兵馬と一徹と獣人令嬢(ラフィーア)前編
朝食を持ってきながら顔を出すとクラスメイト達に伝え、宿舎を出た。
見張りの兵士達に礼を言って、空間転移を使わずに歩いて小屋へと向かった。
宿舎を転移させた場所はダンムールの里を取り囲む塀の内側だが、取り込んだ森をそのままにしておいた場所なので里の中心からは離れている。
家が建ち並ぶ辺りへ出るには、木立の間を抜け、畑を抜けて行かなければならない。
いきなり人族であるクラスメイト達が姿を見せるよりも、少し距離を開けておいた方が良いと思って木立を残しておいたのだが、いずれは取り払った方が良いだろう。
その木立を抜けて、畑の中を流れている用水路の脇まで来たところで、耐えきれなくなって蹲った。
「うぇぇ……げぇぇぇ……」
宿舎を出て一人になった途端に、サンドロワーヌの詰所で見た光景が頭の中に蘇って来たのだ。
奴隷の首輪によって切断された兵士の生首が転がり、倒れた身体からは血だまりが広がっていた。
踏み付けた兵士の右手が砕ける感触、殴った時は手加減出来ていたが、蹴り飛ばした時は余り加減が出来ていなかったように感じる。
たぶん、命を落しているのではなかろうか。
今夜、俺は少なくとも一人、たぶん二人の人間を殺した。
昼間の暴動でも惨殺された獣人の姿を目撃してショックを覚えたが、それでも他人が手を下した結果であり、一線の向こう側の出来事だった。
だが、空間転移によって魔力のリンクが切れると知らなかったとは言え、ラルゴと呼ばれていた兵士の首が落ちたのは俺の責任だ。
もう一人を蹴り飛ばしたのは、火炙りにされていた罪人が脱走を試みて死んだ益子だったと知り、口論となって怒りに任せた結果だ。
どんな言い訳をしようとも、俺が殺人を犯したのは間違いない。
殺した相手はアルマルディーヌの兵士で、場所はサンドロワーヌだが、場合によってはダンムールでも罪に問われるのではなかろうか。
俺が人を殺したと話せば、ラフィーアやハシームから白眼視されるのではないのかと考えたら、身体がガタガタと震えて止まらなくなった。
また一人で知らない土地を彷徨う事になったらと考えたら、怖くて堪らなくなったのだ。
吐いても、吐いても胃液しか出てこなかったが、用水路に嘔吐を繰り返した。
三十分ぐらい用水路の脇でのたうち回った後、顔を洗い、口を濯いで、何とか立ち上がったが足下がおぼつかなかった。
こんな状態でフラフラ歩いている所を誰かに見られるのは不味いと思い、空間転移で小屋の前まで移動した。
「ヒョウマ、どうしたんだヒョウマ!」
「ラフィーア……」
良く確かめずに空間転移を行ったので、小屋の入り口に佇んでいたラフィーアの存在に気付かなかった。
「何があったんだ、ヒョウマ!」
「俺は、俺は……王国の兵士を殺してしまった」
膝から力が抜けて崩れ落ちそうになったが、ラフィーアに包み込まれるように抱き締められた。
「大丈夫だ、ヒョウマ。例えアルマルディーヌの連中が引き渡せと言って来ても、決して応じることは無い。王国が、オミネスが、サンカラーンの他の里の連中が、いやダンムールの里の者がヒョウマの敵に回ったとしても、私はヒョウマの味方だ」
ラフィーアの温もりが、強張っていた身体を解していく。
気が付けば、俺は涙を流していた。
「怖いんだ。例え仲間を救うためであっても、自分の命を守るためであっても、平然と命を奪えるような人間にはなりたくない……他人の命を奪って、なにも感じなくなったら、俺は人ではなくなってしまう気がする……」
「大丈夫、ヒョウマは大丈夫だ……」
ラフィーアに支えられて小屋へと入ると、アン達も俺を心配して擦り寄って来た。
情けない格好だが、ラフィーアに抱えられるような格好でアンのお腹に身体を預けた。
俺の腹の上に乗っかって来る、サンクとシスの重さと温もりが有難い。
みんなに囲まれて、ようやく身体の震えが止まった。
そのまま、今夜サンドロワーヌで起こった事をポツリポツリとラフィーアに語って聞かせる。
