虐待なし人族の小さな村
アルマルディーヌ王国には、二種類の獣人奴隷が存在している。
一種類は戦争奴隷、もう一種類は繁殖奴隷だ。
戦争奴隷は、アルマルディーヌの軍隊がサンカラーンの里へと攻め入り、降伏させた後に拉致してきた者達だ。
里の全滅を防ぐ代わりに、自ら奴隷となった者達のアルマルディーヌへの恨みは深い。
その為、一般社会に置くよりも一か所に集めて管理した方が良いという考えから、殆どの者がチャベレス鉱山へと送り込まれていた。
奴隷の首輪で縛られ、自分が反抗すれば里が危険に晒されるとなれば、過酷な労働に従うしかなかった。
それ故に、首輪から解放され、鉱山が制圧できると分かった後の行動には容赦が無かった。
身内を殺され、自らの誇りを踏みにじられた者達の報復が虐殺という形を取ったのだ。
もう一方の繁殖奴隷とは、アルマルディーヌの繁殖場で生まれ育った獣人の奴隷だ。
戦争奴隷とは違い、生まれた瞬間から奴隷としての宿命を背負わされて育つ。
奴隷という身分であるから、人族と同様の権利は与えられていないが、戦争奴隷のように根深い恨みを募らせている訳でもない。
アルマルディーヌ王国内で、荷運びなどの肉体労働を担う奴隷の多くが繁殖奴隷だ。
戦争奴隷と繁殖奴隷には微妙な違いがあるのだが、サンカラーンに暮らす者にとっては、どちらも屈辱的な存在であることに違いはない。
空間転移魔法を駆使するベルトナールという王子が現れた事によって、サンカラーンはここ数年戦争奴隷として多くの住民を奪われてきた。
戦争奴隷の奪還はサンカラーンの悲願ではあるが、繁殖奴隷を生み出す施設、繁殖場の壊滅もまた長年に渡って果たされないまま宿願となっている。
ドード率いる獣人1万6千人は、その繁殖場へ向けて進軍を続けていた。
王都へ向かう主要な街道から外れて進んでいるので、途中にある集落や村などは小規模なものばかりで、1万6千人もの獣人勢力に襲われれば一溜りも無かった。
繁殖場へと進む者達の戦術も、王都へと進む者達と基本的には同じだ。
明るい時間に襲う場合には、逃げ出す者が無いように包囲して殲滅する。
日が暮れてから襲う場合には、寝込みを襲い、騒がれる前に殲滅する。
獣人たちの軍勢の情報が無いまま、突然襲われれば抵抗する術は無い。
そもそも、繁殖場へ向かう道すがらの小さな村や集落では、情報が知らされたとしても逃げるしか対処のしようが無かった。
ドードが率いる軍勢も、殆ど損害を出さず、解放した奴隷を戦力に加えて繁殖場へと迫っていく。
そして、王都へ向かう軍勢と別れてから三日目の晩に襲撃したエルチットも、人口300人程度の小さな村だった。
夜が更けて家々の明かりが消える頃、足音を殺した獣人達が村に入り込み、一斉に家を襲った。
村にある家は100軒にも満たないので、単純計算すると1軒あたり200人近い獣人族を戦力として送り込める。
制圧が終わった家から明りが点され、村にある全ての家に明りが点くまでに30分も掛からなかった。
既に、繁殖場への道筋や、途中にある村や街、集落の規模に関する情報は得ている。
エルチット村の家々に押し入った獣人族が行ったのは、住民の捕縛ではなく殺害だった。
ただし、チャベレス鉱山で行われたような虐殺ではなく、声を立てさせないように口を塞いで心臓を抉るなどの淡々とした殺害だった。
住民の殺害を終えた後は、食糧や武器などの使える物の略奪と獣人奴隷の解放、そして休息を取って夜明けと共に次の街や村を目指すのが、いつものパターンだ。
ところがこの晩は、これまでとは様子が違っていた。
「なぜだ、なんで殺した!」
叫び声を上げたのは、奴隷の首輪から解放されたばかりの牛獣人の若者だった。
