王の器
アルマルディーヌ王国の王子は、十五歳を迎えると後宮から城外の屋敷に移り独立する。
兵馬がスラム街で銅貨を配って歩いていた頃、城外にあるベルトナールの屋敷にも侵入者の知らせが届けられた。
「ベルトナール様……ベルトナール様……」
信じられない敗戦の衝撃によって、床に入った後もベルトナールは寝付けずにいた。
ようやく浅い微睡みに落ちかけていたところを起こされ、ベルトナールは眉間に深い皺を刻みつつ目を開いた。
「城に賊が侵入いたしました」
「なんだと!」
眠りを邪魔された憤りなど、一瞬にして吹き飛んでしまった。
アルマルディーヌ王国の王城への賊の侵入は、四代前の王が大公であった弟の軍勢によって殺されて以来のことだ。
「父上は無事なのか?」
「はい、王族の方々は皆様ご無事でございます」
「そうか……では被害は物資か?」
「はい、食糧庫や薬庫、取引所の金庫などが荒らされた模様です」
ケルゾークの襲撃に失敗した後、ベルトナールは早急に次の一手を考えて実行に移すつもりでいたが、まさかそれよりも先に更なる襲撃を受けるとは思ってもいなかった。
「忌々しい……本当に忌々しい竜人め」
「ベルトナール様、城に侵入した者は竜人ではなかったようです」
「なんだと……」
侵入者を目撃した者の話では、黒ずくめ顔などは確認できなかったが、ベルトナールが話していた竜人のような太い尻尾は無かったそうだ。
しかも、城のあちこちで姿が目撃されており、複数の者が侵入したらしいという報告が届いている。
「そいつらが、盗んだ品物を持ち出すところは目撃されているのか? どちらの方向へ逃げた?」
「いえ、侵入者の姿を見ただけで、それもすぐに見失っているようです」
「ならば、空間転移魔法の使い手が、一人の人間をあちこちに移動させ、我々の混乱を狙っているのだろう」
「では、別の場所に竜人が控えていたのでしょうか?」
「そう考えるべきだ。ふん、そのような小細工に私が引っ掛かるとでも思っているのか」
ベルトナールはサイドテーブルの水差しから、グラスへ水を注いで一息に飲み干した。
「ベルトナール様、この後はどうされますか?」
「盗まれた品物のリストを作らせろ、私は夜明けまで休む。のこのこと城まで出向いたところで、空になった倉庫を眺め、母上達の泣き言に付き合わされるだけだ」
ベルトナールはローレンツを下がらせた後で再び床に入ったが、眠気はすっかり去ってしまっていた。
繰り返し考えているのは、竜人の意図がどこにあるのかだ。
ケルゾークの救出に駆け付けて来た事を見るとサンカラーンの味方のように見えるが、それならば王都で盗みを働くよりも城を破壊した方が効果的だろう。
実際、城を灰塵とするほどの力をケルゾークでは振るっている。
では、なぜ城を破壊しなかったのか。
竜人は、単純にサンカラーンの獣人共に味方している訳ではないからだろう。
「オミネスか……」
竜人がオミネスと結託しているのであれば、ケルゾークの襲撃に気付いたのも合点がいく。
ケルゾークはサンカラーンの中で、地理的に最もオミネスに近い里だ。
オミネスは、アルマルディーヌ王国とは違い人族と獣人族が共存している国だ。
城で目撃された賊が人族であるのも、オミネスの手の者だとすれば納得出来る。
「あの刺客もオミネスの者なのか……?」
サンドロワーヌの城で襲われた場面を思い返してみれば、背後に突然刺客が現れたようだった。
空間転移魔法の使い手である竜人が、刺客を送り込んだのかもしれない。
「いや……私は思い違いをしているのかもしれん」
ベルトナールは竜人の圧倒的な攻撃力を目にして、てっきり空間転移魔法も竜人が使っているものだと思い込んでいたが、別人の可能性を考え始めた。
「空間転移魔法を使っているのは私を襲った男で、竜人はその男によって送り込まれて来たのか……?」
オミネスが裏で糸を引いているのであれば、王都の城が破壊されて王族が死傷するような事態は望んでいないはずだ。
