いつでもダンムールに帰れるヒョウマは、オミネスで密談をはじめました 前編
オミネスの街カルダットに移動したのは、昼少し前だった。
まだケルゾーク襲撃の話は伝わっていないだろうと思っていたのだが、カルダットの中心地では張り詰めたような空気が漂っている。
人通りの少ない街外れに空間転移し、エッシャーム商会まで歩いて移動する間、戦乱を危惧する人々の声が聞こえてきた。
どうやら、俺とアルマルディーヌの戦闘を目撃した者がいるらしい。
「凄まじい攻撃魔法で、巨木が宙に舞っていたそうだ」
「濛々と土煙が上がって、相当激しい戦闘が行われているらしいぞ……」
アルマルディーヌの兵士達を撃退するのに夢中で、それこそ地形が変わるほどの攻撃魔法を連発した。
それが周囲からどんな風に見えていたかまでは、気を使うような余裕は無かった。
「ケルゾークが襲撃されたって事は、サンカラーンとは手を切れって脅しなのか?」
「それじゃあ救援は行わないのか?」
「救援に向かったと知られたら、次はカルダットが狙われるんじゃないのか?」
「そんな強力な攻撃魔法、どうやって防げば良いんだ?」
「だから……見捨てるしかないんじゃないのか?」
どうやら、カルダットに伝わっている情報というのは、戦闘の様子を遠くから眺め、知らせに戻った者の情報らしい。
ケルゾークの現状を知っている者の情報は、まだカルダットまでは届いていないようだ。
エッシャーム商会を訪れると、サンカラーンを回っているルベチの姿は無かったが、商会主のフンダールが面会してくれた。
と言うよりも、俺から情報を聞きたがっているようで、奥の応接室に通されると挨拶もそこそこに本題を切り出してきた。
「ヒョウマさん、ケルゾークの件をご存知でしょうか?」
「あぁ、アルマルディーヌの襲撃を受けた」
「被害は、どの程度なのでしょう?」
「十数人が犠牲になり、多くの建物が焼失した」
「何人ぐらい連れ去られたのでしょうか?」
「それは奴隷としてか?」
「勿論です。アルマルディーヌは、その為に襲撃を行ったのでしょう?」
「あぁ、そうか……アルマルディーヌの兵士は俺が全滅させた」
「なっ……今、何と……」
「俺が地形が変わるほどの攻撃魔法を撃ち込んで、原型を留めないほどに全滅させた。信じられないと言うならば、ケルゾークに行って自分の目で確かめてみると良い」
肝の据わった人物であるフンダールが、目を見開いて絶句した。
俺がワイバーンを撃退する力量の持ち主だとは知っていても、アルマルディーヌの兵士を全滅させるほどとは思っていなかったようだ。
「ヒョウマさんは……どのようにしてアルマルディーヌの襲撃をお知りになられたのです?」
フンダールの疑問は当然だろうし、ルベチは今後もダンムールの里に出入りをする。
となれば、クラスメイト達の存在は遠からず知られる事になるだろう。
「すまない……俺は、貴方達に嘘をついた」
「嘘と申しますと?」
「俺は北の山を越えて来た竜人ではなく、ベルトナールによって召喚された異世界人……こちらの言い方だと境界の渡り人だ」
「はぁ? 境界の渡り人……?」
続けざまに想定外の話を並べられ理解が追い付いていない様子のフンダールに、赤竜から半ば強制的に力を奪わされて竜人となった経緯を話した。
「なるほど……ヒョウマさんのその姿は、赤竜の力の影響ですか」
「そうだ。それで、俺が召喚された際にクラスメイト達も一緒に召喚され、サンドロワーヌに囚われていた」
「……と仰いますと、既に救出されたのですな?」
「あぁ、今はダンムールに滞在している」
「では、ケルゾークの襲撃をお知りになったのは、その後のサンドロワーヌの状況を監視なさっていらしたから……ですか?」
「その通りだ。千里眼を使ってダンムールから偵察を行っていたら、大勢の兵士が空間転移でどこかへ送られたのを見たんだ」
