どうしても破産したくない商会主が現代知識を手にした結果はこれからです
ニグシの丘は、カルダットの街の西側にある高台だ。
断層によってカルダット側が隆起しているので、西の方向が良く見渡せる。
かつてオミネスとアルマルディーヌ王国が争っていた時代には、ここに物見櫓が組まれ、西の街道を見張っていたそうだ。
だが両国に友好関係が築かれて、既に百年以上の歳月が流れ、物見櫓は土台を残すのみとなっている。
早朝、今はカルダットの住民の散歩コースとなっているニグシの丘に、エッシャーム商会の主フンダールの姿があった。
かつて物見櫓を支えていた台座に腰をおろし、じっと西に向かう街道の先を眺めている。
街道にはノランジェールを経て、アルマルディーヌ王国へと向かう馬車や旅人の姿があるが、フンダールの瞳には映っていない。
地平の果てまで広がる穀倉地帯でもなければ、薄い雲のたなびく空でもない。
フンダールが目を凝らしているのは、人の身では見渡すことの出来ぬ時の流れの向こう側だ。
フンダールが父親の跡を継いで商会主になってから、既に20年以上の時が流れた。
その間、幾度かの天候不良によって、カルダット周辺の作物が深刻な不作となり、元々貧しかった者達が飢えに苦しみ命を落とした年もあった。
それでも、カルダットの街が戦火に包まれるような事は一度も起こっておらず、平和な日々が続いて来た。
カルダットの街を包む空気が変わり始めたのは、今から5年ほど前からだ。
アルマルディーヌ王国とサンカラーンの間では、長年に渡って小競り合いが起こっていて、勝ったり負けたりの状況がダラダラと続いていたのだが、ある人物の存在が戦況を一変させた。
言うまでもなく、アルマルディーヌ王国第二王子ベルトナールだ。
空間転移魔法を用いた戦術で、サンカラーンを相手に連戦連勝を収め始めた。
アルマルディーヌ王国で産出される鉄、サンカラーンの森で採取され魔道具の材料となる魔物の素材や水晶、敵国で採れるものだと分かっていても生活には欠かせない品物。
カルダットは、反目を続けているアルマルディーヌ王国とサンカラーンの両方の国を仲介する形で取引を行い発展してきた。
ところが、アルマルディーヌ王国が連勝し、サンカラーンが疲弊することで取り引きに影響が出始めた。
戦に勝利したアルマルディーヌ王国は、若くて健康な男女を奴隷として連れ去った。
戦でも戦死者を出し、更に奴隷として働き手を奪われる。
サンカラーンの里は、生活を維持していくのが精一杯という状況になっていった。
当然、採集される魔物の数が減り、その結果として購買力が低下する。
ベルトナールに敗北を喫した里は、困窮の坂を転げ落ちて行った。
もし、アルマルディーヌ王国やオミネスで同じような状況が起こったとすれば、当然国や周辺の町から救いの手が差し伸べられるだろう。
だがサンカラーンの場合、里の独立性が高く、他の里に救いを求めるのは恥だと考える気風が復興の妨げとなっている。
サンカラーンの里が購入する物は、アルマルディーヌ王国で産出される鉄だけではない。
むしろ、オミネスで栽培された穀物の方が、取り引きされる量としては多い。
採取される素材の量が減れば、素材の市場価格は上昇するが、いくら値上がりしたといっても、サンカラーンの里の者達が以前と同じ金額を手にすることは出来ない。
当然、購入できる穀物の量は減ってしまう。
カルダットの商人がサンカラーンの里に行商に行く場合、その道中は危険な森を抜けて行かなければならない。
里からも護衛を付けてもらえるが、取り引きの量が減っても道中のリスクは減らず、フンダール達からすれば商売の旨味がドンドン減っている状態だった。
サンカラーンの東側に位置している里は、ベルトナールの標的とされて来なかったので、取り引き全体を見れば儲けを維持出来ている状態だったが、商売の仕方を変える時期に来ていると思い始めていた頃だった。
変化の中心人物であるベルトナールが、サンカラーンに現れた竜人の少年によって毒殺された。
毒殺から2週間が経過し、カルダットにもベルトナール死去の報は届いたが、当然フンダールは誰にも毒殺の真相を話していない。
