第一王子は大志をいだく!「言いにくいんだが、黙ってくれよ」
アルマルディーヌ王国第一王子アルブレヒトは、サンドロワーヌの城壁の上から南の方角を睨んでいた。
夜明けと共に城壁に上がり、朝食のために一旦下りたが、食べ終えるとすぐ戻ってきた。
アルブレヒトが、この位置に立つのは今日が初めてではない。
一昨日の夕刻、王都からサンドロワーヌに到着した直後から日暮れまで立ち続け、昨日も一日この場所で過ごしていた。
アルブレヒトが待っているのは、オミネスとサンカラーンの連合軍だ。
一昨日の昼間、アルブレヒトはサンドロワーヌに向かう途中で早馬の知らせを聞いた。
知らせの内容は、腹違いの弟、第三王子カストマールが率いる軍勢が、オミネスとサンカラーンの連合軍と交戦し全滅したというものだ。
カストマール自身も、戦いの中で命を落としたという。
俄かには信じがたい内容だが、知らせが本当であれば獣人族による本格侵攻が始まったとしてもおかしくない。
そして、カストマールが死んだのならば、次期国王候補はアルブレヒトしか残っていない。
だが現国王のギュンターは、そんなに簡単に王位を渡す人間ではないと、ベルトナールの死後に嫌という程思い知らされている。
オミネス、サンカラーンの連合軍を万全の状態で迎え撃つべく、アルブレヒトは馬車を急がせた。
そもそも、アルブレヒトがサンドロワーヌへ向かう理由は、カルダットに侵攻するカストマールの背後を守り、獣人族の侵攻を防ぐためだ。
そのための戦力は、既にサンドロワーヌに到着している。
アルブレヒト自身と同行している戦力が加われば、全ての準備が整う。
アルブレヒトがサンドロワーヌを守っている間に、カストマールがカルダットを陥落させ、アルマルディーヌ王国の北の版図を広げるはずだった。
だが、既に計画は大きく破綻している。
カストマールが敗北したならば、カルダット侵攻の計画がオミネスに洩れていたのは間違いない。
その上で、カストマールを打ち果たしたとすれば、オミネスとサンカラーンは手を携えてサンドロワーヌ攻略に乗り出しても不思議ではない。
サンドロワーヌは、アルマルディーヌ王国の東北の守りの要である。
サンドロワーヌを抜かれれば、王都への侵攻を止めるには、2本の川に頼るしかなくなる。
そのうちの1本、ヌローン川よりも東の地域が獣人族の手に落ちれば、侵攻の足がかりを失うどころか、国の根幹産業である鉱山に攻め入られる心配が出てくる。
本来のアルブレヒトの性格であれば、猪突猛進、脇目も振らずにノランジェールへと突っ込んでいっただろう。
だが今は違う、父ギュンターの薫陶を受け、待つことを覚えた。
サンドロワーヌを巡る激戦への期待に胸を躍らせつつ、ひたすらアルブレヒトは待ち続けたのだが、肝心の敵は一向に姿を見せなかった。
南の方角から来るのは、家財道具を抱えた避難民ばかりで、ただの一人の兵士も現れなかった。
業を煮やしたアルブレヒトは、昼食の後、偵察を出した。
接敵したら、すぐに馬首を巡らせて戻るように言いつけて送り出すと、日が西に傾くころに1人の使者を伴って戻ってきた。
「何だと! 攻めて来ないだと!」
使者を寄越したのは、ノランジェールのアルマルディーヌ側を治めているシデルッチだった。
使者を送った理由は、アルマルディーヌの軍勢が全滅した後、国境の橋を挟んで現在は停戦中で、この先どのように交渉を進めるべきかという問い合わせだった。
「本当にオミネスは攻めて来ないのか?」
「はい、我々は殆どの戦力を失った状態ですが、オミネスの軍勢は橋を越えて来る気配すらございません」
「サンカラーンはどうした? 獣人どもはどこへ行った?」
「これは、街の住民の噂なのですが、空間転移魔法を使って移動したようです」
「では、やはりオミネスの術者が関係しているのだな?」
「それなんですが……獣人達の間に人族の兵が混じっていたという噂がございます」
「間違いない。オミネスの連中め、我々が気付かないとでも思っているのだろう」
「いえ、その混じっていた人族なのですが、以前サンドロワーヌから手配が行われた者かもしれませぬ」
