ゆるパク、わが身を助ける 前編
獣人族の国サンカラーンの最西端の里マーゴを訪れた日は、生憎の雨模様だった。
昨夜は月が出ていたのに、朝にはダンムールでも雲が掛かり、西に位置するマーゴでは雨が落ち始めていた。
ダンムールの雨具は、なめし革のローブだ。
表面にはスライムから取り出した撥水剤が塗られているそうで、確かに水滴が玉になって弾かれている。
防水性はかなり高いが、日本のハイテク素材のような通気性はないので、夏場は長時間着込んでいたいものではない。
マーゴに向かうのは、ダンムールの里長ハシームと護衛のガゴラ、それに俺の三人だけだ。
本来、サンカラーンを東から西へと横断するような旅程は、片道だけでも30日以上かかる長旅で相応の準備が必要になるが、今回は俺の空間転移魔法を使って移動する。
今日行って、今日帰って来ることも可能だが、交渉や歓迎の宴も開かれると思われるので、戻るのは明日以降になるだろう。
「では行くか、ヒョウマ」
「よろしく頼む」
空間転移した先は、マーゴの里から200メートルほど離れた道の上だ。
初めて空間転移を体験するハシームとガゴラは、一瞬で目の前の景色が変わったことに、分かっていても驚いているようだった。
「もう、マーゴの近くなのか?」
「あぁ、ここを歩いて行けばすぐだ」
「サンカラーンの端から端まで一瞬とは……改めてベルトナールとは恐ろしい存在だったのだな」
ハシームの言葉にガゴラも頷いている。
空間転移魔法によって一瞬にして攻撃範囲に現れる敵に、サンカラーンの多くの里が被害を被ってきた。
だが、それも既に過去の話で、ベルトナール亡き今は、突然平和を乱される心配は無い。
更に強くなると思われる雨で水が浮き始めた街道を通って、マーゴの里へと向かう。
道幅は、馬車1台がようやく通れる程度の幅しかない。
オミネスの行商が、ここまで来るのは稀らしい。
マーゴの里は、丸太を並べた壁で囲われた、砦のような作りになっていた。
丸太のあちこちに焦げたような跡が残っているのは、アルマルディーヌに攻め込まれた時の名残りなのだろう。
街道から里へと入る門は、昼間なのに固く閉ざされていた。
俺達が近付いていくと、門の上の見張り台から兵士が声を掛けて来た。
「止まれ! 何者だ!」
「こちらにいるのは、ダンムールの里長ハシーム、護衛のガゴラとヒョウマだ。里長ビエシエ殿にお会いしたい!」
ガゴラが応えるのに合わせて、俺とハシームは首から下げた水晶のプレートを掲げてみせた。
「暫し待たれよ! 開門!」
見張りの声に呼応して、閂が外されて門が開かれた。
雨が避けられる門の下で、ハシームがフードを外して鬣をなびかせると、出迎えた兵士からどよめきが起こった。
獅子獣人の立派な鬣は、やはり王者の風格を感じさせるものらしい。
「遠路はるばるよくぞ参られた、館へご案内いたします」
「うむ、厄介になる」
再びフードを被ったハシームと共に、案内の兵士の後に続く。
里の内部は、ダンムールとは違って商店のようなものが見当たらなかった。
壁すら満足に無いような家が並び、粗末な衣類を身に着けた獣人達が所在無げに地面に腰を下ろしていた。
日本にいた頃にテレビのドキュメンタリー番組で見た、密林の奥に暮らす原住民といった感じだ。
同じサンカラーンの住民なのに、これほど生活レベルが違うとは思ってもいなかった。
案内された里長の館も、いわゆる高床式住居を大きくしたような物だった。
「なにぃ! ダンムールのハシーム殿だと!」
玄関でローブを脱ぎ、足を濯いでいると、奥から野太い声が響いてきた。
姿を現したのは虎獣人の大男、里長のビエシエだ。
「なんと、本当にハシーム殿ではないか。これはこれは、遠路はるばる良くぞ来なさった」