話したところで、誰も本気にはしないだろうが、冗談でも口にする内容ではないし、秘密は墓場まで持って行くつもりだ。
ワイバーンを一撃で倒すほどの戦闘力を持ちながら、青臭い理想論を語る少年が、まさかこんなに早くベルトナールを毒殺するとは、フンダールは想像もしていなかった。
エッシャーム商会が支店を出しているサンドロワーヌが混乱している時期に、街を治めているベルトナールが殺されれば、更に混乱が広がると苦情を言い立てたが、現在の状況はフンダールにとって好ましい方向へと転がっている。
一時は住民が逃げ出すほどの大混乱に陥ったサンドロワーヌも、守りを固める兵士が増強されると聞いた住民が帰還し、元の暮らしを取り戻し始めているらしい。
国境の街、ノランジェールの守りも強化されると聞いて、カルダットから行商に向かう者も増えている。
ベルトナールの空間転移という武器を失って、アルマルディーヌ王国による侵攻の回数も減るであろうし、サンカラーンの里も復興していくであろう。
事態が好転し始めているはずなのに、フンダールの頭の中では警鐘が鳴り続けている。
元々、商人として景気の良い時ほど備えを怠るなと、先代である父親から口うるさく諭され続けてきた。
だからこそ、ベルトナールの台頭でサンカラーンが疲弊しても、大きく売り上げを落とさずに商会を維持してこられた。
商工ギルドの知り合いからは、慎重すぎると言われる事もあるが、勝馬に乗り損ねて大きな儲けを逃すよりも、引き際を誤って致命的な損失を出さない方が重要だ。
「この先、何が起こる……どこに切っ掛けが転がっている……」
フンダールはアルマルディーヌ王国の方角を見据え、まだ見ぬ未来の日々を思いを馳せた。
商会に戻り、いつも通り午前の業務を行っていると、ベルトナールを毒殺した兵馬が訊ねて来た。
竜人の姿の兵馬は、フンダールの知らない少年を連れて来ている。
怪訝な表情を浮かべつつも、フンダールは二人を奥の部屋へと招き入れた。
ベルトナールの毒殺をフンダールが依頼した訳ではないが、その過程で必要な情報を兵馬に教えたりはしている。
確たる証拠が残されている訳ではないが、一蓮托生に近い状況にはある。
それに、ベルトナールと同等以上の空間転移魔法の使い手である兵馬は、フンダールにとっての貴重な情報元でもある。
アルマルディーヌ王国の王都ゴルドレーンの情報は、鳥を使って手紙を中継する方法でも4日は掛かる。
しかも、途中で魔物や猛禽などに襲われれば、届かない場合もあるのだ。
その貴重な情報を、一瞬で届けられる兵馬は、商売人としては絶対に手放してはいけない存在だ。
「フンダールさん、紹介させてもらう、俺と同じ世界から来た樫村一徹、こちら風に言うなら、イッテツ・カシムラだ」
「イッテツです、よろしく」
「フンダールです、こちらこそよろしく」
フンダールは如才なく挨拶を交わしながらも、兵馬が一徹を連れて来た理由を考えていた。
特に体格が優れているわけでもなく、一見しただけでは何処にでもいそうな感じだ。
フンダールの疑問を知ってか知らずか、兵馬が話を進める。
「樫村には、俺達の参謀役を担ってもらっている」
「と仰いますと、ヒョウマさんたちの行動の舵取りをなさっていらっしゃると思ってよろしいのですか?」
「あぁ、そう思ってもらって構わない」
「まぁ、僕が決めても麻田が勝手に動いたりしますけどね」
「ヒョウマさんを止めるのは、いくらなんでも無理でございましょう」
「それじゃあ俺が、ブレーキの壊れたダンプカーみたいじゃないか」
「みたいじゃなくて、その通りだろう」
「そのダンプカ……というのは?」
「あぁ、こっちにはダンプは無いな」
フンダールが耳慣れない言葉の意味を問うと、兵馬が説明を始めた。
兵馬達が暮らしていた世界では、魔法とは異なる技術が高度に発展しているという話だった。
「いやぁ、馬も使わずに走る車で、一度にそれほどの荷物を積んで、しかも馬の何倍もの速さで移動が出来ると言われましても……」