アルマルディーヌ王国が混乱すれば、オミネスの経済に深刻な打撃を与えることになるからだ。
今回、王都に竜人が現れなかったのは、オミネスの者達も完全にはコントロール出来ていないからだろう。
一度戦場に送り込めば、相手を殲滅するまで戦う状態だとすれば、王都に送り込むことは出来ない。
「オミネスの者が、どこからか竜人を連れて来たのか……」
一連の出来事はオミネスが、空間転移魔法の使い手と竜人という二人の手駒を使って暗躍した結果と考える一番しっくりくる。
目的は勿論、ベルトナールの失脚。
「ディルクヘイムの即位か……ふん、あの無能を王に据え、アルマルディーヌを支配するつもりだろうが、そうはさせん。必ず尻尾を掴んでくれる」
ベルトナールが浅い眠りについたのは、空が白み始めた頃だった。
連日の魔法の行使、襲撃による心労、そして睡眠不足が重なって、ベルトナールの目覚めは最悪だった。
ただでさえ色白の顔は青みを感じるほどで、両目の下には色濃く隈が浮かんでいる。
頭が重く、喉にも軽い痛みを感じ、明らかに体調を崩しかけていたが、ベルトナールにとっての災厄は終わらない。
目覚めたベルトナールの下には、王からの召喚状が届いていた。
昨夜の侵入者の知らせに対して、城に出向かなかったツケが早速回ってきたのだ。
そして、馬の暴走騒ぎから始まった一連の騒動は、ベルトナールにとっては汚点とも言える出来事なので、王に対しても報告をしていない。
ベルトナールにとって城への侵入者は一連の騒動の一部であるが、王を始めとする他の王族達にとっては降ってわいたような一大事だったのだ。
竜人の意図を読む事に気を取られ、その温度差にベルトナールは気付かなかった。
呼び出された『論議の間』には、国王ギュンター、第一王子アルブレヒト、第三王子カストマール、第四王子ディルクヘイムらが顔を揃えていた。
アルマルディーヌ王国の王子はベルトナールを含めた四人で、この中から次の国王が選ばれると目されているが、ディルクヘイムは即位には消極的で実質候補は三人と言われている。
これまでベルトナールは、他の追随を許さない功績を残してきたが、それ故にアルブレヒトとカストマールの表情には、この風向きの変化を何とか利用してやろうという野心が透けて見える。
「来たか、ベルトナール……」
「遅くなりまして、申し訳ございません」
遅れて現れたベルトナールを見るアルブレヒトやカストマールの視線には隠し切れない敵愾心が含まれていたが、国王ギュンターの視線には信頼と事態解決への期待が含まれているように見える。
そしてディルクヘイムは、ベルトナールの目には状況を面白がっているように見えた。
「昨夜、城に賊が侵入したことは聞き及んでいるな?」
「はい、既に盗み出された物のリストにも目を通してございます」
「そうか、今回の騒動、そなたの目にはどう映っている?」
「まだ確証はございませんが、おそらくオミネスの手の者が関係しているかと……」
「ほう、何故そう考える?」
「これまで幾多の戦いに臨んで参りましたが、獣人共はこのような手の込んだ策は弄しませぬ。戦闘ではなく物資の盗み出しを行っている事こそが、オミネスの者共が手を貸している証拠かと存じます」
ベルトナールはディルクヘイムが同席している場で、あえてオミネスの名を出してみたが、目に見えるような動揺は感じられなかった。
「では、そなたは今回の事態は、オミネスとサンカラーンが手を組んで行ったものだと考えておるのか?」
「はい。ですが、オミネスが国として関係しているのか、それとも個人の冒険者などが手を貸しているのかまでは不明です」
「そうか。今回の賊は空間転移魔法を使ったのでは……と言われているが、どう思う?」
「私もそのように考えます。収納魔法の使い手という可能性もございますが、侵入の手口から見ても空間転移魔法の使い手だと考える方が自然でしょう」
ギュンターは満足げに頷いたが、第一王子のアルブレヒトが口を挟んできた。
「ベルトナール、貴様の仕業ではないのか?」
