どうやら兵馬の身体は完全無敵ではないようですね
ベルトナールが大量の血を吐き断末魔の痙攣を止めるまで、城の物置から一部始終を見守った。
俺を人跡未踏の地に置き去りにし、結果的に益子を死に追いやった張本人だから、息の根を止めれば達成感を味わえるだろうと思っていたのに、待っていたのは罪の意識だった。
クラスメイトを救出する時に二人、その後、ケルゾークでは数百人を殺しているのだから、罪悪感など覚えないかと思っていたが、苦しみ悶えて死んでいくベルトナールの姿が脳裏に焼き付いて消えない。
心臓が、全力疾走でもしたかのように胸の中で暴れていた。
一度千里眼を切り、目を閉じて深呼吸を繰り返す。
額から滴る汗を袖で拭って、大きく息を吐く。
カラカラに乾いた喉を魔法で作った水で潤すと、激しい吐き気に襲われた。
自分が魔法で作った水に、毒など入っているはずがないのに、またベルトナールの姿を思い出してしまったのだ。
頭を激しく振って脳裏に浮かんだ映像を消し去り、改めて千里眼を発動させる。
パーティーの会場は大混乱に陥るかと思いきや、参加者である貴族達はホールの端に身を寄せて、目の前で起こった出来事を嘆いているようだ。
我先に会場から逃げ出すかと思っていたのだが、良く考えてみれば参加者は全て招待客であろうし、下手に逃げ出せば有らぬ疑いを掛けられる心配があるのだろう。
会場で一番混乱しているように見えるのは、ベルトナールが飲んだ酒を配っていた給仕の男だ。
床に這いつくばり声は聞こえないが、必死に無実を訴えて泣き喚いているように見える。
王とおぼしき男が、治癒士と共に駆け付けた衛士に何事か指示し、給仕の男を連行させた。
この後、厳しい取り調べを受けることになると思うと心が痛んだ。
パーティーの会場には次々に武装した衛士が駆け付け、これから参加者への聞き取りが始まるのだろう。
物置の外からも大勢の足音が響いてくる。
そろそろダンムールに戻ろうと思っていた時だった、突然ホールの景色が消えて埃を被った木箱が視界に飛び込んで来た。
「えっ、どうなってるんだ……」
再び千里眼を使おうと試みたが、見えるのは普通の視界で捉えられる物だけで、透視する能力は失われている。
試しに空間転移を試みてみたが、やはり発動しない。
魔法が使えないと思った瞬間、また嫌な汗が噴き出してきた。
スキルゆるパクで手に入れた力が全て失われてしまったら、俺はただの高校生だ。
第二王子が毒殺された城の中に身元不明の男が潜んでいれば、どう思われるかなど言うまでも無い。
給仕の男に同情している場合ではなくなった。
桁外れの威力の魔法が使えるから百人を超える兵士とだって戦えるし、一瞬で遠く離れた場所まで移動できるから余裕をかましていられた。
その力が全部失われたら、兵士に発見されてしまったら、ナイフ一本持っていない俺には生き残る術など無い。
「ちくしょう、何でこのタイミングなんだよ……いや、落ち着け、まだ見つかった訳じゃない、落ち着け……落ち着け……」
急に襲って来た恐怖に漫画みたいにガタガタと震えだした身体を両手で抱え、荒くなった呼吸を必死に抑える。
深呼吸を繰り返していると、廊下を複数の足音が近付いて来た。
「探せ! 侵入者がいないか、徹底的に探せ!」
今一番聞きたくない言葉が耳に響いて来る。
俺がいるのは物置の奥に置かれた木箱の影だが、踏み込んで来られて明かりで照らされれば、見つかるのは時間の問題だ。
この廊下には、いくつかの物置が並んでいて、既に他の部屋が家探しされているらしい音が聞こえて来る。
逃げ出そうにも窓は無いし、出入口は一か所だけ、そこを出た廊下には間違いなく衛士がいるはずだ。
「やべぇ、詰んだか……」
荒々しい足音が近づいて来て、ドアが大きな軋み音を立てて開かれ、廊下から明かりが差し込んで来る。
いっそ、不意を突いて飛び出した方が生き残る確率は高いかと思った時だった。
「ちょっと待て! お前ら、これを見てみろ!」
踏み込んで来ようとする者達を制する声が響き、廊下から差し込んで来た明かりが戻っていく。
「見ろ、この埃を……足跡一つ無く分厚く埃が積もっている。こういう部屋は長く人が出入りしていない部屋だ。それに、ドアを開けた時に大きな軋み音がしただろう。あれも、長くドアが開いていなかった証拠だ」
「なるほど……」
「いいか、不審者を探す時には、こうした細かいところまで気を配って探せ。奥まで埃だらけだ、ここには居ない、次に行くぞ!」
「はいっ!」