「俺達は
「ふざけるな! エルチットでは戦なんか起こってなかった。いきなりやってきて、勝手なことをぬかすな!」
「そうだ、俺達は平和に暮らしてたんだぞ!」
牛獣人の若者と同じように、解放された奴隷達は口々に襲撃を行った奴隷達を非難し始めた。
「どうした、何をやってるんだ?」
「あっ、ドードさん、こいつらが……」
「お前が親玉だな、この野郎……わっ、痛てて……放せ、放しやがれ!」
牛獣人の若者が殴り掛かったが、あっさりとドードに受け止められて腕を背中に捻り上げられた。
「こいつら、解放した連中なんですが、何で村人を殺したんだと言って……」
武器を持った獣人に囲まれているので手出しは出来ないようだが、粗末な服に身を包んだ解放された30人ほどの獣人は目を怒らせてドード達を睨み付けていた。
「よし、お前ら少し離れろ。それと、お前達は一旦座れ。これだけの人数差でやり合っても意味が無いことぐらいは分かるだろう?」
ドードが手下を遠ざけて諭すと、解放された者達も渋々といった様子で腰を下ろした。
「お前も座れ……座れ」
捻られていた手を解放されて牛獣人の若者は勢いよく振り向いたが、ドードに睨みを利かされると腰を下ろした。
「俺がリーダーを務めているドードだ。文句があるなら聞こう」
「俺の名はタオロだ、何で村の人達を殺した」
「俺達の存在を他の街や村に知られないためだ」
「そんなの殺さなくても口止めしておけば……」
「人族など信用できるか。殺してしまえば話せないし、後から襲って来ることもない」
「ふざけるな! 戦なんかお前らが勝手にやってることだろう!」
「いいや、違う。この村と同様にサンカラーンの里が幾つも襲われてきた。女、子供、年寄りが殺され、男達は奴隷として連れ去られた。戦は国同士が行っているものだ、この村とて部外者じゃない」
「だとしても、ここでは獣人も酷い扱いは受けていなかったし、村人を殺す必要なんてなかったはずだ」
「酷い扱いは受けていない? じゃあ、なんでお前は首輪を嵌められていた。奴隷扱いが、酷い扱いでなくてなんだと言うんだ!」
獅子獣人のドードに一喝されタオロは震え上がったが、それでも言葉を繋いだ。
「そ、そんなの仕方ないじゃないか……俺達は生まれた時から奴隷だったんだから……」
「ふむ……お前は繁殖場で生まれたのか」
「そうだ。繁殖場では兵士に殴られたり、蹴られたりしてたけど、この村の人達は暴力を振るわなかったし、ちゃんと食事も食わせてくれた。それなのに……」
繁殖場からエルチット村に連れて来られた時、キチンと働けば食事も休日も与えるし、暴力で従わせることもしないと村長から言われたそうだ。
そして実際、真面目に働いていれば殴られることも、蹴られることもなく、食事も休日も与えられたそうだ。
「それでも、お前らは奴隷として扱われていたのだろう。我々獣人族だって、普通の人間として生きる権利がある。サンカラーンでも、オミネスでも、罪を犯したり借金の返済を怠らなければ奴隷として扱われることは無いぞ。それは当然の権利だ」
「俺達が首輪をしていたのは、外してしまうと侵入者と間違われて、傷付けられる恐れがあるからだって村長が言ってた。いずれ、村人としての権利を与えることも考えているって……」
「いずれ……か、それはいつだ? これまで何年間アルマルディーヌ王国では獣人族が奴隷として扱われて来た? あと何年経ったら奴隷から解放される?」
「それは……それは分からないけど、村長は言ってた」
「その言葉を信じて、あの狭い小屋に閉じ込められていたのか?」
タオロ達が暮らしていた部屋は、6畳程の広さにさ3段ベッドが3つ置かれた共同部屋で、窓には鉄格子が嵌められていた。
