後ろ盾0人スタートの第四王子様
今年十七歳になる第四王子ディルクヘイムは、美形の王子として貴族達に知られているが、口の悪い者からは美しいだけの王子などと陰口を叩かれている。
外見だけ、美しいだけ……などと揶揄されるには二つの理由がある。
一つ目の理由は、魔法においても、勉学においても凡庸な才能しか持ち合わせていないからだ。
王族の子息は家庭教師から教育を受ける者が多いが、ディルクヘイムは王都の学院に通っている。
学院では、魔法、勉学、武術などを学ぶのだが、ディルクヘイムはどの分野においても下から数えた方が早い程度の成績しか残せていない。
学院では、表向き王族といえども成績には手心は加えないとされているが、実際には水増しが行われている。
それにも関わらず、下から数えた方が早いのであれば、純粋な実力は更に劣っていると考えられても仕方ないだろう。
整った顔立ちで、いつも笑顔を絶やさない大らかな性格は、悪く言えば能天気そのものだ。
成績にこだわらない大らかさこそが王族としての美徳……などと擁護する者も多いが、国王の資質があるかと問われれば首を横に振るはずだ。
長年にわたって獣人族と敵対関係を続けているアルマルディーヌ王国では、国王が凡庸であるなど許されるはずがない。
二つ目の理由は、ディルクヘイムには後ろ盾が無いからだ。
現在、アルマルディーヌ王国で次期国王に一番近い場所にいるのは、第二王子のベルトナールだと言われている。
空間転移魔法を使い、獣人族相手に連戦連勝を続けてきたからだが、それによって多くの貴族後ろ盾を得ているからこそ、次期国王の最右翼とされているのだ。
第一王子アルブレヒトや第三王子カストマールにも、ベルトナールほどではないが後ろ盾はある。
第一王妃や第二王妃の実家や親戚の貴族が、表向きには後ろ盾となっている。
ただし、ベルトナールの実績が飛びぬけているので、後ろ盾と言っても形ばかりというのが実情だ。
だがディルクヘイムには、その形ばかりの後ろ盾すら存在していない。
なぜなら、母親である第四王妃はアルマルディーヌの貴族の出身ではないからだ。
第四王妃ジリオーラは隣国オミネスの外交大臣の妹で、親善使節の一員としてアルマルディーヌを訪れた折に見染められて王妃となった。
そのためディルクヘイムは、アルマルディーヌ貴族の後ろ盾を得られていない。
別の見方をするならば隣国オミネスが後ろ盾とも言えるが、ディルクヘイムが王となり、オミネス寄りの政治をしないか危惧する者もいるので、プラスには働いていない。
凡庸で後ろ盾も無いとなれば、ディルクヘイムを次代の国王に推す者がいないのは当然だろう。
これは、貴族の間に限ったことではなく、民衆の間でも『お飾りの王子』などと噂されている。
国王の椅子に座るのではなく、アルマルディーヌとオミネスの友好の証として飾られているのが相応しいと殆どの者が思っているのだ。
これで本人が王位を望んでいるのであれば悲劇だが、ディルクヘイム自身が王位継承に興味を示していない。
後ろ盾を得ようと積極的にパーティーに参加するでもなく、同年代の貴族と交流を持つ訳でもなく、むしろ平民の子供たちと交流を深めていた。
実際、ディルクヘイムは国王の座など望んでいなかった。
「うーん……ちょっとやり過ぎじゃないの?」
「王子、我々の手の者が扇動した訳ではございませんよ」
「あぁ、アルブレヒト……いや、カストマールの手の者か」
「はい、恐らくは……」
暴動が起こった翌日の深夜、ディルクヘイムは部下からサンドロワーヌの様子を聞き取っていた。
窓には分厚いカーテンを下ろし、小さな明かりだけを灯した暗い部屋で、ディルクヘイムは眼光鋭く小さな文字で書かれた手紙を読んでいる。
書かれている内容は、サンドロワーヌで罪人の処刑後に起こった暴動の様子だ。
王都からは替え馬を乗り継いでも片道で五日は掛かるサンドロワーヌでの出来事を、一日程度の時間で把握できるのは、ベルトナールを除けばディルクヘイムだけだろう。
連絡は、テイムした魔物によってもたらされた。
ストームオウルは、夜空を音も無く猛スピードで飛ぶ風属性の魔物で、使役しているのは第四王妃ジリオーラ付きの女官だ。
ジリオーラがオミネスの外交大臣の妹という話は真っ赤な嘘で、実際はオミネス政府の暗部が送り込んだスパイだ。
当然、ディルクヘイムも役目を受け継いでいる。
「ベルトナールの足を引っ張るのに夢中で、民衆の矛先が自分に向けられるかもしれない……とは思わないのかな?」
「ですが王子、ベルトナールを失脚させるには、この程度の騒ぎでも足りませんよ」
「分かっているけど、これだけ一度に獣人の奴隷が殺されたことがサンカラーンに伝われば、僕らが望まない事態になるんじゃないのか?」
「それは、仰る通りですが……」
ディルクヘイムが望んでいるのは、ベルトナールの失脚だ。
ベルトナールが頭角を現して以後、アルマルディーヌとサンカラーンのバランスが崩れ始めた。
双方と取引を行っているオミネスにとっては、一方的にアルマルディーヌが勝ち続ける展開は好ましくない。
実際、サンカラーンとの取引は、ここ数年減少傾向が続いている。
労働力としての獣人族は、戦争で捕らえて来るよりも、繁殖方法の見直しや労働環境の改善で十分に補えるはずだが、目に見える成果に囚われているベルトナールは更なる戦果を求めている。
