「在日」も「NHK」も、ネットの一部の人達に非常に嫌われている存在であり、嫌われている人たちが犯罪に加担しているという情報は、まとめサイトにとってはアクセス増加のための餌となる。
そして後にそれが嘘だと分かった後も、まとめサイトが何らかの責任を負うことは無いし、またそうした情報を望む人たちも「疑われるのは普段の行いが悪いからだ」と主張して、自分たちの差別心を一切顧みようとはしない。
そうしたまとめサイトの供給と、ネットの人たちの需要の関係性から、「僕たちの大好きな日本は、在日やNHKに侵略されようとしている」という被害者意識が生み出されているのである。
京アニの事件が起きたときに容疑者が口にしたとされる「パクりやがって!」という言葉は、ネット独特の「正義」を、社会一般的にも通用する正義であると確信していたから発せられた言葉ではないかと、僕は思う。
容疑者が京アニのスタジオにガソリンを撒き、火をつけたとき、彼は自らを「紛うことなき正義の側」であると認識していたはずだ。
「小説をパクられた被害者である自分が、悪の京アニに正義の鉄槌を下すのだ!」
それは独りよがりの正義ではなく、ネットでみんなが認める正義である。そう彼は認識していたのではないだろうか。