集団ストーカーのはじまりから現在に至るまで
集団ストーカーの被害者になるきっかけには、様々なケースがあります。私の場合は、東京オリンピック開催決定当日に反原発サイト書いたコメントが原因で被害が始まりました。何故なら、その翌日から集団ストーカー被害が始まったからです。
被害が始まるのきっかけとなったコメントを書いた当時、私は夜勤工場に勤務する25才の世間知らずの青年でした。
本来政治に全く無関心でしたが、福島原発事故をきっかけに、このままではいけないと政治や原発問題にも関心を持つようになりました。被害が始まるきっかけとなったコメントは、夜勤明けにネットカフェで某反原発サイトに、思い付きで衝動的に書いたものです。
参考になるかどうかはわかりませんが、当時の流れをツイッターに書いていたので、それを修正して以下に載せます。
1.(上記説明のコメント書き込み翌日)被害初日の早朝から、自宅周辺や通勤道路で、マスクを着けて、チカチカ光るペンライトをもった不審者が、複数ランニングを始めました。
また、夜勤明けで今までがら空きだったJRの車内に、マスクと白いイヤホンを付けた不審者が大量に現れて、無断で私を撮影する者や、通りすがりに唾を吐く不審者がこの時期から急増しました。明らかに不審な人物も、増加しました。
2.黒塗りの不審車両による付け回し(特定のナンバー8888、666など)が開始されるようになりました。同時に、自宅上空にヘリが来るようになり、毎日の様に、救急車やパトカーが現れるようになりました。また、明らかに不審な車両(ナンバーが斜めについている)や、片目ランプの車両も急増しました。
3.自宅での状況を、会社でほのめかされることが増えました。例えば会社の社員が、会話の中で盗聴・盗撮をしていることをアピールしてきました。
さらに、今まで万年人手不足だった会社に、大量のアルバイトが入ってきました。
その中には、明らかに頭のおかしい人間や、逆に、根掘り葉掘り個人情報を聞き出す人間が多く含まれ、違和感を感じました。
4.被害が始まりしばらくすると、自宅周辺で工事が始まり、一夜にして、自宅からJR駅までのすべての通勤路に電灯が建てられました。これは、比喩ではなく、本当に一夜で、今まで真っ暗だった道がすべて照らされるようになりました。同時に、町中に不審な電線やアンテナが増えました。
5.田舎の町なので、監視カメラがない店も多かったのですが、私が通う全てのお店に監視カメラが設置されました。それも、死角が無くなる様に過剰に設置されて、今まで監視カメラが無かった職場にも監視カメラが導入されました。そして、会社のボロボロの送迎バスが、〇菱の新車になりました。
6.町中に、防犯ポスターと、公明党のポスターが張られるようになりました。
田舎にも公明党のポスターが多数張られました。あとでこれは、集団ストーカーS学会単独犯人説を広めるための情報操作だと知りました。
他の被害者のケースは知りませんが、私はS学会とは一切接点がありません。
理由はわかりませんが、近所に画一的に日本国旗を掲げる家が増え、近所の家の車の1台のナンバーが「666」になりました。
※私が気になったのは日本国旗ではなく、その国旗の形状・サイズが同一であり、掲げられた場所、角度まで一致されていたことです。
7.仕事を退職して、某M自動車工場に転職して、本社工場に配属されました。
ここは、前の会社とは異なり、部署そのものが工作員で占められていました。一部の大企業には、工作員で埋められた特殊な部署がある可能性があります。
私はネジ締めの作業をしていましたが、ネジの頭の数字が「88」でした。8という数字は、集団ストーカー加害勢力が多用する数字の様です。
8.いつごろからか、急にテクノロジー犯罪の被害が始まりました。
最初は、腕の筋肉を遠隔でピクピク動かされる程度の物でした。集団ストーカーが始まって、テクノロジー犯罪が開始されるまで、半年程度かかったと思います。テクノロジー犯罪の開始時期は、被害者によって異なるようです。
9.テクノロジー犯罪が激化し、頭部や心臓への遠隔攻撃が開始されました。その後、会社で、ある期間社員に心臓を攻撃され病院送りにされ退職しました。私が退職する前に、私を攻撃した期間社員は正社員に登用されました。
10.広島の県警本部に、被害を相談しに行きました。