あまりにも荒唐無稽な話だとフンダール言うと、それまで殆ど言葉を発していなかった一徹が蒸気機関や内燃機関の原理を理路整然と説明してみせた。
フンダールが、わざと懐疑的な態度で質問を繰り返しても、一徹は冷静さを失わず淡々と答えを返してみせる。
冷静な態度を装いつつも、フンダールは内心で舌を巻いていた。
一徹が高度な教育を受けているのは疑う余地などなく、そのレベルはオミネスの首都にある高等学院に通う者と較べても引けを取らないと思われた。
ましてや、オミネスの僻地と言っても過言ではないカルダットでは、到底お目に掛かれない人材だ。
しかも、ダンムールにいる同郷の者達は、分野によっては一徹以上の知識を有している聞いてフンダールは驚きを隠せなかった。
同時に、これだけの人材を奴隷扱いして敵に回したと聞いて、フンダールはベルトナールへの評価を大きく下方修正した。
これは、毒殺されても仕方の無い人物であったと。
フンダールは給仕に新しいお茶を淹れさせ、張り詰めた空気を少し緩めた。
なごやかな空気の中でもう少し一徹という人物を見極めようとしたのだが、意外な質問をぶつけられた。
「フンダールさん、アルマルディーヌの製鉄が止まったら、カルダットはどの程度の影響を受けますか?」
「はっ? 製鉄が止まる……?」
「はい、チャベレス鉱山で行われている採掘、精錬の両方が止まった場合、どの程度の影響が出ますか?」
「いやいや、そんな事態になったら我々は大打撃を受けます……って、まさかチャベレス鉱山の奴隷を解放しようと考えているのですか?」
「そうですが、今すぐという話ではありません。調査を始めましたが、5万人近い奴隷を解放するのは簡単な話じゃない」
ベルトナールの暗殺に続いて、とんでもない事態が起こるのかとフンダールは肝を冷やしたが、一徹の冷静な態度を見て己の慌てぶりを恥じた。
「そうですね。実際、どれほどの影響になるのか計り知れないと答えるしかありません。カルダットに輸入されてくる鉄は、国同士の取引ではなく商会同士の取り引きですので、チャベレス鉱山が止まった時点では影響は出ませんが、いずれ大きな影響が出るという感じですね」
「なるほど、カルダットでは古い鉄器を鋳つぶして、新しい製品に作り変えたりもしていますか?」
「えぇ、勿論やっていますよ。オミネス国内では鉄鉱石が採れませんので、輸入の他は再生を行うしかありません」
「なるほど……」
その後も、一徹は柔和な態度は崩さなかったものの、鋭い質問を次々にフンダールへと投げ掛けた。
話が進むにつれて、フンダールは湧き上がってくる不安を抑え切れなくなっていった。
「イッテツさん、もし鉱山の奴隷を解放するのであれば、事前に我々に知らせてもらえませんか?」
「それならば、そう遠くない未来だと言っておきます」
「もう動き出していると思っても、よろしいのですか?」
「はい、焦って失敗するつもりはありませんが、あまりノンビリしているつもりもありません。もし反対なさるのであれば、敵対することも視野にいれなければなりませんが……」
「正直に言えば、鉄の生産が止まるような事態は避けていただきたいのですが、我々にとって未知の技術や情報は商売をする上では貴重です。皆様と共に栄えていけるように協力させていただきます」
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
一徹とも握手を交わしながら、フンダールは鑑定魔法を使ってみたが、危うく驚愕の叫びをあげるところだった。
火属性魔法レベル5に剣術レベル6なんて、高レベルの冒険者並みだ。
そこに明晰な頭脳と知識が加わっているのだから、この先どんな人物になるのか恐ろしくなるほどだった。
その一徹の隣に座っている竜人の兵馬は、ケルゾークの里を襲撃した300人以上のアルマルディーヌ王国の兵士達を返り討ちにしている。
会談を始めた当初、フンダールは一蓮托生の状況に不安も覚えていたが、この時点で絶対に敵に回してはならないと心に決めた。
その上で、支配されるのではなく、あくまでも対等な立場で取り引きを続けていく方法を考え始めていた。