人間不信の獣人達が王国を滅ぼすようです
チャベレス鉱山から脱出した4万人を超える獣人は、アルマルディーヌ王国にとっては悪夢ような存在となっていく。
兵馬がマーゴの里への転送作業を行うべくチャベレス鉱山を訪れるよりも早く、空が白む頃には隊列を組んで街道を進み、昼前には最初の集落へと辿り着いていた。
スマガラという集落は、20軒ほどの家に100人ほどが暮らす小さな集落だった。
獣人達は、街道から山に分け入り、グルリと集落を取り囲むと雪崩を打って攻め入った。
そもそも、スマガラのような小さな集落には、猟師が何人かいるぐらいで兵士すら常駐していない。
サンカラーンの国境からは遥かに離れた山の中で、獣人に襲われるなんて夢にも思わずに暮らしていたのだ。
幼子や年寄りも加えた100人と、屈強な獣人4万人では抵抗する暇も無かっただろう。
住民は皆殺しにされ、蓄えられていた食料は獣人達の腹の中に消え、使えそうな道具、服、家畜などは全て持ち出され、スマガラという集落は消滅した。
この日の前夜、チャベレス鉱山では獣人達が集会を開いていた。
今後の行動などを話し合う席で、リーダーの1人テーギィが決起を表明した。
「俺は、ここからアルマルディーヌの王都に攻め入ろうと思っている」
てっきりサンカラーンへ帰ると思っていた獣人達は戸惑ったが、一方でアルマルディーヌに対して強い恨みを持つ者達は色めきだった。
「俺は、王国に家族を殺され、生き残った里の者を守るために奴隷となった。あの瞬間、テーギィという男は一度死んだのだ。奴隷の首輪を嵌められ、ヒョロっちい人族に顎で使われ、生きながらにして死んでいた。だが、俺を縛る首輪はもう無い。ならば、一度は死んだこの命でアルマルディーヌの王族に目にものを見せてやる。叶うならば、我が牙でギュンターの喉笛を噛み切ってくれる!」
「うおぉぉぉぉぉ!」
チャベレス鉱山で重労働を強制され、抑圧され続けてきた獣人の多くがテーギィと命運を共にする決意をした。
その一方で、過酷な生活で身体を壊している者や、里に家族を残している者は帰還を望んだ。
帰国を望む者を咎める者もいたが、それを宥めたのもテーギィだった。
「王都を目指す者も、帰国を望む者も、サンカラーンの未来を思っての行動だ、進む道は違えども心は一つ、獣人同士で争うなど人族の思う壺だ。互いの無事を祈り、笑顔で別れよう」
自分達の足でチャベレス鉱山を出た4万を超える獣人達は、テーギィを総大将、ドードとジルダを副将とした死兵の軍団と化した。
既に一度は死んだようなもの、再度の死など厭わない者ほど、相手にとって始末の悪いものは無い。
死を恐れる者であれば、逃亡したり、降伏をする可能性があるが、死を恐れぬ者は殺しつくすしかない。
戦う側とすれば、アンデッドを相手にしているようなものだ。
スマガラの集落を出た獣人達は、偵察を出しながら街道を進み、鉱山に向かう者を片っ端から捕らえ、情報を聞き出した後に殺害していった。
殺害の目的は、獣人族がチャベレス鉱山から逃亡したという情報をアルマルディー側に悟らせないためだ。
西の空が赤く染まる頃、テーギィ達はビャムリの街を望むところまで来ていた。
街の手前の丘の陰に身を潜め、日が落ちるのを待った。
ビャムリはチャベレス鉱山へ物資を運び込む拠点であり王家の直轄地でもある。
大きな倉庫が幾つもあり、王国の騎士や役人も滞在していたが、獣人族に襲われることは想定していなかった。
街の周囲を囲む壁は、危険な野生動物が街に入り込まないようにする為で、高さは2メートルほどしかない。
チャベレス鉱山にいた人族の騎士や兵士、役人達は、奴隷の首輪を過信して、反乱が起こると考えてもいなかったが、ビャムリの備えも同じレベルだ。
人々が寝静まると、南北二箇所の門を閉じ、それぞれ二人の兵士が当直を務めるだけで、警備らしい警備も行われていなかった。
