敵の街からはじまる異世界狂争曲 前篇
ヒョウマがフンダールを訪ねてから5日ほど経った朝、アルマルディーヌ王国騎士団に所属するラポルは、晴れがましい気分で馬車の手綱を握っていた。
騎士団の資材係として20年、裏方でしか働くことのなかったラポルが、この日は主役とも言える役割を果たすからだ。
前日のうちに全ての荷物のチェックと打ち合わせを終え、今朝は夜明けと共に宿を出て来た。
二頭立ての幌馬車の荷台には、甲冑が満載されている。
つい先日まで、騎士団に所属する兵士達が使っていた品物だ。
甲冑は全部で100領、その全てに番号札が結び付けてある。
馬車が向かう先は、ノランジェールの街を二つに分ける川に架かる国境の橋だ。
橋の手前はアルマルディーヌ王国、橋の向こうはオミネスになる。
橋を渡ってオミネスに入る場合、橋の手前でアルマルディーヌ王国による荷物のチェックを受け、橋を渡った向こう側でもオミネスによるチェックを受けることとなる。
だが、アルマルディーヌ側でのチェックは、形ばかりのものであった。
「問題無し。行って良し! (頼んだぞ……)」
「ありがとうございます」
国境の警備を行う兵士は、ラポルの身元も積み荷の意味も知らされているので、太々しい態度で声を掛けた後、囁くように激励してきた。
ラポルが運ぶ鎧は、冒険者や商人などに偽装したアルマルディーヌ王国の兵士が、オミネス国内に入った後で武装するためのものだ。
オミネスとアルマルディーヌに架かる橋は、ノランジェール以外では遥か下流まで行かなければ存在していない。
しかもノランジェールの近くでは、二つの国を分ける渓谷は深く、船で渡ることすら難しい。
アルマルディーヌ王国の軍勢がカルダットに侵攻するためには、ノランジェールの橋を制圧するのが絶対条件である。
二つの国を繋ぐ橋は、大型の馬車でも余裕を持って擦れ違えるほどの広さがあるが、数千人の軍勢が一気に押し渡るには少々狭い。
対岸で敵が待ち構えている状態で橋を渡ろうとすれば、攻撃魔法の集中砲火を浴びることになる。
ゴリ押しすれば橋を落とせるだろうが、そのためには多くの犠牲を払う事になるはずだ。
そこでアルマルディーヌは、兵士と鎧や武器を別々に運びいれ、背後から橋の確保をしようと考えた。
鎧はベルトナールの早世を悼み、厄を払う為に新調され、払い下げられたものをオミネスで売り捌くために持ち込むという設定だ。
日々、訓練に明け暮れている屈強な肉体の騎士や兵士が、商人のフリをして大量の鎧を持ち込もうとすれば怪しまれる恐れがある。
そこで、長年資材係として騎士団に勤め、一般人と変わらぬ体格のラポルに白羽の矢が立ったのだ。
ラポルが手綱を握った馬車は、本物の商人の馬車に続いて橋を渡る。
40歳を間近にして腹は弛み、髪は薄くなり、若々しさは失われ、酒場の女からも見向きもされなくなったが、今日はその外見が役に立つ。
御者台の隣りや荷台には、護衛の冒険者を装った、王国騎士が同乗しているが、今日の主役は間違いなくラポルだ。
この先、もう二度と訪れることなどない重要な役割に、ラポルは感動すらしていた。
自分こそが鎧を運び込む最適な人材であり、この役目を果たせるのは自分しかいないとすら思っている。
資材係を長年務めてきたから、鎧に関する知識も持ち合わせているし、何か聞かれたとしても答えに窮したりはしない。
当たり前のようにチェックを受け、当たり前のようにオミネスに入るものだと思っていた。
オミネスでのチェックは、アルマルディーヌ側で申請した書類と実際の荷物と突き合わせ、虚偽の申請が無ければ通り抜けられる。
ラポルの一台前の馬車も、荷物のチェックと受けると、あっさりと検問を越えてオミネス領内へと入っていった。
「次、申請書を見せろ!」
「へい、こちらになります」
「ふむ、鎧か……少し待て」
「えっ……へい」