「ロドス、あの異界の奴隷達は仲間が死んだのに反発しなかったのか? 余程の腰抜け揃いとみえるな」
「ですが、そのうちの一人が今回の一件の発端でございます」
「そうか、そうだったな。たった一人で抗い続け、慢心したベルトナールの鼻っ柱に一撃を食らわせて散る……痛快だな」
ディルクヘイムは、眉間の皺を消して笑みを浮かべてみせた。
孤軍奮闘を続けて散った益子の生き様が、王族でありながらオミネスの利益のために生きるディルクヘイム自身とダブって見えたからだ。
「おそらく異界の者故に、首輪の働きを知らされていなかったか、信じていなかったのでしょう」
「そうであろうな。生きていれば、ベルトナールへの復讐に手を貸してやったのに、惜しい事をした」
「ですが、まだ異界の奴隷は残っております。首輪を外して武器を与えてやれば、我々が望む騒ぎを起こしてくれるかと……」
ロドスの進言に、ディルクヘイムは首を捻ってみせた。
「どうかな……直接見ていないから断言は出来ないけど、報告から伝わってくる感じでは、服従させられるのに慣れている連中のような気がする」
「それでは、異界の奴隷は放置なさいますか?」
「いや、それではベルトナールに更なる手駒を与えることになる。獣人族は、例え繁殖によって生まれた者でも、同じ獣人族と戦うことを拒否する。奴隷の首輪で縛って戦わせても、本来の能力を発揮出来ないから戦力としては使えない。だが、異界の者達ならば、己が生き残るために死力を尽くして戦うだろう。しかも、死んだところで王国民が悲しむ訳ではない。そんな連中をベルトナールに与える訳にはいかない」
ベルトナールが陣頭指揮を執り始めてから連勝が続いているとは言え、アルマルディーヌの兵士に損害が出ていない訳ではない。
戦が起これば、毎回命を落とす兵士がいる。
今は勝利という大きな成果の影に隠れて、兵士の遺族の不満は抑え込まれているが、一度敗北と言う結果に変われば必ずや表面化してくるはずだ。
だが、前線で戦う兵士が異界から呼び寄せた奴隷に変われば、命を落とすアルマルディーヌの兵士は少なくなるだろう。
その上、戦に敗れた場合には、異界の奴隷に責任を押し付けることすら出来る。
この時点で樫村をはじめとする日本からの奴隷は救出されているのだが、ディルクヘイムへの報告にはまだ記載されていない。
「異界の奴隷達の動向は、今後も逐一報告するように伝えてくれ。あの者達が前線に放り込まれ、戦果を上げるような事態は避けたい」
「では、救い出して逃がしますか?」
「簡単に言うな。オミネスにかくまうのは容易いが、オミネスまで連れていくのは難しいぞ。それこそ、ベルトナールのような空間転移魔法が使えるのであれば話は別だがな……」
「そのベルトナールですが、明日にはサンドロワーヌへ向かうようです」
ロドスの言葉を聞いたディルクヘイムは、嘲るような笑みを浮かべた。
「満足のいく護衛は見つかったのか?」
「選りすぐりの腕達者の中から、四人ほど選び出したようです」
「ふん、奴のことだ、護衛の身辺調査に時間が掛かったのだろう」
「おっしゃる通りです。報告書にもある通り、ベルトナールが襲われたのは空間転移を行うための部屋でしたので、サンドロワーヌ城の内部に内通者がいると考えているようです」
「うちの手の者が炙り出されるようなことは……」
「御懸念無く……内通者の探索に加わっております」
「ふははは……そいつは傑作だ。ベルトナールなど有能な王子の皮を被った道化にすぎん。いずれ失脚させ、表舞台から葬り去る」
「そして、いつの日かディルクヘイム様が……」
「やめてくれ。僕はバカげた王様ごっこなどするつもりは無いよ。アルブレヒトかカストマール……扱いやすい方を傀儡として王位に据え、僕は裏から操らせてもらうよ」
「御意に……」
ロドスは跪いた姿勢で頭を下げたが、内心ではディルクヘイムが王位に就くことを望んでいる。
密偵として王都の闇に生きるロドスだから、ディルクヘイムが王となるには数々の障害が立ち塞がることは重々承知している。
それでも、私利私欲に駆られている他の王子が王位を継ぐよりも、無欲とも思えるディルクヘイムが王となった方が、オミネスにとっては有益だろうし、長い目で見れば周辺国のためにもなると考えていた。
「ロドス、サンドロワーヌの者にベルトナールの様子を報告するように伝えてくれ」
「これまで通り、一日の終わりに報告させる形でよろしいでしょうか?」
「構わぬ。時間差はもどかしいが、我々に出来る範囲で動くしかない。言うまでもないが、決してベルトナールに気取られるな」
「御意に……」
ロドスが足音一つ立てずに退室した後、ディルクヘイムは腕組みをして魔道具の明かりを見詰めた。
「思っていたよりも早く事が動きそうだな……」
ディルクヘイムは、オミネスのスパイである母に教育を受けて育った、言うなればエリートスパイだ。
手元には、アルマルディーヌ国内に留まらず、オミネスを通してサンカラーンの情報すら届けられている。
その上、王位というお宝に目が眩むことなく判断が下せるのだから、状況の分析においてはベルトナールより一枚も二枚も上を行っている。
「躍起になって評価を上げてきたツケを払う時が来たようだが……巻き込まれる民衆をどうやって減らすかだな」
明かりを消してベッドに入ったディルクヘイムだが、暫くの間は寝室の闇を睨みながら、思いを巡らせていたようだ。