「それは、王都へ戻ったとは考えなかったのですか?」
「有り得ないな。サンドロワーヌでは暴動が起きて、情勢が不安定になっている」
「えっ……暴動?」
「あぁ、フェスティバルの最終日に、群衆に向かって暴走した馬が突っ込む騒動があって、そこから情勢が不安定になり暴動が発生して、多くの獣人族の奴隷やその所有者である人族までが襲われた」
サンドロワーヌで起こった一連の騒動は、まだカルダットには伝わって来ていなかったようで、想像を絶する事態の連続にフンダールは頭を抱えた。
「断わっておくが、俺は騒動を大きくするつもりは無いぞ。その気になれば、今すぐにでもサンドロワーヌの城を目茶目茶に破壊する事だって出来るが、それでは困るのだろう?」
「勿論です。今伺った話だけでも、どれだけの影響が出るのか分からないのに、これ以上の騒動などお願いですから止めて下さい」
「それは、アルマルディーヌの出方次第だな。奴らがケルゾークを襲撃する前に、俺が行ったのはクラスメイトの救出と物資の盗み出し。それに伴って二人の兵士を殺害しただけだ」
「ですが、それは王国の面子を……」
「止めてくれ! 俺はこんな姿になって、しかも元の世界に帰る術すら無いんだぞ。クラスメイト達は救出するまで奴隷の首輪まで嵌められていた。これでも我慢しているんだ」
「そうですね……失礼しました」
思わず声を荒げると、フンダールはハッとした表情を浮かべた後で頭を下げた。
応接室に重たい沈黙が流れた後、おもむろにフンダールが口を開いた。
「それで……ヒョウマさんは、この先どうなさるおつもりですか?」
「今日は、その相談のために来た。俺は竜人の身体になってしまったから、元の世界に戻っても見世物になるだけだからダンムールに残る。他のクラスメイト達は、何とか元の世界に戻る方法を探すつもりでいるのだが……それも難しいだろう」
アルマルディーヌの連中が元の世界に戻る方法は無いと公言していたと話すと、フンダールは頷いてみせた。
「それでは、お仲間もダンムールで暮らしていかれるのですか?」
「今の所はそのつもりだが、サンカラーンの者達の人族への感情を俺達は完全に理解出来ている訳ではない。無用の衝突を回避するならば、オミネスに移住した方が良いのかもしれないが、アルマルディーヌの連中に知られれば、今度はオミネスに迷惑を掛ける恐れがある」
「確かに……今回のケルゾークの襲撃についても、一部の者達はアルマルディーヌの警告だと捉えております。実際にアルマルディーヌがオミネスに対して攻撃を仕掛けて来る可能性は低いでしょうが、ヒョウマさんのお仲間が紛争に関わっていると知られた場合には迫害される恐れはございます」
「だろうな……まぁ、ダンムールに滞在するにしても、オミネスに移住するにしても、俺達はこちらの世界の事を知らなすぎるし、アルマルディーヌが好戦的な態度を変えない限りは、どこにいても安住は望めないだろう」
樫村達の様子からは、誰かに依存するというよりも、自分達で生活を成り立たせていこうという気概を感じる。
アルマルディーヌに対して腹立たしい思いは抱えているだろうが、だからと言って戦争を仕掛けて皆殺しにしようとまで考える者は居ないだろう。
戦争になれば自分達だって傷付いたり、命を落とす可能性がある事を理解出来ないような馬鹿ではない。
アルマルディーヌから仕掛けて来なければ、我々から戦争を吹っ掛けるつもりは無い。
「だから……ベルトナールを殺すつもりでいる」
「えぇっ! そんな事をすればアルマルディーヌは……」
「黙っていないだろうが、形勢は逆転するぞ。これまで好き放題していた空間転移魔法を使った作戦を、今度は逆に自分たちが食らう事になるんだ」