俺が兵士にとった行動、兵士から聞き出した事実、最終的に仲間を助け出すまでを包み隠さず話している間、ラフィーアは一度も口を挟まなかった。
「俺は、罪に問われるのだろうか……」
「王国の中では罪に問われるだろうな」
「オミネスではどうだ?」
「王国から手配されれば、引き渡しには協力するかもしれない。ただ、オミネス国内で罪に問われることは無いと思う」
「不味いな……オミネスで行動出来なくなるかな」
「竜人の姿でいれば、何の問題も無いだろう」
「俺はそうだが、仲間達は姿を変えられないからな」
「そうか……だが、ヒョウマの仲間が手を下した訳では無いから、仲間は罪に問われる事は無いだろう」
「あぁ、それもそうか……でも、奴隷が脱走すれば罪になるんじゃ?」
「それも、勝手に奴隷にされたのだから、罪を問われる筋合いは無いだろう」
「そうか……駄目だな、頭が働かない……」
胃液を吐き出した時に、気力も一緒に吐き出してしまったかと思うほど、身体から力が失われている。
「ヒョウマ、少し眠ったほうが良い」
「そうだな……あぁ、サンカラーンでは……?」
「サンカラーンでは……むしろ英雄視されるだろうが、ヒョウマはそれを望まないのだろう?」
「少なくとも今は、兵士の命を奪ったことで賞賛されたくはないな」
「ならば、父上に報告する時に、今の気持ちも伝えると良い。たぶん父上も分かってくれるはずだ」
「そうか……そうするよ」
大きく息を吐いて脱力すると、途端に眠りが訪れた。
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ベッドに戻っても、樫村一徹は全く眠れる気がしていなかった。
目を開けていても、目を閉じていても、彼女の姿が頭に浮かんで離れない。
「ラフィーアさん……」
一徹にとって、ラフィーアは絶対に現れるはずがないと思っていた理想の女性だった。
とは言え、現代日本に育った一徹が、獅子獣人の女性に恋心を抱くというのは普通では考えにくいし、誰かに話しても冗談だと思われるだろう。
何故、一徹が獅子獣人の女性に恋心を抱くようになったかと言えば、話は十年ほど前へと遡る。
当時、小学校二年生だった一徹は、父親に連れられて初めてプロ野球の観戦に出掛けた。
小学生だったから詳しい事情は一徹自身覚えていないが、百貨店系列の懸賞か何かに当選して、試合前のファン感謝イベントに参加した。
そこで出会ったのが、獅子獣人の女性だった。
正確には、球団マスコットの着ぐるみキャラクターなのだが、一徹少年には実在する女性として認識されてしまった。
それまで自分の周囲にはいなかった獅子の風貌、女性らしいスタイル、溌剌とした振る舞い。
一徹少年は、たちまち恋におちてしまった。
まぁ、ここまでならば、少年の頃にはありがちな話だろう。
着ぐるみキャラに限らず、アニメや漫画のキャラクターに恋心を抱くことは珍しくはない。
一徹少年が少し特殊だったのは、その時抱いた恋心を成長する過程でも抱き続けていたことだろう。
勉強は得意だが、生まれつき身体が弱くて運動は苦手、走れば女子も含めたクラスで一番遅いとなれば、小中学生の頃に人気者になる要素が薄い。
親譲りの生真面目な性格も手伝って、一徹は小学生の頃から女子と交流する機会が殆ど無かった。
現実の女子からは相手にされない日々の中で、一徹の脳内彼女はいつも獅子の風貌を持つ自分よりも少し背の高い女性だった。
一徹自身、少し変わっていると自覚はしていたが、頭の中で何を考えようと自由だと思うと、獅子獣人の女性との妄想を止められなかった。
絶対に叶わない、現実には存在しない、それでも想うことを止められない存在が目の前に現れた時、一徹の理性のタガが外れてしまった。
気が付けば、初対面のラフィーアに結婚を申し込み、あっさりと断わられていた。
勿論、ショックだった。
プロポーズを断わられたことも、ラフィーアの相手がクラスメイトの麻田兵馬であったこともショックだったのだが、自分が夢で想い続けていた女性が存在した喜びの方が勝っていた。