「私の? 何故、私が城の物や金を盗む必要があるのです? 必要であれば正規の手続きをすれば済むことです」
「このところ、不手際が続いてるいるそうだな。そこから目を逸らさせるために、架空の敵をでっち上げたのではないのか?」
「私を疑っておられるならば、屋敷でもサンドロワーヌの城でも、どこなりともお調べになるとよろしい。ですが、現実の敵から目を逸らしていては、相手の思う壺ですぞ」
「止めよ。今は我々が争う時ではない」
アルブレヒトは、まだ何か言いたげではあったが、ギュンターの言葉には素直に従った。
「ベルトナール、最近そなたの施策に支障が生じていることは聞いておるが、少し詳しく話してみよ」
「はい、事の起こりはサンドロワーヌで行われていたフェスティバルの最終日でした……」
ベルトナールは、馬の暴走騒動から昨夜の王城への侵入者までの出来事を語って聞かせた。
勿論、馬の暴走騒ぎを起こした者が、ベルトナールが異世界から召喚した者だとは明かしていない。
獣人奴隷を犯人に仕立て上げて処刑した後に起こった暴動騒ぎも、ベルトナールは第一王子や第三王子の手に者による扇動に端を発していると推察していたが、これもサンカラーンの獣人に雇われた者の仕業と断じた。
その上で、自身の暗殺未遂やサンドロワーヌ城でも物資の盗難が行われている事、昨夜の賊も恐らく同様の手口で、空間転移魔法の使い手が関係している事を伝えた。
その上で、ケルゾークに攻め入った四百人の兵士が、竜人と思われる者に全滅させられた事も明かした。
「八つの部隊を一人で殲滅しただと……それは真か?」
「はい、私が撤収のための転移魔法を発動する暇すらありませんでした」
「有り得ん! お前の不手際を隠すためのでっち上げだろう!」
「兄上、竜人は実在いたします。事実から目を背け、備えを怠れば足下を掬われますぞ」
「下らぬ。いくら高い戦闘力を誇ろうとも、所詮は一人ではないか。押し包んで攻撃すれば良いだけの話だ」
第一王のアルブレヒトは第一王妃の美貌を受け継いでいるが、長年に渡ってベルトナールの後塵を拝している卑屈さが表情を歪ませている。
「竜人自身が空間転移魔法の使い手であるか、あるいは別の使い手と組んで突然現れます。そのような相手を押し包んで叩けるのですか?」
「どこに現れるか分からない相手ならば、姿を現さなきゃならない状況を作るまでだ。そのケルゾークの襲撃こそが良い例だ。四百などと小人数で攻め込むから返り討ちを食らうのだ。万余の軍勢を揃えて押し出せば、竜人など蟻を踏み潰すようなものだ」
実際に竜人の戦闘力を目の当たりにしたベルトナールからすれば、何と馬鹿な事を言っているのかと思ってしまうが、国王ギュンターですらアルブレヒトの意見に耳を傾けている。
ベルトナールが空間転移魔法を使った作戦を始める以前は、アルマルディーヌ王国の戦術は数と規律による力押しだった。
長年に渡って、危機に陥った時にも乱れない統率の取れた隊列こそが、個の近接戦闘能力に勝る獣人に対する最良の戦術とされてきた。
強力な個に対しては巨大な軍団をぶつける事こそが、アルマルディーヌ王国における算術上の最適解なのだ。
「父上、私に五千の兵をお貸し下さい。竜人もろ共サンカラーンの里を磨り潰し、アルマルディーヌ王国の恐ろしさを思い知らせてくれます」
「良いだろう。カストマール、そなたにも五千の兵を貸し与える。アルブレヒトと連携し、別々の里を同時に攻めよ。ベルトナール、そなたにも望むだけの兵を与える。二人と同時に、ダンムールに攻め込め。奴らが王城に土足で入り込むならば、こちらもサンカラーンの象徴でもある里を踏みにじるだけだ」
竜人と空間転移魔法の使い手を相手に、一人で局面を打開しようとしていたベルトナールは、父ギュンターの果敢な戦力の投入に目を見張った。
権力を握るとは、権力を振るうはどういう事なのか、改めて教えられてたように感じていた。
それと同時に、その権力を己の手に握りたいという思いを強くした。