが嫌になった説。病気にかかった説。などなど
でも、彼女は今こうして平然と事務所で生きている。
死んでいないし、病気でもなんでもない。
時々こうやって事務所に来ては、誰とも話すことなくスマホをいじって、そして帰る。
一ファンとしては、彼女がなんともなさそうなことにほっとした。
アイドル時代に爛々と輝いていた瞳が、くすんでしまっていたことを除けば、だが。
ちなみに同僚たちに、彼女がアイドルを引退した理由を訊いて回ったこともある。
しかし、誰も「わからない」というだけで、結局真相は闇の中だった。
なんて俺が考えていると、葵は名取に色々と話しかけられていた。
「葵ちゃん久しぶりだね。今日は何か用があったの?」
「別に」
「あー、なんとなく来た感じなの? あ、そうそう。コーヒー飲む?」
「理由がなきゃ来ちゃダメなの? それと別にいらないわ」
「あー……そ、そっかー……」
相変わらずの塩対応っぷりに、名取もたじたじになってしまう。
しかし、名取もよくめげないな……。毎回、そっけなくされてるのに。
さすが夕日葵ファンクラブの会長をやっていただけあるな。
そういや葵がアイドルとして復帰したとき、担当はあいつになるとかっていう噂だっけ。
だから事前に仲良くなっておこう、って意図もあるんだろうな。
……なんだかあいつばかりズルいな。
権力の前にはどんな努力も思いも、意味をなさないんだろうか。
なんだか、すごく虚しくなってくる。
なんて落ち込んでいると、プルルルと電話がかかってくる。
こんなことを考えている場合じゃないか……。
生きていくためにも目の前の仕事をこなさなければ……。
そうして俺は電話を取る。
今日を生きるために。
※
「お疲れ様でーす」
最後の一人が事務所から出ていく。
今、事務所の中にいるのは俺だけだ。
「まだ6時なのに……。今日はみんな帰るの早いなあ……」
かくいう俺は、落ち込んだ気分で仕事が進むわけもなく。
こうして一人だけ残業する羽目になってしまった。
「ん~、ダメだ。気分転換に屋上でもいこうかな……」
俺は立ち上がって、屋上へと続く階段を登っていく。
登っている途中、窓から差し込んでくる夕陽が目に入ってきた。
太陽がほとんど地平線の彼方へ沈んでしまっており、周りの空が群青色に染まっている。
なんだか……今の自分を見ているようだ。
沈みゆく太陽は俺で。この空は今の俺の気分を表現している。
そして、太陽が沈みきった時、世界は闇に包まれてしまい、俺は……。
そこでハッとなって、ぶんぶんと頭を振る。
馬鹿。気分転換をするつもりなのに、暗くなってどうするんだ。
さっさと屋上で空気でも吸って、仕事に戻ろう。
急いで階段を上がって、屋上へ続くドアを開ける。
「……え?」
屋上には先客がいた。
絹のような綺麗な黒髪。モデル顔負けの後ろ姿。
そして、あの存在感――夕日葵だった。
彼女は安全柵の向こう側にいて……って、おいおいおい。
これは……もしかして……。とんでもない現場に鉢合わせたのでは……。
俺は固まってしまっていると、葵はくるりとこちらを振り向く。
「……誰かと思ったらあんたか。どうしたのこんなところで」
「い、いや……それはこっちのセリフなんだが……。な、なにしようとしてるんだ……?」
「見てわからない? 私、これから自殺するのよ」
予想通りの言葉が返ってきてしまった。
ここは3階だ。下手したら、本当に死んでしまう。
やばい。どうすればいいんだ。と、とにかく止めないと……!
「し、死ぬって……どうして……」
「疲れたのよ。なにもかも、全部」
「だ、だからって死ぬことないじゃないか……」
「……」
「そりゃ、生きてれば悪いことだってあるさ。でも、良いことだってある。だから、自殺なんてやめ――」
「あんたになにがわかるのよ……!」
葵は唇を噛んで、俺をギロリと睨みつける。
「もう私に生きる意味も、アイドルをする理由もなにもかも……見つけられないのよ」
「……」
「もう、しんどいのよ……。お願いだから死なせてよ……」
葵はそういって手で顔をおおった。
少し遅れて
……なんなんだこの状況は。
おかしいだろ。こんなの悪い夢かなにかだろ。
そう思って頬をつねってみるが、普通に痛い。
これが夢ではない、現実だと思い知った瞬間。
俺の中で張り詰めていた糸が、ぷっつんと途切れた気がした。
「う……」
いい加減にしてくれ。
二年間かけて育ててきたアイドルたちに裏切られ、四年間応援し続けたアイドルが目の前で自殺しようとしてるなんて……!