部屋の中をグルグルと明かりが動き回った後、またドアが少し小さくなった軋み音を立てて閉められると足音が遠ざかっていった。
痛い程鼓動を高めていた胸を押さえた手を離し、止めていた息を吐き出す。
直接空間転移魔法で入り込んだので、ドアも開けていないし、足跡も残していなかったおかげで見つからずに済んだが、真面目に生きた心地がしなかった。
高まった心拍数を整えるために深呼吸をして、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせているうちに、ふと気が付いた。
「見える……見えてるな……」
窓も無く、ドアも閉められた物置の中は、明かりも点いていないのだから真っ暗なはずなのに、俺には物置の中の状況が普通に見えている。
こんな暗闇でも物が見えるようになったのは、赤竜から能力を奪ってからだ。
「てことは、竜人の力は残ってるってことか……」
赤竜から能力を奪ってから、身体能力も人間離れしてしまった。
ラフィーアに投げられて、頭から地面に叩き付けられてもノーダメージで立ち上がれる身体だ。
試しに、目の前の木箱の端を摘まんでみると、豆腐みたいに引き千切れた。
人間離れした身体能力が残されていると分かると、身体が震えるほどの恐怖感は去っていった。
まだ危機的状況から脱出出来た訳ではないが、竜人としての能力が消えていないのならば衛士に見つかっても戦う余地が残されている。
だが、竜人の力が残っているのに、なんで魔法が使えないのだろう。
試しにアイテムボックスを開こうとしても出来なかったし、火属性の魔法で火を出そうとしても出来ない。
その一方で、夜目を利かせたり、聴覚を強化するなどの身体強化は出来るようだ。
「身体の内部で使う魔法は使えるが、身体の外で発動させる魔法が使えないみたいだな」
千里眼は視力の強化のようだが、物体を透過させて見るという外部での魔法なので使えないのだろう。
何かの魔道具とか結界のような物が作動して、城の内部では身体の外部で発動する魔法に干渉をして使えなくしているような気がする。
相手の認識を狂わせて姿を隠すようなスキルを使えなくして、侵入者を発見しようとしているのかもしれない。
俺がダンムールに戻るには、この魔法への干渉を行っている範囲から抜け出す必要があるようだ。
とりあえず、城から出る事を最初の目標とするが、今はまだ多くの衛士が巡回を重ねていそうなので、監視の目が緩むまで暫く待つ事にした。
城内の捜索が終われば、魔法が使えない状態はアルマルディーヌ王国の者にとっても不便だし、戦闘能力を大幅に削いでしまうのだから、この干渉も止むような気がする。
兵士の監視が緩むのを待ちながら、脱出ルートを考えていると、軽い足音が近づいて来た。
ドアが小さく軋み音を立てた後、廊下の明かりが洩れて来て、すぐに消えたと思ったら物置の内部で明かりが点された。
「どうなってるの? 第二王子が毒殺されるなんて聞いてないわよ」
「こんなの私だって聞いてないわ」
聞こえて来たのは、複数の女性の声だった。
「やったのはどっち?」
「可能性で考えるなら、カストマールでしょう」
「そう思わせて、アルブレヒトの後ろ盾の誰かがやったとかは?」
「勿論あり得るわよ。だから、今は誰がとか決めつけずに探るしかないでしょ」
「国には……?」
「ジリオーラ様の所から知らせると思うけど……」
「監視が厳しくなりそうよね。こっちからも知らせておいた方がいいわよ」
「そうね……」
ジリオーラという名前には聞き覚えがある。フンダールの話に出て来た、第四王子の母親でオミネス出身の女性のはずだ。
つまり、この二人はオミネスの何らかの組織が送り込んだ者達なのだろう。
密談を終えた二人は、廊下に出ようとして小さく悲鳴を上げた。
「きゃっ……」
「貴様ら、ここで何をしている」
女性の悲鳴の後に聞こえてきたのは、野太い男の声だ。
「さ、探し物を頼まれて……」
「ほう、探しものか……」
男の声と一緒に、女性達が使っていたものよりも強い明かりが物置の中へ入って来た。
「探し物と言うわりには、部屋の中へ踏み込んでいないな」
「いえ、部屋を間違えたと思って……」
「その割には、随分長く部屋の中にいたようだが……」
「見るからに怪しいですねぇ……先輩」
「そうだな、こいつは確かめないといかんなぁ……」
どうやら男は衛士のようで、一人ではなく二人いるようだ。
金属がこすれるような音がして、女性が息を飲んだのは、鞘から剣が引き抜かれたからだろう。
「毒薬を持っていないか改める。着ている物を脱げ……」