担当者は大学ノートに数行メモするだけで、マニュアル通り、私にカウンセラーをすすめました。私の担当者は、マスクで顔を隠しており、不審な違和感を感じたのを覚えています。
警察に相談に行っても、相手にされずに、精神病院やカウンセラーをススメられるのは世界共通の様です。ですが、県警本部に相談後、器物破損の被害は激減するなど、良い面もありました。
11.近所に不審者が大量に引っ越してきました。
監視カメラが町中に増え続けると共に、集団ストーカーの数が半減しました。どうやら、監視網が出来上がり、人員を減らしたのだと思います。
その後、アンテナや不審な装置が町中に増えると共に、キャリーバッグや大きなカバンを持ち歩く不審者が半減しました。思考盗聴の被害も、町中の監視網が完成した後始まりました。
それ以前は、盗聴盗撮も旧来の手法だったらしく、こちらが対策をすれば(対策といっても、家で電子機器に触れずに、プライベートな会話を抑え漫画を読んでいただけですが…)、加害勢力は情報を得られていない様子でした。
思考盗聴技術は特許にもなっており、実在します。思考に合わせた、指向性エネルギー兵器による攻撃もここら辺から開始されました。
12.町中の監視システムが完成し、遠隔でのテクノロジー被害も日常的になり、集団ストーカーが負の状態で安定し始めました。その後も、少しずつ監視システムや、不審なアンテナ、不審な装置は町中や仕事場に増え続けました。
多くの被害者が指摘するように、加害勢力の拠点となる住宅がちらほら現れました。この時期から、流動的な工作員が激減し、定住型の工作員が増えました。
13.集団ストーカーが負の状態で安定したまま、転職したお菓子工場で働いていました。この会社の人はいい人が多かったです。どうやら、工作員の密度は、会社によって大きく異なるようです。ただし、工場内でのテクノロジー犯罪は非常に酷かったです。さらに、途中から派遣で工作員が大量に入ってきました。
被害が始まってからここまで、私はインターネットに一度も情報を書いていません。私がブログを始めるのは、もうしばらくたってからです。
14.この時期、どうすれば被害が終わるのか考えつつ、様子を見続け、貯金を貯め、株に投資ていました。この間、私はただゲームやアニメを見ながら働いていただけで、他には何もしていません。
15.複数の株を売却し、金鉱山株を買った直後、肉体の遠隔操作が始まりました。
その後、私は肉体を遠隔操作され、株を売却され、そのまま、それで得た資金で日本中を強制的に旅行させられました。
肉体を遠隔操作され、強制的に旅行した場所は、出雲大社、伊勢神宮をはじめ歴史的な神社仏閣や、古墳、遺跡ばかりです。例外として、沖縄の宮古島などにも行きました。そして、所持金が0になり、自宅に戻りました。
16.その後、私はネットを始め、集団ストーカーというものを知り、ブログを始めました。
そのまま数年が経ち、現在に至ります。
私は、被害が始まり1年以上、実はアニメを見たり、ゲームをしていただけで、他には何もしていません。一部の人は、私が過激な記事を書くから、過激な被害にあっていると勘違いしています。
17.私の場合、記事を書いても、書かなくても、被害は最悪の状態で安定しています。何をしようと被害が終わらないと理解し、死を覚悟し、私はブログ始め、記事を書き続けてきました。そして、現在では、肉体の遠隔操作が完成し、たびたび記憶を飛ばされています。
指向性エネルギー兵器による遠隔拷問、肉体の遠隔操作、脳への科学的干渉が激化して、半廃人になりつつあります。
現在は三十代前半で、体はすでにぼろぼろです。持てる力を振り絞り後世への遺言として、書籍を出版し、集団ストーカーのライブラリーサイトを作成しています。
まとめ
1.組織的なストーカーがはじまり、人海戦術を利用した精神破壊工作が行われた。
2.自宅周辺と町の改造が行われ、監視システムが構築された。
3.指向性エネルギー兵器による遠隔拷問を含む、テクノロジー犯罪が開始された。
4.私に対する集団ストーカーシステムの完成 負の状態で安定する。
5.テクノロジー犯罪と監視システムは強化され、肉体の遠隔操作など、新たな先端科学を利用した被害が加わり半廃人にされ現在に至る。
管理人のテクノロジー犯罪被害