直轄地でもあり、チャベレス鉱山という大きな産業があるので、税も軽く、仕事もあり、多くの兵士も滞在しているので治安が良いので警備が手薄なのだ。
獣人達は夜の闇に隠れ、軽々と塀を乗り越えて街に侵入し、一斉に襲撃を行った。
最初に二箇所の門が襲われ、外敵から街を守るための門は、住民を逃さないための壁となった。
ビャムリにはチャベレス鉱山で任務を行う兵士の交代要員として、千人を超える兵士が常駐していたが、無警戒な寝込みを襲われ、反撃出来た者はごく少数だった。
騎士や兵士、役人は一箇所に集められ、身分の高い者を除いて全員が処刑された。
街の住民は集められることもなく、それぞれの家で殺され、その数は軽く1万を越えていた。
ビャムリにも、千人以上の獣人族が奴隷として使役されていたが、全員の首輪が外され解放され、新たな戦力となった。
テーギィはビャムリの街で、新たな戦力以外に三つの物を手に入れた。
一つ目は食糧とその運搬方法だ。
4万人の獣人の腹を満たすためには、膨大な量の食糧が必要となる。
ビャムリは元々鉱山に送り込む食糧の集積地でもあり、倉庫には多くの穀物や芋などが山積みになっていた。
当然、ビャムリまで集めてチャベレス鉱山へ送り込むために、多くの荷馬車が集められている。
その食糧と運搬方法を用いて、兵站を整えようと考えたのだ。
いくら死を恐れぬ者達であっても、腹がへっては戦にならない。
二つ目に手にいれたものは、武器だ。
チャベレス鉱山からも持ち出して来ているが、全員に行きわたるほどの数は無い。
ビャムリにある武器を全部徴収したが、それでもナイフ程度しか持てない者もいた。
武器に関しては、テーギィはこの後に襲う街でも手に入れるつもりでいた。
三つ目に手に入れたものは、情報だ。
奴隷にされた者の多くは、幌馬車に荷物のごとく詰め込まれてチャベレス鉱山へと送り込まれた。
それ故に、自分達が居る場所さえ把握しきれていなかった。
王都に攻め込むには、どのルートを通るべきか、処刑しなかった身分の高い者達から情報を聞き出した。
食料、武器、情報……アルマルディーヌを相手に戦を始めるならば、予め準備を整えておくべきだろうが、奴隷として酷使されて来た者に用意できるはずがない。
チャベレス鉱山はアルマルディーヌの主たる産業である鉄を産出し、ビャムリを通じて各地へと送り出している。
それ故に、アルマルディーヌ王国内の地理的な情報は全て揃っていた。
テーギィは、ここで獣人族の部隊を二つに分ける。
総勢約2万5千人は王都に向かう部隊、残りの1万6千人は繁殖場の解放を目指す別動隊とした。
獣人族の繁殖場は、王都ゴルドレーンよりも更に東に位置している。
まだ同じ街道を進むが、繁殖場へ向かうには、途中の街で別の街道を進まなければならない。
王都に向かう街道沿いには大きな街がいくつもあり、制圧には人員が必要となるために約3分の2を割いた。
一方、繁殖場へと向かう街道沿いには大きな街は無いが、繁殖場自体の警備は厳重だと思われるので3分の1の人員は残す形として、こちらはドードが率いることになった。
翌朝、情報を得るために捕らえられた身分の高い者達は、奴隷の首輪を嵌められ、後手に縛られ、目隠しをされて王都に向けて歩かされた。
ハンドベルの鍵が鳴らされて、獣人族が命じる。
「おら、歩け! もたもたするな!」
前が見えず、方向を誤ると槍の穂先で突かれて戻される。
獣人族に奴隷扱いされて歩かされる屈辱に、嗚咽を洩らす者もいた。
王都に向けて歩かされた者達は、街を出て少し行ったところで打ち捨てられた。
ハンドベルの鍵は出発した街の入口に放置されたままで、首輪を嵌められた者達は、その事実に気付かぬまま効果範囲から自らの足で出ていく。
獣人族が去った後、路上には奴隷の首輪によって首を断たれた遺体が転がっていた。
獣人達の作戦はシンプルだ。
小さな集落は、取り囲んで数の力で磨り潰す。
大きな街は、夜が更けるのを待って忍び込み、寝込みを襲って制圧した。