「うぅぅ……」
無理だ。なんとか我慢しようとしてきたけど、うんざりだ。
もう、もう……こらえるのは、疲れてしまった……。
「うわぁぁぁぁああああん!!!!」
「っ!?」
俺は心の底から声をあげた。
景色がぼやける。感情が爆発する。
こみ上げる涙がとめられない。
「な、なに泣いてんのよ……」
「死ぬ」
「……は?」
「君が死ぬなら、俺も死ぬ!!」
「はぁああああああ!?」
目を見開いて驚く葵。
「な、なんで死ぬのよ!? 意味分かんないだけど!?」
「もう嫌なんだ! 担当アイドルたちには裏切られ! その上、大好きなアイドルが死んだら、俺は何を生きがいにすればいいんだ! 疲れたよ、もう!」
「べ、別に私が死んだからって死ぬことないじゃない! 生きてりゃいいことあるわよ!」
「うるさいっ!! 君に何がわかるんだっ!! というか君に言われたくない!!」
「う……そ、それは」
葵は俺の勢いにたじたじになる。
彼女を死なせたくない一心で俺は、手と膝を地面につき、頭を下げた。
いわゆる土下座のポーズである。
「君が死んだら俺も死ぬ。だから、お願いだから……死なないでください……」
「な、なによ。なんなのよ……これ」
困惑する彼女に構うことなく、俺は何度も頭を下げ続けた。
「お願いしますお願いします……お願い、しますっ……!」
「……っ」
俺の必死のお願いに、かすかに息を飲む声が聞こえた。
そして、流れる沈黙。
止まる時間。
静まりかえる世界。
俺はとにかく土下座したままじっと待つ。
顔もあげずに、ただただ頭を下げ続けること数十秒。
永遠にも思える、そんな数十秒が経った頃。
ふいに前方から「はあ……」とため息が聞こえてきた。
「あ~、もう……。せっかく勇気出したのに、これじゃ死ねないじゃない……最悪」
「っ! そ、それじゃ、もしかして……!」
「うるさい。今回はやめにするだけだから」
その言葉を聞いた瞬間、俺は体中の力が抜け落ちる感じがした。
「よ、よがっだぁぁぁああああああああああ……」
「そ、そんなに泣く? 大の大人が情けないわね」
「だっでぇ~……。ぎみが死んだら、俺はぁ……俺はぁぁあああ~」
本当によかった……。死ななくて……。
もし本当に自殺してたら、俺は勢いそのまま後を追っていたかもしれない。
そう思うと、溢れ出る涙は止まるどころか、その勢いを増してしまう。
情けなくわんわんと泣いていると、葵はぷっと吹き出した。
「なんか赤ちゃんみたいね。ふふっ」
「っ……!」
事務所に入ってから、初めて見た彼女の笑顔。
それはこの夕闇の中でも、はっきりと見えるくらいに輝いていて……。
思わず息をするのも泣くのも忘れて、ただただ見とれてしまった。
なんてぼーっと見つめていた、その時――
「きゃっ!!」
とても強い風が俺たちを襲う。
危ないっ。
そう思った俺は、一直線に葵のもとへと駆け出していく。
彼女はバランスを崩して、今にも落ちてしまう。そんな状況だった。
くそっ……これじゃ、間に合わない……!
それでも諦めずに、俺は安全柵に足をかけ、思いっきりジャンプする。
すると、落ちていく寸前の彼女に、なんとか抱きつくことが出来た。
そして、俺たちはそのまま真っ逆さまに落ちていく。
ギュッと彼女を抱えながら、俺はゆっくりとこれまでの思い出を思い返していた。
なにもかもが新鮮だった幼少期の楽しさ。
部活に明け暮れた青春時代の泥臭さ。
アイドルにハマっていた大学時代の充実感。
第一志望に内定した時の喜び。
アイドルをスカウトし、初めて担当をもつことになった時の期待と不安。
どんどん彼女たちが成長して、仕事も増えてきた時の達成感。
でも、あっけなく裏切られてしまった時の悲しみ、悔しさ。
そして、最後に見せてくれた君の笑顔。
綺麗だったなあ……。
そう思った瞬間、俺の意識はぷっつりと途切れた。
※
――ぐすっ……ひっく……。
……すすり泣く声が聞こえる。
誰かが泣いているんだろうか。
俺はまどろむ意識に構わず、無理やり目を開けてみる。
「どこだ、ここは……」
目を開くと、そこは見知らぬ白い天井が目に入ってきた。
周りを見渡すと、白いベッドに、小さなテレビ、あとは何もない殺風景な部屋。
なんだか病室みたいだな、なんて思った。
そして、泣き声のする方に目をむけると、
「っ! あ、あんた! 目が覚めたの!? 大丈夫!?」
目を赤くした葵がいた。
よほど泣いていたのだろう。
もうその顔は涙でぐしゃぐしゃで、メイクも剥げ落ちてしまっていた。
「う……大丈夫だ……いてて」
起き上がろうとすると、背中に痛みが走る。
激痛というほどではないが、顔をしかめてしまうくらいには痛い。
な、なんだこの痛みは? 俺の身になにがあったんだ?
痛みに背中をおさえていると、葵は優しく俺の背中に手を添えて、ゆっくりと後ろに倒してくれる。
「あんまり無理しないで……。あんた怪我してるんだから……」
「け、怪我? な、なんで」
「なんでって……。屋上から落ちたからに決まってるじゃない……」
「あ……」
彼女の言葉に、俺のぼんやりとしていた意識が一気に覚醒する。
そうだ……。俺は落ちる葵を助けるために、彼女を抱えて落ちたんだった……。
「ってことは、俺は死んだ? ここはあの世なのか?」
「死んでないわよ……。ここは病院。私たちは生きてるから」
「そ、そうなのか? でも、それにしては軽症じゃないか? お互いに」
「下に大きな芝生があって、それがクッション代わりになってくれたのよ。私はあんたが抱きしめてくれたおかげで、ほぼ無傷ですんだし……」
葵はうつむきながら、そう説明してくれる。
そうか……。俺たちは、助かったのか……。
じわじわと温かい安心感が体中に広がる。
どこか緊張していた体がふっと軽くなった感じがした。
なんだか自然と笑いがこぼれてしまう。
