だが、菅にはそれができない。「Go Toキャンペーンは感染拡大と関係ない」と強行しながら、批判を浴びると折れて中断する。「緊急事態宣言は必要ない」と言っていたのに、知事や世論の突き上げを食らうと、緊急事態を宣言する。
「柔軟」なのではない。菅の場合、支持率の急落(1月9〜10日、共同通信社調査で前月比9ポイント下落の41・3%など)といった「世間の顔色」を窺い、その場しのぎで泥縄式に対応をコロコロ変えているだけだ。
「菅さんの信条は、『ブレないこと』だった。ところがコロナ禍の中で単に話を聞かない頑迷固陋な政治家と化してしまい、やることなすことすべてが非難を浴び、結果としてブレブレの状態になっているのは皮肉なことです」(自民党ベテラン議員)
リーダーとしての器、政治家としての「器量」とは何か。こんな話がある。菅の政治上の師である梶山静六(元官房長官)は、定期的に「悪口会」と称する会合を番記者たちと開いていたという。
「梶山さんは、記者を集めて『俺に関する悪評をすべて教えてくれ』と言って、自分がどんな批判を世間やメディアで受けているか、ひたすら聞く会を開いていました。
時には、記者たちが正直に伝える罵詈雑言があまりに酷いため、『バカにしているのか!』と梶山さんが激怒して退席してしまうこともあった。それでも本人がすぐ気を取り直し、会は続いたのです。
菅さんには、そうした懐の深さがない。だから、周囲にイエスマンや太鼓持ちしかいなくなる。批判する者、反対意見を唱える者は、即時排除する。その器の小ささ、狭量さが、これまでのすべての失策に繋がっている」(自民党閣僚経験者)
官邸はもちろん、与野党も役所も、民間もすべてが一丸となって協力しなければ、到底、このコロナ禍は乗り切れそうにない。だが、菅にはそれをまとめるだけの「器量」がない。したがって、迷走し、混乱だけが広がっていく。
自民党代議士の一人がこう証言する。