詰みかけ悪役王子の錯覚
アルマルディーヌ王国の第二王子ベルトナールは苛立っていた。
襲撃された二日後には、サンドロワーヌ城の留守を任せているタルビオスに指令を出し、初動対応をさせてから自らが赴く予定だったが想定外の事態が起こってしまったからだ。
ベルトナールが指揮を執るようになって以来、アルマルディーヌ王国は宿敵サンカラーン相手に連戦連勝。
損害が出たとしても前線の兵士、それもごく少数に限られていた。
順風満帆と言っても良い状況だったが、馬の暴走騒ぎでサンドロワーヌの住民に多くの死傷者が出てしまった。
その原因がベルトナールが異世界から召喚した奴隷とあっては、迅速な対応が必要なのは言うまでもない。
だからこそ、体調が戻らず自分が直接民衆にアピールが出来ない状況なので、タルビオスに対処を命じたのだ。
敵意をサンカラーンに向けさせ、公開処刑というショーによって住民の不満を一時的に緩和するつもりが、予想もしていない大規模な暴動に発展してしまった。
しかもベルトナールが事態を知ったのは、暴動が起こり大勢の獣人奴隷が殺され、人族の住民にまで被害が及んだ後になってからだ。
王都とサンドロワーヌとの連絡は、朝と夕方の二回、暴動の起こった日の夕方に知らせを受けたベルトナールは増援の兵士の手配を行い、翌日にはサンドロワーヌへと送り込めるように準備を進めさせていた。
ところが翌朝、出発前の確認のために受けた報告書には、異世界から呼び寄せた奴隷達が収監していた建物ごと姿を消したという信じがたい内容が書かれていた。
タルビオスからの報告は、誤解の生じないように建物が消えた後の様子が細かく記されていた。
奴隷たちを見張っていた兵士二人も殺害され、建物は土台ごと綺麗さっぱりと消え去っていたと記されている。
ベルトナールは、読み終えた報告書を側近のローレンツに差し出した。
「これは! 空間転移魔法ではありませんか!」
「であろうな……だが、どこの手の者だ?」
「それは、サンカラーンの息が掛かった者ではないのですか?」
「獣人共が、そんな回りくどい事をすると思うか?」
「それは……」
アルマルディーヌに損害を与えようとする者としては、サンカラーンが一番先に思い浮かぶが、獣人族は手の込んだ作戦を立てたりしない。
獣人族の戦術は単純明快、例えるならば全速力で走って行って全力で殴るという感じだ。
「なぜ建物ごと移動させられる程の空間転移魔法が使えるのに、獣人族の兵士を送り込んで来ない。近接戦闘が得意な獣人共が街中で暴れる方が、我らにとっては痛手となるのではないか?」
「確かに、その通りです……」
「建物ごと奴隷を奪うほどの空間転移魔法を使えるのであれば、暴動が起こった時点で大量の獣人族を送り込み、奴隷達が殺されるのを防いでいただろう。何らかの事情があって、暴動への対処が出来なかったのだとしたら、それこそ報復のために兵士を送り込んで来る方が自然だ。そうなれば、サンドロワーヌの城は落とされ、この報告書も届いていなかっただろう」
サンドロワーヌが獣人族の手に落ちる光景を脳裏に思い描き、ローレンツは顔を蒼褪めさせた。
ベルトナールは、自分の考えをローレンツに話しながら推察を進める。
「サンカラーンでないとすると、オミネスか……いや、奴隷共を奪う理由がない」
「まさか、第四王子の手の者では……」
「ディルクヘイムだと? ふん、有り得ん……とも言い切れぬか。女狐のジリオーラが裏で糸を引いているなら……」
「狙いはベルトナール様の失脚では……」
「念のため、ジリオーラの周囲の監視を強めておけ」
「かしこまりました」
「あぁ、少し待て……」
部屋を出て行こうとするローレンツを呼び止め、ベルトナールは更に考えを巡らせる。