はは……そっか。俺は、あの夕日葵を救ったのか。
俺が……彼女を助けてみせたんだ。ははは……。
「……なに笑ってんのよ」
「いや、なんだか嬉しくて。笑うしかないというか……ははは」
「笑い事じゃないわよ……。もし下に芝生がなかったら、私はあんたを……」
そういって顔を手で覆って、再度泣きじゃくる葵。
「ごめんなさい……私のせいで……」
「べ、別にそんな謝らなくてもいいぞ。お互い助かったんだし。それで良くないか?」
「そんな訳ないでしょ……。わ、私が自殺なんかしようとしたせいで、あんたを巻き込んじゃって……。下手したら、あんたが死んでたかもしれないって……。そう思ったら……私っ」
葵はそういって、何度も「ごめんなさい」と嗚咽を漏らした。
すすり泣く声が病室にこだまして、胸が痛くなる。
どうにか彼女に泣き止んでほしい。
その一心で俺は彼女に手を伸ばした。
「……え?」
俺は葵の頭に手を置き、優しくなでてあげる。
彼女は俺のなされるがまま、ぽかんと口を半開きにしていた。
「ほら、俺こんなことも出来ちゃうからさ。全然、大丈夫だから。だからもう謝らなくてもいいよ」
「……」
「俺は君が生きてくれただけで満足だからさ。むしろ、こっちがごめん。こんな心配させちゃって」
「そ、そんな……私が悪いのに……! あんたが謝ることなんて……」
「そんなに悪いと思ってるのか?」
「当たり前でしょ……!」
「じゃあ、もう自殺はしないって約束してくれるか?」
俺の言葉に、葵は一瞬呆けた表情になるが、すぐに真剣な顔に戻って、
「……うん。約束する」
とはっきりとした声色で約束してくれた。
俺はその言葉に満足して、手を引っ込める。
これで本当に安心した。
まあ、その言葉もどこまで本気かわからないが、少なくともまたすぐに死ぬということはないだろう。
そうして一息つこうとした時、とあることに気がついた。
……いや、待て。
約束したって、これじゃ根本的な解決にはなってないだろ。
自殺をするっていうことは、何かしら原因があるもんだ。
つまり原因を解決しないままだと、また自殺してしまうかもしれない。
もし俺との約束を守るつもりだとしても、彼女にとってこの世は生き地獄になってしまう。
そう思った俺は、彼女に質問をすることにした。
「なあ、なんでそんなに死にたがってたんだ?」
「……えっ」
「いや、君がなんで自殺するほどまで、思いつめていたのかって知りたくてな。助けちゃった身としては、知っておく責任があるかなって」
俺がそういうと、葵は少し考える素振りをしたのち、「わかった」と一言。
そして彼女のこれまでの人生について教えてもらった。
小さいころにアイドルにハマって、ライブとかに連れて行ってもらったりしたこと。
中学のころに路上でスカウトされて、今の事務所に入ったこと。
最初は全然見向きもされなかったけど、アイドルとして活動できていることが嬉しかったこと。
ある写真がバズって、あれよあれよという内に仕事が来るようになったこと。
「ここまでは良かったの。凄くやりがいもあったし、楽しかった。でもね……歯車が狂いはじめたのもこの頃だったの……」
どうやら有名になって、お金が大量に入ってくるようになってから、両親の態度が急変したらしい。
金遣いも荒くなって、葵にもっとアイドルとして頑張れと圧をかけてくるようになったのだという。
それが嫌になって、別居するようになったとのことだった。
また、それと同時期に学校でいじめられるようになったという。
ほとんどが
これまで悪意という感情にさらされていなかった葵は、凄く動揺して、傷ついたと言った。
それでも、アイドル活動だけはやめずに続けられたのは、前のプロデューサーによるものが大きかったらしい。
50代くらいの凄く優しくて包容力のあった人らしく、その人がいつも励ましてくれたり、助けてくれたおかげで、なんとかアイドルをやっていけたのだという。
でも、そのプロデューサーは……心臓発作により急死してしまった。
葵はもう精神的に活動は不可能と判断し、アイドル活動は休止。
実質引退となった。
そして、今日この日まで死んだように生き続けてきた。
家族とは連絡は取れていないし、いじめはエスカレートするし、プロデューサーが死んだ傷は癒えない。
でも、それも限界を迎えてしまったという。
「もう何もかも嫌になっちゃって……死んだほうが楽になるって思っちゃってさ。それで自殺しようと思ったの」
俺は絶句した。
そんな辛くて、苦しい思いをしていただなんて……。
あのアイドル時代の笑顔の裏で、そんなことが起きていただなんて思ってもいなかった。
「そっか……それは、大変だったな」
俺はもう一度、葵の頭をなでてあげた。
彼女はなにもいわず、ただ身を任せてくれる。
「本当に辛かったとおもう」
「……うん」
弱々しくうなずく葵。
「これまで本当に頑張ったな。君は偉いよ」
「……ぐすっ」
葵の瞳にまた涙が溜まっていく。
「でも、もういいんだ。今だけは楽になりなよ」
「うん……うん……」
ボロボロと涙をこぼす葵。
彼女は俺の布団につっぷして、泣きじゃくった。
俺は黙って、頭をなで続ける。
この慰めが正解だったかはわからない。
でも、きっと、俺ならこういってほしかったから。
この言葉が君を救ってくれますように……。
※
十分ほど経って、葵はようやく落ちつきを取り戻した。
「あー……泣いたわ。めちゃくちゃ泣いた。一生分泣いたかも」
「少しはスッキリしたか?」
「まあね。我慢してた分、ちょっとだけ楽になったかも」
そういう葵の顔はどこか
しかし、その表情もすぐに曇ってしまう。
「でもあれだなー……。これで私死ねなくなちゃったな……」
「……そうだな」