樫村一徹は、努力の人だ。
体質的に不可能な運動は諦めていたが、勉学に関しては諦めた事は無い。
コツコツ、コツコツと知識を積み上げて、初めは苦手であった科目さえ得意科目にしてしまうほど粘り強い。
そして、積み重ねていけば、いつかは手に入るという成功体験が一徹を支え、形作っている。
「麻田は、里長から頼まれたって言ってたよな。それって、村の利益になるから嫁に出すって事だろう? って事は、僕が麻田よりも有能だって証明すれば良い」
おそらく、日本にいた頃の一徹であれば諦めていたかもしれないが、ベルトナールによって召喚されてスキルを手にし、それまで苦手だった運動が出来るようになった。
しかも剣術の腕前ならば、一緒に召喚されたクラスメイトの中でも一番だ。
「麻田は、まだ嫁に貰う決断をしていなかったようだし、今ならまだ間に合うだろう。僕の有能さを里長にアピールして、結婚相手を僕に変更してもらえばOKだ。ふふっ……ふふふっ……」
ベッドの上で寝がえりを繰り返し、薄笑いを洩らしている姿を隣りのベッドの同級生に見られていると、一徹は全く気づいていなかった。
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「おーい! みんな、そろそろ起きろ! 朝飯にするぞぉ!」
一夜が明けて、クラスメイト達を起こして回っている者の姿を見て、一徹は度肝を抜かれた。
身体を包む赤い鱗、ギョロリとした目、鋭い牙と爪、太い尾。
服を身に着けているが小型のドラゴンにしか見えない男は、気さくにクラスメイトに声を掛けて回っている。
クラスメイト達も驚いていたが、すぐにその正体に気付いた。
「うぉぉぉ、すっげぇ、マジでドラゴンじゃん!」
「やべぇ、麻田ハンパねぇ!」
起き出したクラスメイト達は、竜人の姿となった兵馬の周りに集まっていった。
姿形は勿論なのだが、身体が大きくなっていて、背の低い一徹では見上げるほどの長身だ。
「これからいくらでも見られるようになるから、とにかく飯だ飯! 配膳を手伝わない奴には食わせねぇぞ!」
兵馬がビタンビタンと尾っぽで床を叩いてみせると、クラスメイトからは笑いが起こった。
その光景を眺めていた一徹は、ハッとさせられた。
思い返してみると、こちらの世界に召喚されて以来、こうしてクラスメイト達が声を上げた笑い合うことなど殆ど無かったのだ。
その輪の中心にいるのは、日本にいた頃には一徹よりも目立たない存在だった兵馬だ。
こちらの世界に召喚されて、丈夫な体を手に入れて逞しくなったと思っていた一徹だが、兵馬もまた力を手に入れて変わっているのだと思い知らされる。
言うまでもなく、その兵馬こそが一徹にとっては恋敵だ。
「ヒョウマ、何か手伝うことはあるか?」
ぼんやりとクラスメイト達を眺めていた一徹は、入口から聞こえて来た声に人生最速のスピードで振り返った。
ラフィーアの姿を視界に捉えて、一徹の心臓が跳ねる。
「うーん……今のところは大丈夫だな。配膳とか自分たちでやらせるよ」
「そうか……」
ラフィーアは、ごく自然な動きで兵馬と腕を絡め、肩に頭を預けた。
その姿を目にした一徹は、あまりにも似合いの二人だと思ってしまったが、直後に差し込まれるような胸の苦しさを覚える。
一徹は、鳩尾の辺りから溢れ出したどす黒い感情が、身体を包み込んで真っ黒に染め上げていくような幻覚に囚われた。
頭の芯がカーっと熱くなって、無意識のうちに奥歯を噛みしめていた。
「樫村、こっちは頼んでもいいか? 俺は朝飯食いながらハシームに昨日の報告をするから……」
「僕も行く!」
「えっ……?」
「むこうで何が起こっていたのか、内部の話もした方が良いんじゃないか?」
「そうか、それもそうだな。ラフィーア、一人増えても大丈夫か?」
「あぁ、問題無いぞ」
「じゃあ樫村、一緒に来てくれ」
クラスメイト達は、兵馬と一徹のやり取りを聞いてざわめきだした。
兵馬がどこまで気付いているか分からないが、勘の良い者は一徹の本気度を感じ取っていた。