「久しいなビエシエ殿。族長会議以来だから2年ぶりか、また男振りが上がったのではないか?」
「いやいや、若い連中も育って来て、近頃は相手をするの一苦労だ」
「何を言う、まだまだ老け込む歳ではなかろう」
「ふふん、それだけ里の若い連中の活きが良いということだ」
「なるほど、ならばマーゴは安泰、サンカラーンも安泰だな」
「はっはっはっ、いかにも、いかにも」
さすがに里長としてダンムールをまとめているだけあって、ハシームの人あしらいは巧みだ。
たぶん、西の里の者には、こうやって接するのだと俺に手本を示しているのだろう。
「さて、立ち話もなんだ……奥へと参られよ。わざわざマーゴまで足を運んで来たのだ、それなりの理由があるのだろう」
ビエシエに案内された部屋で、ハシームは俺を隣に座らせた。
「ふむ、そちらの御仁に関係する話なのだな?」
「紹介しよう。儂の娘ラフィーアの婿となるヒョウマだ」
「ヒョウマです。よろしくお願いします」
「おぉ、ハシーム殿の娘婿であったか。なるほど、道理で良き体格をしておるわけだ」
「今日は、このヒョウマの頼みを聞いてもらいに来たのだが……その前に、手土産を持って来たのだが、少々大きな物なので、どこか置く場所を……」
「ハシーム殿、手土産と言っても、何も持って来ておられぬのでは?」
「ふむ、このヒョウマは空間魔法が使えるのでな。」
「なんですと、ふむ、我らとは少々生い立ちが違うようだな」
案内してもらった館に隣接する倉庫に、アイテムボックスに入れておいた物を取り出す。
まずは、酒樽を三つほど出した。
「これは、酒か?」
「そうです。王国から黙っていただいて来たものですが……」
「おぉぉぉぉ! 略奪品か!」
盗んで来た物だと言ったら、突き返されるかと思ったが、それどころか喜ばれてしまった。
最近は、アルマルディーヌに奪われるばかりで、大きな成果は滅多になかったそうだ。
「バリブラの酒屋でも襲ったのか?」
「いいえ、これはサンドロワーヌの城、こっちはゴルドレーンの城から奪ったものです」
「なんだと、ゴルドレーンだと!」
「ビエシエ殿、ヒョウマは空間魔法の使い手でな、儂らがダンムールを出発したのも、ついさっきの事だ」
「うーむ、ではベルトナールにも対抗出来るのか?」
「その話は、手土産を全部出してからでもよろしいですか?」
「まだあるのか?」
「酒があるなら、肴も必要でしょう」
用意しておいた、ティラノサウルスみたいなのと、トリケラトプスっぽいのを並べて出した。
「なっ……顎竜に角竜だと!」
「あれ? もしかして、これって食えないんですか?」
「とんでもない、美味いに決まってるが……どうやって仕留めたのだ? ダンムール総出で倒したのか?」
「いえ、これは俺が1人で仕留めて来たものです」
「はぁぁ? 1人だと?」
どうやら手土産で印象を良くする事には成功したようだが、その代わりにヤバい空気を感じてしまった。
「ヒョウマ殿、我々に頼みがあると言っておられたな?」
「はい、実は計画していることが……」
「引き受けよう」
「えっ、まだ内容を話していませんが……」
「構わぬ、これほどの獲物を1人で仕留める者の頼みとあらば、喜んで聞こう。その代わり、我々と手合わせしてもらいたい」
「手合せですか……構いませんが、ルールは?」
「それは、練武場で教える」
ある程度予想はしていたが、まさか交渉する前に力比べをさせられるとは思っていなかった。
今度は、領主の館を挟んで逆隣りにある練武場へと連れて行かれた。
館に来るまでの道筋には、無気力そうな里人しか見当たらなかったが、練武場には筋骨隆々とした者達が集まっていて。
なるほど、これならばビエシエが手を焼きそうだ。
「どなたと、何をすればよろしいですか?」
「勿論、相手は儂、背中が地についた者の負けだ」