「これからどうすればいいのかしらね。耐えて、忍んで生きていくしかないのかしら。……嫌だなぁ。こんなどん底で生きていたくないなぁ……」
そうポツリポツリと弱々しい声でつぶやく葵。
その姿を見て、俺は言葉を探す。かけられる言葉を。
励ましでも、同情でもなんでもない。
俺なりの今できるアドバイスを。
「なぁ、君の名前の葵って文字なんだけど。あれって花のことなんだってな」
「……は? いきなりなによ」
「まあ、聞いてくれ。葵ってな、梅雨の時期に入ると下の方から少しずつ咲いていくんだ。んで、梅雨が終わる時期になると、てっぺんの花が咲くんだってさ」
俺の言葉に、葵はじとーっとした目を向けてくる。
「それがなに? 止まない雨はないとでも言いたいの?」
「いや、そうじゃなくてな。君には葵の花と同じように、どん底からてっぺんまで花開く方法があるんだ」
君はどうすればいいのかって言ってたよな。
どうすればいいか? そんなの決まってる。
君が梅雨の激しい雨を乗り越えて、太陽がまぶしい夏を迎える方法。
それは――
「なあ、アイドルやり直してみないか?」
俺がそういうと、葵は目を大きく見開いて驚く。
しかし、すぐにしゅんと顔を下げて、うつむいてしまった。
「私、もうアイドルなんてやるつもりは……」
「じゃあ、なんで事務所によく来てたんだ?」
「っ……!」
葵はわかりやすく動揺する。
やっぱりそうだ。葵のその言葉は本心じゃない。
つまり――
「まだ君の中で諦めきれてないんじゃないか? アイドルのことを」
そういうと、葵は目をぎゅっと閉じて、唇を軽く噛む。
しばらくそうしていると、彼女はゆっくりと目を開け、震える声を出した。
「で、でも……今の私がアイドルなんか出来るのかしら」
「……」
「上手く笑えるのかしら。前みたいに輝けるのかしら。ファンの皆に元気を届けられるのかしら。私自身がこんなに苦しいのに……」
「そんなに不安?」
「そりゃそうでしょ……。今の私なんかじゃ、無理よ。プロデューサーももういないのに……。私に味方なんていないんだし……」
「じゃあ、俺が手伝うよ」
俺は手を葵にむけて、差し伸べる。
「君が立派な花を咲かせて、トップアイドルとして返り咲くことができるように。雑草を抜いて、肥料を撒いて、水をあげたい。それが俺じゃ、ダメかな?」
「……なにそれ。それって私をプロデュースするってこと?」
「うん。そもそも俺のせいで君を死ねなくさせちゃったからな。その責任くらいはとるよ」
葵は俺の手を見つめるも、とってはくれない。
それでも俺は彼女に向けて、手を伸ばし続ける。
伸ばし続けること一分、二分、三分……と時間は過ぎていって。
腕がぷるぷると震え、しんどくなってきたところで、彼女は小さく息を吐いた。
「私、めんどくさいわよ?」
「うん」
「厳しいわよ? ヘマなんかしたら許さないからね?」
「もちろん」
「……もし、復帰してもダメだったら、どうするの?」
「その時になったら一緒に考えよう。どんな道でも君はやっていけるよ」
「なにそれ。無責任極まりないわね」
「いや、信じてるんだ。君のことを。君は葵の花と同じように、どんな色にでも輝けると思ってるから」
俺の言葉を聞くや否や、葵はそっぽ向いてしまう。
「なんなのよ……それ。ほんと臭すぎ。自分で言ってて、恥ずかしくならないの?」
「ははは……正直、ちょっとだけな」
「ふふっ。恥ずかしいんじゃない。あんまり変なことは言うもんじゃないわよ?
そういうと、急に葵は立ち上がった。
紅潮した頬が、真剣な眼差しが俺の瞳に映る。
そして、気づく。
今までくすんでいた瞳が……アイドル時代のように、また輝いていることに。
「いいわ。そこまで言うなら、責任とってもらうから」
「っ! それって……」
「うん。私のアイドル人生――とことんプロデュースしてもらうから」
葵は俺の手をとって、ぎゅっと握りしめてくる。
だから俺も同じように握り返した。
「よろしく葵」
「よろしくプロデューサー」
※
葵との契約が成立した翌日。
テレビでは「夕日葵 電撃復帰! 緊急記者会見」と銘打って、大々的にニュースになっていた。
記者会見の録画をベッドの上で見ていると、誰かがガラッとドアを勢いよく開けてくる。
ドアの方を見ると、そこには鬼の形相をした名取の姿が。
「おー、名取か。夜遅くにわざわざ来てくれたのか?」
わざとらしく俺は声をかける。
あいつがここに来た理由は、なんとなくわかっていた。
しかし、俺はあえてすっとぼけることに。
俺のそんな態度が気に触ったのか、名取はギリっと歯ぎしりしてイラついていた。
名取はビシッとテレビを指差す。
「先輩っ……! なんなんですか、これは!」
「おう。夕日葵復帰するんだってな。よかったな」
「そうなんですよ! こんなの聞いてないですよ!」
「聞いてないって、何が?」
「だって復帰したら、俺に事前に連絡がいくはずなんですよ! しかも、彼女の担当は俺じゃなくてあんた!? どういうことなんですか!?」
「単に俺の手が空いたからじゃないのか? 何をそんなに動揺してるんだよ」
「そんな訳ないんですよ! 葵ちゃんは、俺が担当することに決まってたんですから!」
やっぱりあの噂は本当だったのか。
俺の担当だけじゃなくて、葵にまで手を伸ばしてるとは……。
逆に感心する。
コネを使った手回しとか水面下での勧誘とか、その行動力だけは尊敬してもいい。
「それなのに……葵ちゃんは、あんたがプロデューサーじゃないと復帰しない。事務所をやめる覚悟だってあるって、そう言ったらしくて……。ああ、マジ意味わかんねぇよ……」
頭をぐしゃぐしゃにかき回す名取。
相当、イラついているみたいだ。
まあでも、そうだろうな。
いつも馬鹿にしていたやつに、本命をとられたんだから。
しかし、これでようやくこの生意気な後輩に一矢報いてやった。
