オーバーナイト
獣人達は、嬉々として穴掘りに熱中していた。
ついこの前までは、チャベレス鉱山で強制的に穴掘りをさせられていたから、王都の柔らかい土を掘るなど彼らにとっては容易い仕事だ。
掘った土は、麻袋に詰められて穴の外へと運び出され、そこで丸められ遠くに見える王都ゴルドレーンの城壁目掛けて投げられる。
城壁にぶつかった土は、重さを支えきれなくなると剥がれ水堀へと落ちた。
獣人達が恵まれた体格に身体強化魔法まで使って作業に熱中しているから、丸めた泥団子を投げ込むという作業だけで堀が埋まり始めている。
既に水面の上まで土が顔を出し始めているが、その上を歩いて城壁に辿り着くのは不可能だろう。
まだ投げ込まれてだけで、思いっきり水を吸った状態だから、体重を掛ければ沈み込んでしまうはずだ。
それでも堀が埋まり始めている状況は、守る方からすれば脅威である。
アルマルディーヌ側の狼狽振りが、獣人達の作業に拍車を掛け、土掘りに参加する人数が増えると更に作業速度が上がった。
「このまま、今夜中に堀を埋めてしまうぞ」
「いやいや、いっそ城壁の上まで届かせて、一気に乗り込んでしまおう」
「城壁の上まで届くのと、穴が中まで届くのと、どちらが早いか見ものだな」
獣人達は、日が落ちると穴を掘っている周囲に篝火を焚き、城壁の兵士達に作業の進捗を見せつけていた。
時折、城壁上の兵士が攻撃魔法を撃ち込んで来たが、距離が離れているので致命傷を負うような威力は無い。
風属性の刃も、水属性の槍も、距離が離れるほどに形が崩れて威力を失うのだ。
火属性の魔法だけは燃やされる心配があるが、それも木箱の蓋で叩き落とせる程度まで威力が落ちている。
こちらの工作は順調に進められ、相手の攻撃は届かない。
獣人達は、自分達の置かれている状況に安心し、油断しきっていた。
千人以上の獣人が集まって、穴掘り、泥団子投げに熱中していると、突然昼間になったのかと思うほど周囲が明るくなり、次の瞬間巨大な火球が降って来た。
「て、敵襲……うぎゃぁぁぁ!」
「熱ぅ……助けてぇぇぇ……」
地面に衝突した火球は、道路に落ちた水風船のように弾け、一瞬で辺りを火の海に変えた。
獣人達は地面を転がって火を消そうと試みたが、その地面に炎が広がったままなので全く意味が無かった。
身体を焼かれる熱さに絶叫し、吐き出した息を吸おうとして喉を焼かれ、炎に巻かれた者は次々と息絶えていった。
更に、火の海に照らされた人影に向かって、城壁から第二射、第三射が撃ち込まれる。
「離れろ! 全員城壁から離れろ!」
「退避! 退避ーっ!」
アルマルディーヌが使った集団魔法は、同じ属性の者が5人集まり、4人が魔力を注ぎ、残りの1人が制御して発動させる。
個人で撃ち出す攻撃魔法に較べて、威力も射程も大きく上回る。
ただし、発動までに時間が掛かるので、動いている目標には基本的に使えない。
今回は、獣人達が穴を掘っている所を見せつけようと焚いた篝火が、格好の目印にされたのだ。
更に着弾地点を中心として、その周囲に向かって集団魔法が打ち込まれた。
立て続けに5発撃ち込まれたアルマルディーヌ兵による集団魔法によって、4千人以上が炎に巻かれて命を落とした。
ただし、そのうちの3分の2以上がエウノルムからの避難民だった。
暗がりの中で、揺らめく炎に照らされた人影が、人族か獣人族かなど離れた城壁の上から確認するのは不可能に近い。
そもそも目標を設定していた兵士は、最初から人族の有無を確認するつもりが無かった。
何人ぐらいが獣人族に囚われているか分かっていないが、小出しに解放された者達を門の前で焼き殺す措置を繰り返し、守備している兵士の精神が削られていた。
敵国の民ではなく同じ国に暮らす人族を、王都を守るという理由があるにしろ、切り捨てて殺すという措置は強い罪悪感を伴った。
あの状況が繰り返されるのであれば、いっそまとめて一思いに……という考えに囚われるのも無理はないのかもしれない。
集団魔法を撃ち込まれたテーギィ達は、陣地をこれまでよりも倍以上城壁から離れた場所へ移動させた。
獣人達の損害は千人程度だったが、夜中だったので正確な数が把握出来ていない。
人数よりも炎に巻かれて苦しみ悶えて死んでいく仲間の姿が、強烈な印象として残った者達の脳裏に焼き付いてしまった。