荷物のチェックは始められたが、申請書を持った係官は、検問所の中へと駆け込んで行ってしまった。
ラポルの胸の中で、不安が頭をもたげ始める。
程なくして戻ってきた係官は、目つきの鋭い細身の男を伴っていた。
背が高く、どことなく陰気な感じのする男は、積み荷の鎧を確かめた後でラポルを睨みつけながら声を掛けてきた。
「オミネス政府の通達により、当面の間は武具の持ち込みは禁止となっている。引き返せ」
「えぇぇ……そんな話は聞いてない」
「聞いていようといまいと、決定は変わらぬ。引き返せ」
「そ、そ、そんな事を急に言われても困ります。何とか通してくれませんか?」
突然の事態に動揺しつつも、ラポルは交渉を始めるつもりでいた。
騎士団で長年資材係を務めるラポルは、出入りの業者と交渉する機会も多い。
普段は交渉を持ちかけられる側だが、持ち掛ける側の機微も弁えている。
それに、交渉に用いる袖の下も、潤沢に持たされている。
だが、後から出て来た痩せた男は、ラポルの言葉に眉一つ動かそうとしなかった。
「そもそも、これほどの大量の鎧を何処で手に入れた?」
「これは、先日亡くなられたベルトナール様を追悼する意味で、騎士団の鎧を新調することとなり、私どもへ払い下げられた物でございます」
「これをどうするつもりだ?」
「はい、カルダットに持ち込んで売却する予定です」
話をしている間、痩せた男は表情を変えずラポルの瞳を覗き込んできた。
まるで心の奥底まで見透かそうとしているようで、ラポルは吹き出す汗を止められなかった。
「それでは、厄払いの為に廃棄された鎧をオミネスで売り捌こうという訳だな?」
「そうです、そうです、その通りでございます」
鎧の出所、持ち込む目的がハッキリすれば、許可が下りるかとラポルは期待したが、状況はかえって悪化する。
「そのような曰く付きの品物は、普通は自国で鋳潰して、別の物に作り直して活用するものではないのか? それとも、オミネスに災厄を押し付けるつもりか?」
「い、いえ……そんなつもりは毛頭ございません。これだけの品物ですし、このまま鋳潰してしまうのは勿体ないと思いまして」
「そなたがどう思おうと勝手だが、決定が覆ることは無い」
ラポルが痩せた男に手を焼いていると、黙っているはずだった冒険者に扮した騎士が口を挟んで来た。
「通せないではない、我々は鎧を届ける約束をしてあるのだ、早く通せ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。交渉は私がやります」
普段の横柄な口の聞き方のまま、オミネスの役人に話し掛けたので、ラポルは肝が冷える思いがした。
口の利き方一つで相手の機嫌を損ねてしまっては、交渉どころの話ではなくなってしまう。
想定外の事態の連続で少し慌てはしたものの、ラポルは深呼吸をして心を落ち着かせて交渉を再開する。
心底困ったような表情を作りながら、懐へと手を入れて、重たそうな革袋を取り出した。
袋の中にはオミネスの金貨が入っている。
ラポルは、これ見よがしに取り出した革袋を手の平で隠すようにして差し出した。
「お役人様、これで……何とか」
一旦手許に落とした視線を戻したラポルは、背中に冷や水を浴びせられたような気になった。
痩せた男はおろか、呼びに走った兵士まで更に鋭い視線をラポルへと向けていた。
「決定は変わらない。それとも、向こうの建物で続きをやるか?」
「い、いいえ……」
「では、そこで馬車を回してアルマルディーヌへ戻れ」
「貴様、何だその態度……」
「一旦戻りましょう! 戻ります!」
ラポルは、いきり立って食って掛かろうとする騎士を宥め、橋のたもとで方向転換をしてアルマルディーヌに向かって馬車を進めた。
ラポルが乗った馬車が橋の中程を過ぎたところで、それまで無表情だった痩せた男は深い笑みを浮かべた。