「それと、オミネス国内で噂を集めろ。突然建物が現れたとか、見慣れぬ黒髪の集団が現れたとか、それらしい噂を拾ったら裏を取れ。奴隷共が自由になれば、アルマルディーヌに仇なす者となる可能性が高い」
「では、ノランジェールの検問を厳しくいたしますか?」
「そちらは、サンドロワーヌで奴隷共と接していた兵士を送り込ませるようタルビオスに命じておく」
「他に御用は……」
「良い……」
部下に指示を出すためにローレンツが退室した後も、ベルトナールは思考を続けていたが、その脳裏に兵馬の姿が浮かぶことは無かった。
ゆるパクのスキルは実際に機能していたのだが、ベルトナールの目には何の効果も無い役立たずのスキルとして認識されている。
役に立たないスキルしか持たない者が、魔物が闊歩する未開の地に置き去りにされたら、生き残る可能性など無いとベルトナールは思い込んでいる。
兵馬が生き残り、ベルトナール以上の空間転移魔法を手に入れてクラスメイトを助けたなど、想像すらしていなかった。
ベルトナールの脳裏に浮かんでいるのは、まだ見ぬ敵が、どんな手段で己の足を引っ張りに来るか、そのシミュレーションだ。
王位継承争いは、影の部分での足の引っ張り合いでもある。
百人、千人単位の参加者が椅子を争うのであれば、他人の足を引っ張るよりも己の実力を磨いた方が良いが、候補者が限られている争いならば話は違ってくる。
ベルトナールが失態を重ね、民衆や貴族たちの支持を失えば、それは他の王子達にとって大きなプラスに働く。
「私の足を引っ張って上に行こうという魂胆だろうが、そうはさせんぞ……」
ベルトナールは、足を引っ張りに来る連中を上回る速さで対策を進めるつもりでいる。
それは、減税とサンカラーンへの出兵だ。
馬の暴走騒ぎ、その後の暴動の原因は、住民達の間に燻っている不満だ。
一番の不満は生活が豊かにならないことだが、これといった産業のないサンドロワーヌで根本的に対処を行うのは難しい。
そこでベルトナールは、暴走騒ぎによって多くの者が犠牲となり傷ついたことを理由にして一時的な減税措置を行うつもりでいる。
恒久的な減税措置は財源的に難しいが、今回に限るならば何とかなる。
サンカラーンへの出兵は、住民の不満を和らげると同時に、減税のための財源確保の目論見でもある。
多数の獣人を捕獲して奴隷商人に下げ渡せば、まとまった金が手に入る。
それを減税のための財源の一部とするつもりだ。
ローレンツとの密談、公式の手配などを終え、ベルトナールは午後からサンドロワーヌへと向かった。
一緒に連れて行く兵士は総勢四百人。
王都からサンドロワーヌまで、これだけの人数を一度に空間転移させるのは、ベルトナールにとっても限界に近い能力を行使する必要があった。
だが、サンドロワーヌの状況を安定させると同時に、サンカラーンへの出兵を行うには必要な人員でもある。
サンドロワーヌ城の訓練場に無事に転移を終えたベルトナールは、休息の後に出兵の準備を進めるつもりでいたのだが、その計画はまたしても狂わされる。
普段ならば黙して指示を聞くタルビオスが、ベルトナールの到着を待ちかねたように報告をしてきた。
「申し上げます、サンドロワーヌ城に賊が侵入いたしました」
「なんだと! 損害はどの程度だ」
「書庫、備品庫、武器庫、食糧庫などの品物を余すところなく奪われました」
「なん、だと……」
賊の侵入と聞き、てっきり戦闘が行われたとベルトナールは思ったのだが、実際に起こっていたのは物資の盗難だった。
報告を聞いたベルトナールは奥歯を噛みしめ、こめかみには青筋を浮かべた。
戦闘となれば、こちらにも損害が出るだろうが、相手にも損害が出る。