「手配者だと……?」
アルブレヒトが怪訝な表情を浮かべたのも当然で、ベルトナールはヒョウマ達を異世界から召喚した事を他の王族には伝えていなかった。
兵士として華々しい戦果を上げた後に、自分の手柄として発表するはずだったが、その機会が訪れる前に兵馬によって救出され、自身は暗殺されてしまった。
「異世界からの召喚だと? その者達が消えた時も、空間転移魔法が使われたのだな?」
「はい、そのように聞いております」
使者を務める男は、長年シデルッチの下で働いてきたが、サンドロワーヌから捜索のために送られてきた兵士から詳しい話を聞いていた。
その中には、奴隷として閉じ込めていたが、宿舎の建物ごと姿を消したという内容も含まれていた。
「手配の内容は、黒髪に黒い瞳、年齢は15歳前後……今回サンカラーンの獣人達に同行していた者と風貌が一致いたします」
「ではなにか、その逃亡した者の中に、空間転移魔法を扱える者がいたと申すのか?」
「そこまでは分かりかねますが、異世界から何の断りもなく召喚され、兵士としての訓練を強要された者達ゆえに、アルマルディーヌ王国に対して敵意を抱いている可能性はございます」
「ちっ、ベルトナールめ……面倒な置き土産を残していきおって」
召喚された者達は、平均して高いレベルのスキルや魔力値を持ち、一部の者は才能を開花させつつあったと聞き、ますますアルブレヒトは顔を顰めた。
この後、アルブレヒトは使者から更に詳しい状況を聞き取り、自らノランジェールに出向くと決めた。
元来アルブレヒトは交渉事は苦手だが、この程度の交渉をまとめられずに次期国王を名乗れないという思いがある。
苦手を克服してこそ、ギュンターの信任を得られると考えたのだ。
翌日早朝、アルブレヒトは僅かな手勢を連れて、騎乗でノランジェールを目指した。
当然、家臣達は反対したが、サンドロワーヌの守りを薄くするつもりは無いと、断固として方針を変えなかった。
そもそも昨日使者から聞き取った話が本当であれば、何人手勢を連れていようと勝ち目を感じられない。
いくら稚拙な作戦を用いたとは言え、一夜のうちにカストマールが率いた兵が壊滅するなど普通では考えられない。
そのような相手ならば、むしろ身軽に逃亡した方が生き残る可能性が高いとアルブレヒトは判断したのだ。
少し前のアルブレヒトであれば、全軍を率いて突撃していたかもしれないが、これもギュンターによる薫陶の賜物なのだろう。
アルブレヒトは逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと馬を走らせた。
もし途中で襲撃に遭った場合には、全力で馬を走らせる必要があるが、その時に疲れ果てていては話にならないからだ。
アルブレヒトはノランジェールへと到着すると、その晩のうちにシデルッチとの打ち合わせを済ませ、翌日の会談をオミネスに申し込んだ。
会談は、封鎖中の橋の上で行われる事となった。
会談に参加するのは、アルマルディーヌ王国側はアルブレヒトとシデルッチ。
オミネス側は、街を治めているツィルネリと真偽鑑定のレアスキルを持つゾデリッツだ。
会談は互いの挨拶に始まり、まずはオミネス側からの要求が提示された。
「我々は、そちらから申し込まれた停戦が一方的に破られ、オミネスに少なからぬ損害を出したことに断固たる抗議をいたします。そして、今回の騒動における、人的、物的な損害に対しての賠償を求めます」
ツィルネリの要求に対して、アルブレヒトは意外な答えを返した。
「我々は、オミネスによる全ての抗議、要求を拒否する。そもそも両国の友好関係を損なうような行為を行ったのはオミネスである。我々は、第二王子ベルトナールが、オミネスの手の者によって毒殺されたことを把握している。まずは、その件に関する謝罪と賠償が先だ」
アルブレヒトの言葉に、ツィルネリもゾデリッツも驚きを隠せなかったが、それはシデルッチも同じだった。
昨晩の打ち合わせでは、全ての応対はアルブレヒトが行い、シデルッチはあくまでも補佐に徹するように命じられた。