痩せた男の名はゾデリッツ、普段は王都で重要事件の取り調べを行っている男だが、今回の騒動に備えるためにノランジェールへと派遣されて来た。
ゾデリッツは、戦闘用のスキルは持ち合わせていないが、『真偽鑑定』というレアスキルの持ち主だ。
相手の瞳を覗き込むだけで、その話が嘘か真か鑑定できるスキルだ。
ラポルの話も、隣りに座った男の話も、嘘に塗れていると見破っている。
アルマルディーヌがカルダット侵攻を企てるならば、ノランジェールの橋の確保が絶対条件であると、オミネスもまた十分に理解している。
怪しい輩を自ら招き入れてしまえば、国境線の防衛が意味をなさなくなってしまう。
そこでオミネス政府はレアスキル持ちのゾデリッツを派遣して、国境で不審な人物、不審な荷物を徹底的に排除する作戦に出たのだ。
日頃、汚職に関わった古狸な議員を相手にしているゾデリッツにしてみれば、商人や冒険者に成りすましている騎士を見破るなど造作も無い。
また、ゾデリッツの手を煩わせるまでもなく、明らかに不審な者達には別動隊が監視に付き、集まったところで拘束している。
既にかなりの人数を拘束していて、これ以上増えるのはオミネスにとって負担となるために、この日の午後には強制送還する予定だ。
今回の鎧を鹵獲せずアルマルディーヌに戻したのは、捕虜の強制送還に先立つ行為だ。
つまり、全てお見通しだと宣言したのと同然だ。
オミネスにとって、今回の騒動は言いがかりでしかない。
アルマルディーヌ王国の内情を探るつもりではあったが、第四王子ディルクヘイムを王位に就けるつもりも無かった。
オミネスの意志は現状維持であり、アルマルディーヌと争うつもりは無い。
それでも、アルマルディーヌから攻めてくるのであれば、黙ってやられるつもりも無い。
オミネスとしては、捕虜を強制送還すると同時に抗議文を送り、それで手打ちにするつもりでいる。
ゾデリッツにも、遠からず帰還の命令が届くであろう。
古狸との駆け引きに較べれば、茶番のようなお粗末さではあったが、ゾデリッツにしてみれば良い息抜きになっていた。
ゾデリッツが検問所の建物へ戻ると、強制送還される捕虜達が運ばれて来ていた。
誰も全員が、ガックリと肩を落として意気消沈している。
おそらく、精鋭としての誇りをもっていたのだろが、手柄を立てるどころか作戦を中止に追い込む切っ掛けとなるであろうと聞かされ、戻った後を気に病んでいるのだろう。
ゾデリッツにしてみれば、心中は察すれど、自国に攻め入ろうとした者達に同情する気にはなれなかった。
そして、その日の午後、完全武装したオミネスの兵士に追い立てられるようにして、捕らえられていたアルマルディーヌの騎士や兵士250人以上が、橋を歩いて対岸へと向かった。
虚偽の身分証や武器などの持ち物は全て没収され、身体一つの状態でゾロゾロと歩いて来る一団を見て、アルマルディーヌ側も兵士を揃えた。
一団の先頭を歩いているのは、潜入部隊をまとめ隊長を務める予定だった騎士だ。
オミネス側から、重たい足取りではあったが胸を張り、前を見据えて歩いていたが、橋の中程まで来たところで突然足を止めた。
「私は! あるまじき失態を犯し、王国の紋章に泥を塗ってしまいました! これは……これは、万死に値する! この命をもってカストマール様にお詫び申し上げます!」
騎士は、オミネスから託された抗議文を破り捨てると、橋の欄干を乗り越えて川へ向かって身を躍らせた。
「アルマルディーヌ王国、万歳!」
「カストマール様、万歳!」
先頭の騎士が身投げをしたの切っ掛けに、250人が後を追って次々に橋の欄干を乗り越えた。
川面から橋までの高さは8メートルほどで、流れも緩やかなので、一人で飛び込んだのであれば命を落とす確率の方が低かっただろう。
だが、250人もの人間が次々に飛び込んでいったら……。
橋の下にある船着き場に停泊していた船が、すぐに救助活動を開始したが、多くの死者と行方不明者を出すこととなった。