小屋の出入り口も、木の扉のほかに鉄格子の扉があり、外から鍵が掛かるように作られていた。
「あれは、俺達が普通の暮らしをしていたら、他の村から来た人が王国に知らせて処分されるかもしれないからって……」
「だから、外から鍵を掛けられても納得してたのか?」
「だって……俺達が暴動を起こしたら、繁殖場のみんなも処罰されるから……」
「だから大人しくしていろ、今は我慢しておけ、お前達は恵まれているんだぞ……そう言われたんだろう?」
「そうだ、俺達は他の街や村にいる奴隷より、ずっと良い待遇を与えられてたんだ。それなのに、お前らが……」
「こんな扱いの、どこが良い待遇だ! 人は罪を犯さなければ、どこにだって行けるし、何をやって暮らすのも自由だ! その自由を奪う連中は敵だ! どんなに優しい語り口で話そうと、どんなに境遇が良いとアピールしようと、そいつらは、お前らを不当に縛り、搾取し続けていただけだ! お前らの服を見ろ、お前らの暮らしていた小屋と村人の家を較べてみろ、これが平等か? この扱いが良い扱いだと言うのか? いい加減に目を覚ませ!」
タオロと話をしているうちに、ドードは耐えがたい苛立ちを感じていた。
ドード達もチャベレス鉱山で奴隷としの身分に甘んじていたが、アルマルディーヌへの反発を無くした訳ではなかった。
今は奴隷の身に甘んじていても、いつかは自由を取り戻すという気持ちを捨てた訳ではなかった。
だが、タオロ達は奴隷の身分を受け入れ、あまつさえ自分達は恵まれているとさえ感じていた。
傍から見れば、どちらもアルマルディーヌに奴隷として扱われている事に違いは無いのだが、当事者であるドードにとっては大きな違いだった。
言うなれば、獣人族としての誇りを持ち続けるか、捨ててしまうかの違いだ。
「我々は、明日からも進軍を続けて繁殖場を壊滅させ、囚われている獣人族を解放する。お前らは好きにしろ。俺達と共に戦うも良し、王国のために俺らと戦いたければそうすればよい。ただし、俺達の邪魔をするのであれば、容赦なく斬り捨てる」
ドードはタオロ達に言い捨てると、部下達に明日に備えて休息を取るように命じた。
その場に残されたタオロ達は、今後の身の振り方を相談し始めたが、話し合いはなかなかまとまらなかった。
エルチット村にいる28人の奴隷は、全員が繁殖奴隷だった。
奴隷として生まれ、奴隷として扱われて育ってきた者達が、突然自由に生きろ、自分で選択しろと言われたのだから、迷うのは当然だろう。
そもそも、自由というものを知らない。
所有者から、あれをやれ、これをやれと指示を受け、終わったら報告し次の指示を受けることを繰り返して来た。
自分で考えて、自分で行動しろと言われても、どうすれば良いのか分からないのだ。
ドードの話を聞いた今でも、村人からは良くしてもらったという思いが残っている。
その村人達を殺したドード達に怒りも覚えているが、奴隷という身分から解放してもらったのも事実だ。
話し合いは、明け方近くまで続いた。
翌朝、出発の準備を進めるドードの所へ、タオロ達が姿を見せた。
「どうするか、決心はついたか?」
「あんた達と一緒に行く。でも、あんたらが正しいのか分からないから戦わない。その代わり邪魔もしない」
「ふん、随分と消極的だが……まぁいい、自分達の目で広い世界を眺めてみろ。その上で、何が正しくて、何が間違っているのか、自分達で良く考えてみろ」
「そうするつもりだ」
タオロ達28人は、丸腰のまま隊列の一番最後に加わった。
ドードの号令で動き出した一団は、更に人数を増やしつつ繁殖場へと近付いて行く。