性格が悪いのかも知れないが、正直嬉しい。
やってやったぜ、という感じだ。
なんて妙な優越感に浸っていると、名取はギロリと俺を睨んでくる。
「なあ、あんた? いくら積んだんだよ?」
「……は? 何いってんだお前」
「だって、それくらいしか思いつかないだろ! それともなんだ? 彼女を脅したりしたのか? おい、どうなんだよ!」
俺はため息を吐いた。
そんなことをしていると思われてるのか……。
俺がどれだけ舐められているのかがよくわかる。
「お前が考えているようなことは、なにもしてない。ただ手を差し伸べただけだ」
「はあ!? なに言ってんだ? 意味わかんねーよ!?」
名取は俺の
そして、グッと俺を力づくで引き寄せてくる。
「あんた今から降りてくれよ……!」
「……」
「あんたじゃ彼女は手に余りすぎる。俺なら、いや、俺しか彼女を――」
「うるさいわね」
それは突然だった。
名取の言葉を遮るように、凛とした通る声が病室に響き渡る。
この聞き慣れた声。
その正体は勿論、
「あ、葵ちゃん? ど、どうしてここに?」
「お見舞いにきたからに決まってるじゃない。
私というところを、わざとらしく強調して言う葵。
名取は俺から手を離して、笑顔をつくる。引きつってはいるが。
「な、なあ~葵ちゃん」
「なによ」
「どうしてあいつがプロデューサーなんだ? 俺のほうが大きな仕事もたくさん取ってこれるぜ? 俺のほうが、絶対良いと思うよ?」
「それが?」
「え……? い、いや、他にもトレーナーとか最高の人材を揃えることだって」
「いらない」
「うぐっ……。じゃ、じゃあ、何が望みなんだ? 君のためならなんだってするよ?」
その言葉に葵は「へぇ」と興味を示した。
「今、なんでもするって言ったわよね?」
「う、うん。君のためなら俺はなんだって叶えてあげるよ!」
「じゃあ、死んでくれる? 一緒に」
「……へ?」
ぽかんと呆ける名取。
その顔はこれまで見たことのないくらい間抜けな顔だった。
「し、死ぬって……。じょ、冗談きついなあ……」
「あら? 私のためにはなんでもするって、そういったじゃない?」
「言ったけど……。流石に死ぬのは……」
「あっそ。じゃあ、ダメね」
「そ、そんな……」
葵の言葉に、名取は真っ青な顔になる。
しかし、それも一瞬。
今度は眉間にしわをつくって、怒りの表情に。
「し、死ぬとか出来るわけないだろ! 大体、それなら先輩だってダメだろうが!」
「あら、どうして?」
「だって、先輩だって死ぬだなんて、無理に決まっ――」
「できるわよ。この男は」
「…………は?」
「この人が入院した理由、あんたしらないの?」
「し、知らないけど」
「この男はね。私と一緒に事務所の屋上から飛び降りたのよ」
「は、はあ!? う、嘘だろ?」
「嘘だと思うなら、病院の人に聞いてみればいいわ」
毅然とした態度で言い切る葵に、名取は思わず押されてしまう。
そして葵は「あ、そうそう。ムカついたから言っておくわね」と名取に近づき、ビシッと指をさした。
「私のために死ぬ覚悟がないやつが、死ぬ覚悟のあるやつを馬鹿にしてんじゃないわよ。あんたなんかより、この人のほうがよっぽど素敵だから。人間としても、プロデューサーとしてもね」
愛するアイドルからそう言われた名取は、もう泣きそうな顔に。
まるで死刑宣告をうけたかのように、絶望の表情をしていた。
「いや……でも、俺は君のファンクラブの会長で――」
「うるさい」
葵はピシャリと名取の言葉を遮る。
「これはもう決定事項なの。外野がごちゃごちゃ言うんじゃないわよ」
「ぐっ……」
それがチェックメイトだったのか。
名取は「くそがっ」と吐き捨てて、出ていった。
……なんというか、嬉しいな。
名取がコテンパンにやられたことがじゃない。
葵が俺のことを認めてくれていたことがだ。
これまで歩んできた人生が。
辛くて、しんどくても、頑張ってきた人生が。
なんだか報われたような気持ちになる。
それが本当に嬉しかった。
「……ありがとな」
「何よ急に。別に礼を言われるようなことじゃないと思うけど」
「それでも言いたんだ。ありがとう」
俺が笑顔でそういうと、なぜか葵は顔を真っ赤にする。
「……っ! あ、あっそ! それなら良かったわ!」
耳まで真っ赤にした葵は、ドカッと乱暴に椅子に座った。
……なにをそんなに怒っているのだろうか。
そんな疑問で口が開く前に、葵は俺に質問してきた。
「そういえば、電話の件はどうなったのよ?」
「ああ。今度、正式に話し合いをしたいって」
「ふーん……そっか」
電話の件というのは、葵の両親とのことである。
俺はまず彼女の周りに生えている雑草(問題ごと)を抜くことにした。
アイドルとして復帰したときに、また両親がすり寄ってくるとしたら、彼女のアイドル活動の邪魔になるかもしれない。
だからその芽はあらかじめ潰しておく必要があった。
なにより葵自身が、両親と元の関係に戻りたい。そう言ったのだ。
だったら俺は全力でそれをサポートするだけである。
「怖いか?」
「……そりゃそうでしょ」
そういって小さくつぶやく葵。
さっきまでの強気な彼女はいない。
ただ一人のかよわい少女がいるだけだった。
俺はそんな彼女の手を優しく握ってあげる。
勇気を分け与えてあげられるように。ギュッと。
「大丈夫。俺も一緒だから」
「う、うん……」
葵はその赤い顔を、更に真っ赤にする。
どうしたんだろう。こんな葵は初めてみた。
風邪……というわけではなさそうだし。大丈夫だろうか。
なんて考えてると、ピンポーンと院内放送が鳴る。
どうやらもう面会時間が終わってしまうようだ。
「もうこんな時間なのね……」
「そうだな。もう帰らなくちゃな」
「……そうね」
葵は目を伏せて、どこか寂しそうな表情に。
「……なあ、よかったら外まで見送りするけど」