「隠し立てすると、タダじゃ済まなくなるぞ」
「早くしろ!」
大声ではないが、威圧するような衛士の声の後、衣擦れの音が聞こえてきた。
「改めるから、こっちに渡せ……下もだ」
俺の位置からでは様子を覗えないが、女性達が服を脱ぐように強制されているようだ。
衛士の仕事のように言っていたが、こんな状況が正式な調べであるとは思えない。
「どうした……早くしろ」
「これ以上は……」
「なるほど、その中に毒薬を隠し持っているのか?」
「違います」
「ならば脱げ、改める……」
締め切った埃臭い物置の中に、戸惑い怯えた女の息使いと、男の邪な薄ら笑いが響く。
俺自身の安全を考えるならば、この先に起こるであろう全ての事が終わるまで息を潜めて隠れているべきだろう。
魔法が完全には使えない状態で飛び出して行けば、他の衛士にも気付かれ、結果的に女性達も死地に追い込む事になりかねない。
それでも、これ以上事態が悪化するのは、俺のちっぽけな正義感が許せなかった。
足音を殺して、木箱の影を移動すると、都合よく二人の衛士はこちらに背を向けていた。二人とも、露わになった女性の胸に気を取られて、俺の気配には気付いていないようだ。
一つ静かに深呼吸をした後で、竜人の力を解放して一気に衛士に走り寄り、手加減無しの手刀を二人の首筋に叩き込んだ。
パキっと嫌な音がして、糸が切れた操り人形のように倒れ掛かる二人を鎧を掴んで支える。
「急いで服を着ろ」
「貴方は……?」
「別口で潜入している時に巻き込まれた。それよりも急げ」
俺を完全に信用した訳ではなさそうだが、女性達は急いで身支度を整え始めた。
俺はぐったりとした衛士の小さい方から、鎧と服を脱がせて身に着ける。
俺達が身支度を終えても、二人の衛士は目覚める気配すらない……というか、二度と目覚めないだろう。
二人を木箱の影へと運び込み、近くに積んであった古いテーブルクロスか何かの布を被せておく。
証拠隠滅としては杜撰すぎるが、やらないよりはマシだろう。
身支度を終えた二人は、警戒するような視線を俺に向けていた。
「ベルトナールの件は、俺のルートからも国に知らせる」
「それじゃあ……」
女性が何かを言い掛けるのを片手を上げて抑えて、意味ありげに頷いてみせた。
「このまま戻って大丈夫ならば、先に出てくれ。俺はこの格好でも間違いなく怪しまれるからな」
「それならば、途中まで一緒に行きましょう。他の衛士に見咎められたら、私たちが怪しい行動をしていたので連行する途中だと言って下さい」
「だが、それで見破られたらどうする?」
「その時は、私たちは貴方に脅されて出口まで案内させられていたと話します」
「なるほど……じゃあ、それでいこう」
二人の女性はメイドとして城に潜入しているようだ。
先に二人が廊下に出て、大丈夫だと合図を寄越した。
二人に続いて廊下を歩きながら千里眼を使ってみるが、まだ上手く発動しない。
前を行く二人の後ろ姿には何の違和感も感じないが、俺は衛士らしく歩けている自信が全くなかった。
本物の衛士とすれ違えば、間違いなく疑われるだろう。
二人は廊下を進み、突き当りをホールとは逆の方へと曲がり、狭い階段を下り始めた。
途中、給仕らしき男とすれ違ったが、頭を下げた男に鷹揚に頷いて通り過ぎた。
この対応で良かったのか分からないが、何も言われなかったのだから大丈夫だろう。
「階段を下りきったら、突き当りを左に進んで下さい。通用口から城の外に出られます」
「分かった……」
突き当りを右へと進む女性達と頷き合って、俺は左へと進むと石造りの狭い廊下の先に出口が見えた。
城の建物を出れば魔法が使えるようになるかもしれないし、駄目だとしても竜人の身体能力をフルに使って敷地から逃げ出すつもりだ。
通用口と思われるドアに手を掛けようとしたら、外から二人の衛士が入ってきた。
驚いて身体がビクリと反応してしまったが、それは相手も同じだった。
「なんだ、脅かすな……」
「すまん……」
苦笑いを浮かべた衛士に、軽く会釈をして通り抜けようとすると相手の表情が一変した。
「貴様、何者……がっ」
「きさ……」
何を間違えたのかは分からないが、二人の衛士は俺が本物でないと見破っていた。
そして、見破られたと思うと同時に、俺は竜人の力を振るって二人の首を手刀で圧し折っていた。
物音を聞かれたのか、廊下の奥が騒がしくなる。
倒した二人はそのまま放置してドアの外へ出ると、千里眼が使えるようになった。
「おい、どうした!」
倒れた二人に呼び掛ける衛士の声を聞きながら、俺は空間転移で王都の外へと移動した。