身体能力に勝る獣人族に、街の中まで入り込まれた時点で結果は決まっている。
獣人族は、殆ど被害を出さず、それどころか奴隷となっている者達を解放し、戦力を増やしながら進んでいった。
「では、ここから先は別行動だな」
「俺達は、繁殖場を解放したら、王都を迂回して山に分け入りサンカラーンを目指す」
「我々が王都で派手に暴れ回るから、そちらへの注意は減らせると思うが気を付けてくれ」
「分かっている。おそらく幼い子供や身重な者もいるだろうからな」
ドードはテーギィ、ジルダと握手を交わし、繁殖場を目指して東へ向かう街道を進み始めた。
一方、テーギィが率いる本隊は、真っ直ぐ王都を目指して進撃を続けたが、拍子抜けするほど抵抗されない。
どの集落も、どの街も、テーギィ達獣人族の軍団が迫っていると、全く気付いていなかった。
アルマルディーヌ国内で、一番早く知らせを届ける方法は狼煙だが、伝えられる内容が限定されてしまうし、晴れた日の昼間でないと上手く伝わらない。
その次に早い方法は鳥を使って手紙の送信だが、こちらは途中猛禽に襲われれば手紙が届かない可能性がある。
三番目に早い方法は早馬を使った伝令で、確実性を重んじる方法の中では一番早い。
だが、いずれの方法も肝心の知らせようとする者がいなければ、何も伝わらない。
狼煙を上げる者も、鳥に手紙を託す者も、早馬を走らせる者もいなければ、どんな凄惨な行為が行われたとしても、誰にも伝わらないのだ。
このまま獣人達は、無人の野を行くがごとく進撃を続けられると思い始めていたが、王都まであと5日ほどの距離を残して、状況に変化が現れた。
街を偵察した獣人が目にしたのは、昼間なのに固く閉ざされた街の門だった。
タルフィーアの街は四方を水堀で囲まれた街で、堀に面した高い壁の上には武装を固めた兵士が陣取っていた。
改めて言うまでもなく、タルフィーアには獣人族の大軍が迫っているという知らせが届いている。
皮肉なことに、タルフィーアに知らせを届けたのは盗賊だった。
街道を見下ろす崖の上から獲物を物色している時に、獣人族の大軍に気付いたのだ。
アルマルディーヌ王国の法律では、特別な事情が無いかぎり盗賊は死罪だ。
盗賊だとバレれば処刑されるかもしれないが、そのリスクを冒してでも知らせたのは、獣人達が街を襲えば、どれほど悲惨なことが起こるか理解しているからだ。
どれほど深く獣人族が人族を憎んでいるか、憎まれている人族もまた理解しているのだ。
その結果、盗賊から街を守る堀や塀を使って、兵士と共に盗賊が街を守るというおかしな状況が起こっている。
チャベレス鉱山を出てから初めて守りを固めた街を見て、テーギィが下した決断は迂回だった。
タルフィーアに着くまでに、多くの収穫や街を襲って来たので、一通りの武器は行き渡っているし、当面の食糧も確保出来ている。
タルフィーアを迂回した場合、自分達の背後に敵勢力を放置する形となり、挟撃を受ける可能性が高くなるが、わざわざ攻めにくい街の攻略を試みて犠牲を出す必要は無いと考えたのだ。
獣人達はタルフィーアを迂回する道を通り、夜中のうちに王都を目指して進軍を続けた。
タルフィーアの方向を見下ろす小高い丘の頂上に、テーギィは腕自慢の若者を2人残して行った。いわゆる『ハッタリ』というやつだ。
タルフィーア側からは、丘の先の様子を見られないので、どの程度の獣人が残っているのか分からない。
街を出て、追い掛けたところで待ち伏せを食らえば、街を守る人員が減ってしまう。
水掘や壁を活用すれば、獣人からタルフィーアを守りきれるが、打って出た場合、挟撃どころか数の力で押し包まれて磨り潰される心配がある。
偵察の報告を受けた時点で、タルフィーアの領主はテーギィ達の追撃を諦めて、援軍が到着するまで籠城すると決めた。
更に半日が経過した頃、獣人の見張りも仲間を追って姿を消したが、タルフィーアから追撃が行われることは無かった。