「べ、別に大丈夫よ。あんたは無理せず寝てなさい」
「そっか。じゃあ、またな」
「……うん」
葵はバッグを持って立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする。
その美しい後ろ姿を見送っていると、ふと葵は立ち止まって、くるっとこちらを向いた。
「あ、あのさ……その……」
葵は手をもじもじとさせながら、なにか言いたげな表情をする。
恥ずかしがっているような、でも勇気をだそうとしているような。
そうしてもじもじしていること、数秒。
葵は意を決したような顔に。
「ありがと、ね。本当に……感謝してるから……」
真っ赤な顔の葵はそういうと、「そ、それじゃあね!」といって小走りで病室を出ていった。
彼女の言葉に、俺はポカーンと呆けてしまう。
「ズルいだろ……あれは……」
俺はバタッとベッドに倒れて、しばらく放心状態になって動けなかった。
ドキドキという心臓の音が、俺の体の中を響き渡る。
結局、その夜は彼女の顔を思い出して、中々寝付けなかった。
※
それから俺は葵のサポートに尽力した。
両親との話し合いでは、間に入ることで葵をサポート。
しかし、肝心の両親が葵に対して、「復帰したけど、アイドル活動はどうなんだ?」「また前みたいにバリバリできるのか?」と質問攻めをしてきた。
それに押されている葵を見て、俺はついキレてしまう。
「あんたらな! アイドル活動、アイドル活動って……この子の心配はしないんですか!?」
「この子は自殺する一歩手前までいったんですよ!? 親としてなにか思うところはないんですか!?」
「アイドルとしての彼女じゃなくて、一人の人間として見てやってください……! お願いします」
今では少し激情に身を任せすぎたと反省しているが、これが効いたのかその後の話し合いはまともに進んでいった。
長い話し合いの末、両親も反省し、葵の気持ちも理解してくれた。
これからは過度な期待もかけないし、お金もつかわない。
また、アイドル以外の道に進むとしても、それを応援することを約束。
そして、今すぐは無理だが、しばらくしたらまた一緒に住もうということになった。
話し合いが終わった帰り道、葵は俺に肩によりかかってくる。
葵はポツリと小さな声で「あの時、怒ってくれてありがとう……」と俺の手をぎゅっと握ってきた。
俺はその手の柔らかさにドギマギしながら、次も頑張るぞと気合を入れ直す。
次の雑草抜きは、いじめ問題についてだ。
どうやらこの問題は思ったよりも根深い問題らしい。
いじめの主犯格が学園の理事長の娘ということで、葵も大人しくいじめを耐えることしかできないみたいだ。
そんな時、どうすればいいか。
答えは簡単だ。
理事長よりもっと上の権力を利用すればいい。
「お願いします!!!!」
俺はとある大御所芸能人の前で土下座をした。
額を地面に思いっきり打ち付けたせいで、血が額から
「学園の創始者であるあなたしかいないんです! 葵……いや、学園の秩序を救うことができる人は!」
「そのためなら俺はなんだってします! 死んでもいいです!」
「それに、あなたも嫌じゃないんですか!? 自分が作った学校でいじめが起きてるなんて! 悲しくならないんですか!?」
何度も何度も説得を重ねることで、大御所は動いてくれた。
しかも、葵が実際にいじめられている現場に。
わざわざ学園まで足を運んでくれてまで、注意してくれたのだ。
そのおかげで理事長の娘は大人しくなったらしい。
また理事長にはいじめ現場を盗撮した動画をみせ、大御所が「このままだと出資を打ち切る」というと、今後はこのようなことがないようにと再発防止を約束してくれた。
しかも、なぜか俺は大御所に気に入られたみたいで。
大きな仕事とかを振ってくれるようになったり、俺たちを食事会に呼んでくれるようになった。
これは嬉しい誤算である。
そして葵には抱きつかれて、思いっきり泣かれた。
ありがとうと泣きじゃくる彼女を受け止め、優しく背中をさすってあげる。
これで……ある程度、雑草抜きは終わったかな……。
あとはプロデューサーとして色々動いた。
元人気アイドルの葵は、やはりどこの局からも引っ張りだこで、仕事をコントロールするのに奔走してしまう。
それでも彼女と相談しながら、なんとか日々の仕事をこなしていった。
雑草を引き抜いたあとの彼女は、とても晴れやかな表情で仕事をこなしていく。
どんどん下から花を咲かせていく彼女は、まるで葵の花のようで。
俺はその姿にほっと安心しながら、彼女が再度芸能界のスターダムを登っていくのをサポートする。
また、それと同時に俺は事務所内での地位をあげていった。
それが葵と一緒に成長しているみたいで、なんだか凄く楽しくて。嬉しくて。誇らしい。
そして、梅雨は明け、もうすぐ夏がやってくる。
※
とあるオーディション会場。
そこはかなり大きめの野外ステージで、観客も何百人と詰めかけていた。
葵はその光景を舞台袖で見つめる。
「うわぁ……。予選だっていうのに、結構なお客さんね……」
「そりゃ、この予選は特別だからな。全国TVで放映されるレベルだし」
このオーディションは、「歌姫
「大丈夫か? 緊張してるのか?」
「馬鹿。そんなわけないでしょ。これはワクワクしてんのよ」
そうニヤリと口角を上げる葵。
俺はその表情を見て、ほっとする。
テレビ出演ばかりで、オーディションは久しぶりだったため、緊張しているかなと思ったが……どうやら
「よし。じゃあ、思う存分暴れてこい!」
「ええ。見ててねプロデューサー。私のアイドルっぷりを!」
片手でハイタッチして、俺は葵を送り出す。
そして、葵のオーディションが始まった。
結論から言おう。
葵は予選を突破した。それもぶっちぎりの一位で。