「テーギィさん、突っ込みましょう。このままやられるのを待つより、思い切って突っ込むべきです」
「まぁ待て! 少し落ち着け。これまでが上手くいきすぎていただけだ。アルマルディーヌの王族の首に手が届く所まで来ているんだ。当然、相手の抵抗も強くなる。この程度で浮足立っていたら、ギュンターの思う壺だぞ」
テーギィに諫められて、若い馬獣人は口を噤んだが納得がいかないようだ。
「それに、我々には、やるべき使命が残されている。思い出せ、途中で別れた同士達は、どこに何をしに向かった?」
「あっ……」
「ドード達は、今頃は繁殖場に着いている頃だろう。もしかすると、もう仲間を救い出しているかもしれん。だが、彼らの役目は救い出して終わりじゃない。これからアルマルディーヌ王国を突っ切って、サンカラーンまで戻らなければならない。彼らが無事にサンカラーンに辿り着くまでは、我々がここで暴れてアルマルディーヌの連中の目を引き付ける必要がある。一時の感情に流されて、大局を見失うな。我々が、ここに居座るだけでも、ドード達の生還率が上がるのだ。だから……焦るな」
「はい」
テーギィに、自分達の役割を再認識させられ、今度こそ若い馬獣人は納得したようだ。
「でも、どうしますか? やられっぱなしというのも……」
「そうだな、ならば奴らの目を潰そう」
「目って、こんな遠くからですか?」
「奴らは我々のように夜目が利かない、だからあの明かりを潰す」
テーギィが選んだ作戦は、またしても投石だった。
ただし、これまでよりも小さめの石を使う。
大人の拳の半分程度の石を選び、10個ほどを手拭いに乗せて両端をまとめて握って振り回し、タイミングを計って片側だけを放すと、包み込んでいた石が飛んで行く。
これまでの投石が砲弾だとすれば、今度の投石は散弾だ。
「集団魔法に狙われないように、ばらけて投石を行え。狙うは投光器、どこに設置してあるものでも良い。全体の数が減れば手薄になる場所が必ず出来る」
距離にすると、100メートル以上離れた場所から、勘だけを頼りに投げるのだから、簡単には命中しない。
その代わりに、城壁で見張りを行っている兵士達も、防ぐ手立てがなかった。
「ぐぁ……」
「おい、どうした? くそっ、敵襲! 獣人共の投石だ! 城壁の陰に入れ!」
いくら拳の半分程度の石とは言え、獣人達が身体強化まで使って投げて来る物が、安全であるはずがない。
頭に直撃を食らった兵士は、革の兜を被っていたが衝撃で昏倒した。
ガツガツと石が城壁に衝突する固い音に混じって、ガシャーンと何かが割れる音が響いた。
「投光器をやられた。予備を持って来い! 予備が無ければ、周りの投光器の向きを変えてカバーしろ!」
獣人達は、場所を移動しながら投石を繰り返し、1時間に2、3個のペースで投光器が壊されていった。
テーギィは投石を繰り返させながら、別の一手も同時に進めさせる。
行ったのは、水路の
王都ゴルドレーンを囲む水堀には、近くを流れる川から水を引き入れている。
その水を引き入れる水路には堰が設けられていて、ここから水堀周囲の草地に水が流され
泥濘を作っていた。
堰は王都の外にあったが、城壁から近く昼間では接近できない。
投石騒ぎを起こし、周囲を騒がしくしている間に、水路の中から接近して堰を破壊、水を草地ではなく掘にだけ流すように変えた。
これで天候次第だが、水路近くの草地は次第に乾いて、普通に歩いて接近が可能となるはずだ。
更にテーギィは別動隊を組織して水路と川との分岐点へ派遣、王都を囲む水堀に流れ込む水を断つ為に、水路の入口を埋めてしまうように指示を出した。
ただし、水路の幅は30メートル以上あり、簡単に埋まる規模ではない。
それでも、獣人族がその身体能力をフル活用して作業に取り掛かるのだから、10日もしないうちに水路は埋まるだろう。
堀の水が枯れたとしても、高い城壁に多くの兵士や冒険者が集まって防御を固めている。
簡単に攻略は出来ないだろうが、着実にその日は近づいているようだ。
一方、アルマルディーヌ王国の国王ギュンターも、無為に時間を過ごしていた訳ではない。
王都の中から、鳥を使って近隣の街へ指令を出していた。
王都で籠城を続けている間に、敵の後方を攪乱させる為の攻撃を指示したのだ。
水堀が枯れるのが早いのか、それとも王都に援軍が到着するのが早いか、事態は決着に向かって少しづつ進み始めていた。