てっきり何か停戦を破った理由をでっち上げるのだとシデルッチは思っていたが、まさかベルトナールが毒殺された責任を問うなどとは考えてもいなかった。
「これはこれは、異なことを申されます。何故オミネスがベルトナール様を毒殺する必要があるのですか?」
「決まっている、ディルクヘイムを王の座に座らせ、アルマルディーヌ王国をオミネスの思うままに動かすためだ。全てディルクヘイムが白状しおったぞ」
ツィルネリが目配せすると、ゾデリッツは小さく首を横に振った。
アルブレヒトの言葉には、嘘が含まれているという合図だ。
「それが、何の証拠となるのですか? そもそもディルクヘイム様は、オミネスではなくアルマルディーヌ王国の王子です。アルマルディーヌ王国に有利な証言をなさるのは当然でしょう。身内同士の争いの尻拭いを押し付けるのは止めていただきたい」
「な、何だと、貴様らオミネスが裏で糸を引いているのは分かっているのだぞ。他国の王子を暗殺しておいて、ただで済むと思っているのか?」
「変な言い掛かりは止めていただけませんか? 我々はベルトナール様の死に何の関りも持っておりません。王位継承を巡る身内の争いが、我が国を侵略する理由になるとでも思っていらっしゃるのですか?」
「貴様……無礼だぞ」
「我々を無礼と断じるのであれば、そちらから申し込んできた停戦を一方的に破るのは無礼ではないとでもおっしゃるのですか?」
「あ、あれは、カストマールが勝手にやった事だ!」
アルブレヒトが声を荒げて言い放った瞬間、同席しているシデルッチは頭を抱えた。
王族がやったと言ってしまえば、責任を認めたのと同じだ。
ベルトナールの暗殺を全ての理由にしようと思い付いた時、アルブレヒトは交渉の主導権を握れると思っていたが、ゾデリッツの存在を知る由も無かった。
そもそも、ベルトナールの暗殺はヒョウマが一人で行ったもので、オミネスもディルクヘイムも全く関与していない。
アルブレヒトはギュンターの推測を丸呑みにしているだけなので、国同士の交渉の材料と出来るほどの裏付けは存在していない。
そして、猪武者とも言うべきアルブレヒトは、ギュンターの薫陶で多少はマシになったものの壊滅的に交渉事には向いていなかった。
「カストマール様の責任とお認めになるのであれば、アルマルディーヌ王国としての責任を果たしていただきたい」
「だ、だから、カストマールが勝手に……」
「王族が兵を動かしておいて、国としての責任は無いなんて理屈は通りませんよ」
「貴様らだって、我が国の兵士に攻撃を加えているではないか」
「侵略されれば応戦するのは当たり前です。ですが、オミネスは停戦以後は国境を超えての攻撃を行っておりません。アルマルディーヌ王国内での戦闘は、我々ではなくサンカラーンによるものです。我々は他国の責任まで担保するつもりはございません」
「白々しい……貴様らがサンカラーンと手を組んでいるのは明白だ!」
「明白と仰るのであれば、確固たる証を見せて下さい。何の証も無いであれば、それは言い掛かりですよ」
「くそっ、何が目的だ?」
「ですから、最初から申し上げている通り、停戦を勝手に破り、我が国に損害を与えた事への抗議と賠償の請求が目的です。それと、我々はこれまで通りサンカラーンとの交易も続けていきます。その邪魔はしないでいただきたい」
「ぐぬぅぅ……」
アルブレヒトが言葉に詰まったところで、シデルッチが助け舟を出した。
「そちらの要求は承った、賠償額の算定にはまだ時間も必要でしょう。そちらの額が決まり次第お知らせいただきたい。金額を確認の上、改めて交渉させていただきたと思いますが、いかがですかな?」
「結構です、ではまた日を改めて……」
アルブレヒトは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、憤然と席を立ち、挨拶もロクにせずに橋を渡って戻っていった。
残された3人は苦笑いを浮かべた後、握手を交わして実りの無い交渉を終えた。