審査員票も視聴者票も、他のアイドルたちにダブルスコアをつけた。
予選会の話題をかっさらって、オーディションは無事終了。
俺は結果発表が終わって、控え室で休んでいた葵に水を渡す。
「お疲れ様、葵」
「ん。ありがと」
「よくやったな。なにかご褒美あげたいくらいだ」
「……じゃあ、頭なでて」
「え? そんなのでいいのか?」
「いいから。さっさとする」
「あ、ああ……」
そう言われて、俺は葵の頭を優しく撫でた。
すると、彼女は目を細めて気持ちよさそうにしている。
こんなものでいいのだろうか。
ほんとなら美味しいところにでも、食べに連れて行ってやろうと思ったのに。
まあ、葵が満足してるなら、それでいいけど――
「「「プロデューサー!」」」
突然、控え室に誰かが入ってきた。
金髪のギャル。
黒髪ロングの真面目そうな少女。
小柄で気弱そうな子。
それはデルタトライアングルのメンバーだった。
彼女たちは三人とも疲弊した表情をしている。
「ひ、久しぶりだな。元気か?」
といってみたが、どうみても元気ではない。
髪もボサボサで、メイクも剥げ落ちている。
目にはクマもあったり、明らかに睡眠不足の状態だった。
俺がプロデュースしていたころとは、全然違う三人の姿。
そんな三人は、同時にバッと土下座してきた。
真ん中にいるイズミが口を開く。
「私たち、プロデューサーの担当に戻りたいです……。今更、気づきました。プロデューサーが、どれだけ私たちのことを考えて行動してくれていたか」
震える声でそう言うイズミ。
俺はその言葉に思わず嘆息してしまう。
風の噂では聞いていたことだが、名取のコネで大きな仕事を任されるようになったイズミ。
しかし、やはりイズミにはまだ早かったのか、仕事で失敗を繰り返してしまい、今ではコネを使っても仕事が来なくなってしまったらしい。
また今回のオーディションでは転んでしまったりと、ひどい有様で。
正直、見ていられないくらいだった。
「マミも戻りたいかも~。なんか最近、名取っち怖いし。かっこよくないし。正直、幻滅しちゃって~」
あの後、名取は俺に葵を取られたショックで、めちゃくちゃに荒れてしまっていた。
そのせいか、彼はどんどん仕事漬けになって、身なりとかも気にする余裕もなくなってしまっており、今では肌も荒れ、太ってしまっている。
仕事も上手くいかないため、事務所内での地位はどん底。
そんなストレスからどんどん底なし沼にハマっていく彼に、あの頃のイケメンだった面影はもうない。
「わ、私も……。なんだか名取さんは放任主義というか……、全然私たちのことを見てくれないんです……。だからか、どれだけ仕事やレッスンを休んでも、何も言ってこなくて……。正直、なにもやりがいも感じられないんです……」
今度はユキが顔をあげて、涙目でそう語る。
「「「だからお願いします。もう一度、プロデューサーのもとでやり直させてください」」」
そう頭を下げられ、俺は動揺してしまった。
正直、あれだけこっぴどく裏切られて、担当に戻りたいというのは虫が良すぎる話だ。
でも、だからといって、ちょっと前まで育ててきた彼女たちを救ってあげたいという気持ちもあったりする。
……俺はどうすればいいんだ。
「ふざけないで」
なんて俺が悩んでいると、葵が三人の前に出てくる。
「今更になって、よくそんなこと口にできたわね。自分たちの身勝手でプロデューサーを捨てておいて、都合が悪くなったらこうして頭をさげてくるとか。恥ずかしくないの?」
「そ、それはわかってます。でも――」
「黙りなさい」
ピシャリとイズミの言葉を遮る葵。
その冷たい声色に彼女たちはビクッと怯える。
葵は大きくため息を吐いて、ギロリと三人を睨みつけた。
「ねえ、あんたたち知ってる? この人がいつもどれだけ残業しているか」
「い、いえ……」
「じゃあ、いつも昼休みを削ってまで、プライベートを削ってまで。アイドルのことをずっと考えて動いているのを知らない?」
「……」
「なんにも見てないのね。この人のこと」
葵はビシッと三人に向けて、指をさす。
「そうやって人生を削ってまで、一生懸命育ててくれた恩を……アイドルに対する情熱を踏みにじったのよあんたらは。そんなやつらが担当に戻りたい? 馬鹿にしないで。あんたらがこの人にプロデュースされる資格なんてない!!」
「ひっ……」
滅多に見せない葵の怒鳴り声に、三人は完全に萎縮してしまった。
葵は「ふん」と鼻息を鳴らすと、俺の腕を引っ張ってくる。
「さっ、もう帰りましょ。こんな所にいても、意味ないわ」
「お、おう……」
「ま、待ってください!」
俺たちが控え室を出ていこうとすると、イズミが俺の手を掴んできた。
「ぷ、プロデューサーはどうなんですか?」
「お、俺?」
「私たちを育ててくれたじゃないですか! そんなアイドルたちが今こうして苦しんでいて、助けたいとか思ってないんですか!?」
イズミの言葉に、俺の頭の中で何かがぷちっと切れる。
なんだよ……その言い方は。
まるで俺がお前たちを助けて当然みたいな言い草じゃないか……。
俺はこんな奴らのために、あの時頑張ってきたのか? ふざけるな。
俺はイズミの手を乱暴に振り払う。
「君たちの担当は名取だろ? そうやって、また自分たちのプロデューサーを裏切るのか?」
「う、裏切ってなんか……」
「いや、裏切りだ。名取が苦しんでるなら、助けてやれよ。それに無責任だろ。名取についていこうとしたのは、自分たちがした選択じゃないのか?」
「そ、それは」
「なんと言おうと、俺はもう君たちをプロデュースする気はない。名取のところで頑張ってくれ」
「そ、そんなぁ……」
そういって泣き崩れる三人。
俺たちは黙ってその場を後にした。
これで本当のお別れだ。
俺には葵をアイドルのてっぺんまで花を開かせるという使命がある。