負傷した獣人族の兵士を捕らえれば、戦果として住民にアピールすることも可能だが、物資の盗難では一方的な損害が出ただけで何の宣伝にもならない。
しかも、四百人もの兵士を引き連れて来たばかりだ。
戦闘のための装備は持たせてあるが、食料までは持たせていない。
長時間の移動を伴う普通の戦術とは違い、空間転移魔法を使うベルトナールの戦術は電撃戦だ。
転移と同時に戦闘を開始し、殆どの場合はその日のうちに作戦は終了する。
そのため、ベルトナールの戦術には兵站への備えは存在していない。
極端な話、物資が足りなくなれば空間転移魔法を使って送れば良いのだ。
だが、その送り込むための元となる食料や物資までが奪われたとなると話は別だ。
増員として連れてきた兵士どころか、元々サンドロワーヌ城に配置されている兵士達の食糧にさえ事欠く状態だ。
更に間の悪い事に、民間から穀物を徴収しようにも、倉庫街では先日の暴動によって穀物などの略奪が行われ、まとまった量の確保が難しい。
調子に乗った兵馬が行った食料の奪取は、ベルトナールにとって思わぬ痛手となった。
「食料は王都から取り寄せる、心配は要らぬ。サンカラーンへの出兵は予定通りに行うつもりだが……書庫の確認に行く」
「はっ……」
タルビオスの報告で、食糧庫以上にベルトナールが気になっているのが、書庫の品物を奪われたことだ。
書庫には、アルマルディーヌ王国の現状を示した資料やサンカラーンへの遠征の内容を記した書類が置いてある。
その資料を奪われるということは、アルマルディーヌ王国の内情を曝け出すことに他ならない。
これから着手するサンカラーンの出兵も、既に計画してあったものを前倒しする形で進める予定なので、その資料も奪われたとなればアルマルディーヌ側の作戦が知られたことになる。
「なんだと……」
書類どころか書棚すらも無くなり、もぬけの殻となった書庫を見て、さすがのベルトナールも絶句した。
「サンカラーンへの遠征を一旦延期し計画を練り直す」
「はっ……」
「従来の計画で遠征を実施すれば、最悪待ち伏せを食らうことになるだろう。王都から控えの資料を取り寄せ、計画を練り直したのちに速やかに実施する。兵たちの気が緩まぬように、連携確認のための訓練を行わせよ」
「かしこまりました」
ベルトナールは執務机に向かい、王都にいるローレンツへの命令書をしたためた。
「うぬぅ、紙やインクまでも用意させねばならぬのか……」
途中で立ち寄った備品庫も、書庫と同様に何もかもが奪い去られていた。
ローレンツへの命令書は、執務机に残されていた紙とインクを使って書いているが、潤沢な予備までは無い。
遠征の計画を練るための資料についても、さすがのベルトナールでも細かい数字までを把握していない。
作戦を立案するための資料すら奪われたのだ。
食料、備品、そして資料を整えるようにローレンツへ向けた命令書を書き終え、文箱に収めたところでベルトナールは己が消耗していることを思い出した。
四百人の増員を連れての空間転移によって魔力を消耗した状態で転送を行えば、最悪目的以外の場所に送ってしまいかねない。
文箱に収めた命令書には、ベルトナールの失態とも言える状況が記されている。
こんな文章が他の王子の手に落ちるような事になれば、更に事態は悪化するだろう。
ベルトナールは、新たに選出した護衛に身辺警護を命じて自室で休息を取ることにした。
仮眠のためにベッドに身を横たえたが、目が冴えて思うように眠りに落ちてゆけない。
「こちらに損害を与え、己らは私腹を肥やすつもりか……浅ましい奴らめ、必ず報いを受けさせてやる……」
引き起こされた事態が、自分が行った召喚と置き去りに対する報いだと、ベルトナールは気付く由もなかった。