マーゴの里における力比べは、モンゴル相撲に近い形だった。
相撲の回しに似た、分厚い革のベルトを着け、右上手、左手は相手のベルトの前側を握った形で組んでから勝負を始める。
拳打も掌打も蹴りも禁止、純然たる投げ技の勝負だ。
マーゴの若手の1人が審判を買って出て、組み方に不正が無いかチェックした。
さすがに武闘派の西の里を治める長とあって、組み合ったビエシエは岩のようだ。
竜人の姿の時には、身長も180センチぐらいある俺と組んでも、ビエシエの方が大きく感じられる。
「各々用意はよろしいか?」
「ヒョウマ殿、本気で参るぞ」
「どうぞ、ご自由に……」
「始め!」
日本で生まれ育ったのだから、テレビの画面越しだが相撲は何度も見ている。
開始の合図と同時に、投げに備えて腰を落としたが、それでも片足が浮きかけたほどビエシエの投げは強烈だった。
「ぬぅ、これに耐えるか……」
ビエシエは、合わせた胸を支点にして、俺の腰を折ろうと強烈に両腕を引き付けるが、こっちも力では負けていない。
力では負けていないが、相撲の技の部分では、やはりビエシエに一日の長がある。
素早く左足を引いて体を捻り、右の強烈な引き付けで投げを打つ。
俺が右足を踏ん張り投げを食い止めると、今度は俺の踏ん張りを利用して左からの投げを打つ。
竜人の脚力、膂力が無かったら、ボーリングの球のように転がされていただろう。
「おぉぉぉぉ……長の投げを防いだぞ」
「組み方も分からぬ素人とは思えん」
模倣レベル9、戦術予測レベル9、思考加速レベル9……ラフィーアと初めて組み打ちした時のように、ビエシエと組み合いながら仮想ビエシエを構築していく。
一つ投げを防ぐ度に、その足の運び、体の捻り方、腕の引き付け方、腰の反り……一つ、一つを認識し、学習し、マーゴ相撲の真髄を構築していく。
最初は、投げを打たれる度に全力で踏ん張っていたが、勝負が長引く程に俺の身体の揺れが小さくなっていく。
取り組みが長引いたことで、ビエシエにも疲労が蓄積しつつあるだろうが、それよりも俺の身体が勝手に反応して投げを凌ぎ始めたのだ。
「ぬぅぅ……ふん!」
やがて、ビエシエが渾身の力を込めても、俺の身体は大地に根を張った巨木のように動かなくなった。
「くぅ、なんて男だ……ぬぉぉぉぉ!」
「あぁぁぁぁぁ!」
ビエシエが苦し紛れの吊りに来た所を、渾身の力で吊り返す。
左からの下手投げに出るフリをして、右からの呼び戻しでビエシエを投げ捨てた。
「おぉぉぉぉ! 長に土が付いたぞ」
「凄いぞ、あの若い奴……」
練武場に大の字になったビエシエは、すぐには起き上がって来なかった。
「はぁ……はぁ……ふはははは、素晴らしい! 素晴らしいぞ、ヒョウマ殿」
ようやく起き上がって胡坐をかいたビエシエは、手放しで俺を褒め称えた。
「組んだ時は全くの素人で、これは簡単に終わってしまうと思ったのに、どうだ……最後は熟練の闘士と戦っているかと思ったほどだ!」
「いやぁ、最初は勝手が分からず難儀しましたよ」
ビエシエが立ち上がるのに手を貸して、これで計画の話が進められるかと思ったのだが……。
「長、次は是非、俺にやらせて下さい!」
「馬鹿言うな、お前如きは後だ、是非私に……」
「いやいや、我こそが……」
集まっていた10人ほどの若手が、次々と俺に取り組みを申し込んで来て、受けないことには話が進みそうもなかった。
仕方がないので、千切っては投げ、千切っては投げの要領で、片っ端から練武場に転がしてやった。
少しは手加減した方が良いのかと思い掛けたが、余所者の俺にアッサリ投げられると、むしろ力の強さや技のキレに瞠目し、負けたのに恍惚とした表情さえ浮かべている。
武闘派の脳筋野郎どもは、俺の想像を超える面倒な連中……いや、変態だな。