過去とはもう決別するんだ。
俺は先にいく。前を向く。
さよなら、デルタトライアングル。
※
俺たちはオーディション会場から出て、繁華街に向かって歩き続けた。
太陽が沈んでいく中、お互い無言のまま進み続ける。
そうして十分ほど経ったころだろうか。
葵はふと人気のない住宅街の途中で立ち止まる。
「どうした?」
「ここ……私が友達とダンスの練習してたところだ」
「へぇ、そうなのか」
「……懐かしいな。私、ここで前のプロデューサーにスカウトされたのよね」
そこは小さな公園だった。
ブランコもなにもない。錆びたベンチがあるだけの殺風景な公園。
葵は俺の手を引っ張って、上目遣いでこちらを見つめてくる。
「ねぇ、ここで一回踊ってみてもいい?」
「え。でも、人が来たら」
「ここは滅多に人なんて通らないから大丈夫よ。それとも見たくないの? あんただけの臨時特別ライブ」
「……正直、見たい」
「でしょ? ほらほら、そこのベンチに座った座った!」
上機嫌の葵に背中を押されて、俺たちは公園の中に入った。
俺はベンチに座る。目の前には葵がいる。
葵は目を閉じ、すぅーっと深呼吸。
そして、ぱっと目を見開く。
その瞳はいつもの葵の目ではなく、アイドルとしての葵の目だった。
……よくよく考えると、凄く贅沢だな。
今をときめく大人気アイドルが、俺だけのためにライブをしてくれるんだから。
ただのファンだった大学時代からは考えられない。
なんだかそれだけで、目頭が熱くなるのを感じた。
「こほん。それじゃ、いくわよ?」
「……おう」
「なんて顔してんのよ」
「す、すまん」
「ふふっ。別にいいわよ。それだけ嬉しいって思ってくれてる証拠でしょ? 悪い気分じゃないわ。あ、でも手拍子とかしなくていいからね?」
「え、ライブなのに?」
「いいから! 黙って聞いててほしいの! ……いくわよ!」
そうして葵は歌い始めた。
周りに配慮して声は小さめだが、それでもよく声が通る。
彼女の踊りと相まって、アカペラだと思わせないくらいに惹きつけられた。
――あなたはいつも支えてくれた。いつも助けてくれた。いつも一生懸命だった。
そこでふと気づく。
歌詞が普段歌っているものと違っていることに。
――あなたのその笑った顔が眩しかった。あなたのその怒った顔が頼もしかった。
でも、特段気にはしなかった。
それくらい彼女の歌に。ダンスに。美貌に見とれていたから。
――私、あなた……いや、あんたのことが、
葵はビシッとを俺に指差す。
「好きです」
「……え?」
「あんたのことが好き。もうどうしようもなく好き。あんたなしじゃ、もう私の人生考えられないくらい好き」
「え、ええっ!?」
ど、どういうことだ? あ、葵が……俺のことを好き!?
いや、意味がわからない。
あの人気アイドルの夕日葵が俺のことを……?
いやいやいや、理解は出来ても納得はできん。
「ど、どうして? 俺なんかを……」
「あのね。どれだけ私があんたに救われたと思ってんのよ。あれだけされて、好きにならないわけないでしょ」
「そ、そうなのか……?」
全然納得のいかない俺に対し、葵は「この
「まあ、いいわ。で、どうなの?」
「え、何が?」
「返事に決まってんでしょ! 馬鹿なの?」
「あ、あー……そういうことか……」
とはいっても、正直困ってしまう。
もちろん嬉しい。めちゃくちゃ嬉しいことは確かだ。
しかし――
「ごめん。いきなりすぎて、まだちょっと受け止めきれない」
「……」
「それに君はアイドルだ。もし付き合ってることがバレたら、トップアイドルも諦めなくちゃいけないかもしれないし……」
そうなのだ。
もし、万が一スキャンダルになってマスコミに取り上げられた時。
彼女の、いや、俺たちが積み上げてきたものがすべて壊れてしまいかねない。
そう考えると、残念だがリスクはなるべく消すべきだと考えた。
俺はそんなビジネス的な理由で、彼女の好意を踏みにじってしまったことに申し訳なさを感じる。
しかし、葵は断られたにもかかわらず、なぜか上機嫌に口を開いた。
「ふふっ、そういうと思った! やっぱりアイドル馬鹿ね、あんたは」
「す、すまん」
「なに謝ってんのよ。そーいう真面目なところも好きなの。それに別にまだダメって決まったわけじゃないでしょ?」
葵は頭上に左の拳を掲げる。
そして人差し指を立てた。
「私、絶対トップアイドルになってみせる。そして、またあんたに告白する」
夕日が後光のように彼女を照らす。
その光景は、どこか神々しくて、眩しくて。
「私の生きる意味、あんたに決めたから」
まさに神が作り出した最高のアイドルは君なんだって。
そう本能で感じてしまう。
「覚悟しててよね? 私、本気だしたら凄いんだから」
ギラギラと燃え上がる瞳で俺を見つめる葵。
そんな彼女に対して、俺は笑って「知ってる」と返した。
俺の言葉に葵もふふっと笑う。
そうしてお互い笑い合っているうちに、今日も太陽は沈んでいった。
どんどんと周りの空が、夕日が群青色に染まっていく。
俺はこの綺麗な夕焼けを見て思う。
きっと世界は彼女色に染まっていくに違いない、と。
この青い夕日のように。
どこまでも、これからも。
彼女は青く輝き続ける。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
人は1人じゃ何かを成すことは凄く難しいです。
誰かの支えがあってこそ、人生に花を開かせることが出来るのです。
また、人とは大事なものを失ってから、初めてその重要性に気づくものです。
そんな教訓を込めての作品になっております!
面白かったと思った方、もしくはこれからの2人の活躍と恋の行方を応援してくれる方は、下の☆☆☆☆☆を押して評価して下さると嬉しいです!
よろしくお願いいたします!