「確かにそうなりますが、アルマルディーヌはサンカラーンにとは違い、王を頂点として軍勢を動かす事が出来ます。全面戦争となれば、今までとは較べものにならない程の多くの血が流れる事になります」
「それならば、ベルトナールが攻撃を仕掛けて来るのを見逃せと言うのか? 里を焼かれ、住民が連れ去られるのを黙って見ていろと?」
「そう言う訳ではございませんが、王族を殺害するのはリスクが大きすぎます」
「あいつらは、自分が死ぬ覚悟も無しに他人を殺し奪うのか? 悪いがベルトナールの殺害だけは止める気は無いぞ。その代わり、その後に起こるかもしれない戦いを防ぐためには、全力を注ぐつもりだ」
フンダールは俺の決意が固いと見て取ると、右手を額に当てて考え込み始めた。
恐らくは、ベルトナールが殺害された後の状況をシミュレーションしているのだろう。
「ヒョウマさん、獣人族の奴隷はどうされるおつもりですか?」
「いずれ解放を要求する事になるだろうな」
「それも譲れませんか?」
「もしルベチや商会の人々が連れ去られ、奴隷として酷使されても黙っていられるか?」
「ですが、奴隷を解放してしまうと、アルマルディーヌの産業は成り立っていかなくなる恐れがあります」
「それは労働力の問題だよな?」
「そうです、鉱山を始めとして多くの場所で獣人族の奴隷が働いています。その労働力が一度に失われた場合には、それこそアルマルディーヌという国が無くなってしまうかもしれませんよ」
「だったら、まともな労働環境を整えて、正当な報酬を支払って働いてもらえば良いんじゃないのか?」
「そんな、それでは物の値段が……」
「それは仕方がないだろう。誰かの犠牲の上に成り立っている値段は不当な価格だ」
「サンカラーンの人々も、アルマルディーヌの鉄の恩恵を受けているのですよ」
「それこそおかしな話だろう。自分達の同胞の犠牲の上に安い鉄を使うなど間違っている」
「どうあっても譲れませんか?」
フンダールは、視線に力を込めて俺を見据えて来た。
商人として、獣人族の奴隷解放は受け入れ難いのだろう。
「獣人族の奴隷解放については譲れないが、期間については譲歩する余地はある」
「と言いますと?」
「一度に労働力が失われると大きな混乱を招くと言うのであれば、少なくとも今の劣悪な環境は改善すべきだ。その上で、高齢の者や病気や怪我に苦しんでいる者は即時解放、その後は段階的に解放を進めるという手はあるんじゃないか?」
「なるほど……国が無くなるような大きな混乱は望んでいらっしゃらないのですね?」
「俺達はダンムールの一員として暮らしていくんだ、サンカラーンの一員として譲れないものはあるが、隣人であり取り引きのあるオミネスが混乱する事態は避けたいと思っている」
「それならば、ベルトナールの殺害は思い留まっていただきたい」
「悪いが、それは無理だ。ベルトナールが居なくなった後の事を考えてくれ」
「どうあっても駄目ですか?」
「駄目だな」
フンダールは大きな溜息を洩らして俯くと、二度三度と首を振った後で顔を上げた。
「分かりました。その代わり、ヒョウマさんには別の王子の殺害をお願いするかもしれません」
「別の王子……?」
「はい、アルマルディーヌ王国には、次期国王と目される王子が四人います」
「ベルトナール以外に三人という事だな?」
「はい、第一王子アルブレヒト、第二王子ベルトナール、第三王子カストマール、第四王子ディルクヘイムの四人です」
「俺がベルトナールを殺害したら、誰が王になるんだ?」
「ベルトナールがいなくなった場合、アルブレヒトかカストマールのどちらかと言われています」
「俺が殺すとしたら、どっちだ?」
「両方です」
どうやらフンダールは腹を括ったらしく、老獪な商売人の顔を取り戻してアルマルディーヌ王族の事情について語り始めた。