[4a-15] 一ノ獄 鎖された街②
芝居の書き割りが崩れ去るように世界が塗り変わる。
辛うじて最低限の神聖さを保っていた部屋は、鮮血に満ちた。
複雑な刺繍が施されたカーペットは、先程まではただ美しかっただけなのに、気が付けばまだ乾いていない大量の血液と臓物の断片らしき有機的物体がぶちまけられていた。
その上に立つのは、青白く透ける人影。
偵察に向かったはずだった女空行騎兵、憧紗。
雨具とその下の革鎧は引き裂かれて身体に纏わり付き、引き締まった腹部は掘り返されたようにグチャグチャにされ、流れ落ちた血が霊体の下半身を真っ赤に染めていた。
官能的な唇は自ら吐いた血によって毒々しい赤に輝いている。
「憧紗さん!?」
『あああああああっ!』
狂乱の悲鳴と共に彼女はウィルフレッドに襲いかかってきた。
払いのけるウィルフレッドの手は当然のように空を切り、血まみれのしなやかな指がウィルフレッドの喉に絡み付く。
巨獣の突進の如き、途轍もない力だった。
ウィルフレッドは全く抵抗できぬまま床に押し倒され、組み伏せられてしまう。
『ここは危ない……調べる……知らせて……あああ痛い痛い痛い痛いいいいいっ!
嫌だあ! 助けて、助けてぇ! ごめんなさいいいっ!!』
「ぐっ……がはっ……」
憧紗は苦痛に顔を歪め、泣きながら謝っていた。
錯乱した彼女の吐息が濃厚な血のニオイを伴ってウィルフレッドの顔に掛かる。
――窒息……の前に、首がもげる……!
首を締め上げる彼女の手は恐ろしく力強く、一欠片の躊躇いも無い。
これで相手が生身ならサムライの格闘術で対処もできようが、振り払おうとしても蹴り上げても、ウィルフレッドの手足は全く虚しく憧紗の霊体を突き抜けた。
骨が軋む。肉の避ける前兆を感じる。『死』という言葉が脳裏をよぎる。
その時だ。
場違いなほどに軽い機械駆動音がして、ウィルフレッドの視界は一瞬真っ白に染まった。
『あああっ!』
「……っはあっ! げほげほっ! ごほっ!」
憧紗の手が離れた。
即座にウィルフレッドは身をひねり、転がるようにして立ち上がる。
憧紗は身悶え、顔を押さえていた。
「キャサリンさん、今何を!?」
「これです!」
キャサリンは、真鍮色をした箱状の物体を構えていた。
それは汽笛のように蒸気を噴き出す。
「
確か、そう。
あの性悪管理官たちが別れのプレゼントに渡してきたのだと、旅の途中でキャサリンが言っていた気がする。
「霊体系のアンデッドは総じて光を嫌います。でなくても先程の悪霊が目視によって私たちを追っていましたので、目眩ましなら効果があるかと……」
「そうか、フラッシュ機能か!」
その光を至近距離から浴びせることで、キャサリンは憧紗を怯ませたのだ。
「くそ、俺もフラッシュ付きのを買えば良かった」
「ではこれを!」
アイテムポーチから棒状の物体を取り出し、キャサリンはそれをウィルフレッドに手渡した。
ワイルドな革製のグリップと無骨な真鍮色のビスが特徴的なそれは、連邦軍でも採用されている筒状携行照明器だ。
電源部を換装することで、蒸気動力と魔石動力のどちらでも使えるようになっている。
「手元のスイッチで点灯・消灯が切り替え可能です」
「分かった」
ウィルフレッドは息を整え、ゆらりと立ち上がる憧紗と対峙する。
手にしているのは愛刀ではなく、ただの照明器。丸腰よりもかえって心細い武器だ。
『ごめんなさい……ごめんなさい……痛い……もうやだ……』
すすり泣きに近い声を上げながら、血まみれの憧紗はゆらゆらと、ウィルフレッドの様子をうかがう。
――まだだ。光でダメージを受けるなら別だが、ただ目が眩んでいるだけだとしたら、光に目を慣れさせちゃいけない。
ウィルフレッドは消灯状態の照明器を構え、コンバット摺り足で慎重に距離を取った。
『あああ……あああああああ!!』
耐えかねたように憧紗は襲いかかってくる。
――引きつけろ、引きつけろ、もっと近くに……
悲鳴と共に彼女は突進し、その手がウィルフレッドの喉に触れようとする刹那。
「ここだっ!」
『きゃああああっ!』
至近距離からの閃光が憧紗の顔面に浴びせられた。
軍用の照明器は、逆側から見ても目が眩むほどの光量だ。まして正面からでは如何ほどか。
憧紗は大きくのけぞり、床を転げ回って(霊体なので本来は床など関係無いのだが)悶え苦しむ。
「今です、キャサリンさん!」
「はい!」
憧紗が身動きできなくなった隙に、二人は血まみれの部屋を飛び出した。
* * *
「はあ、はあ、はあ……」
二人は無人の宿屋の食堂に転がり込み、石の竈の陰に座り込んでいた。
幸いにも神殿を抜け出して以降、他の何者にも見つかることはなかった。逆にそれが不気味でもあるのだが。
ウィルフレッドは濡れたまま凍り付きかけたブーツを脱いで、冷えのせいで嫌な色になりかけている足に
焼けるように染みて痛んだがサムライの誇りを思い、歯を食いしばって耐えた。
「
「冬黎様から
「大声上げて呼んだら悪霊が寄ってくると思います?」
「でしょうね……」
連絡を取る手段も無く、帝国兵たちとはお互いに居場所が分からない状態になってしまった。
襲い来る悪霊に対しては、光を浴びせるという申し訳程度の対処法を偶然発見したが、それも伝えようがない。
下手をすれば憧紗が近くに隠れている帝国兵などを襲う可能性もあったが、しかし今は無事を祈るしかない状況だ。
「憧紗さん、一体何が……」
先程までは確かに生きていたはずの彼女を思い出し、変わり果てた姿との落差を考えると、困惑と悲しみと恐怖がないまぜになって、黒いモヤのようにウィルフレッドに纏わり付く。
「……確実なのは、私たちがあの場で殺されていたら、憧紗さんと同じようになっていただろうという事です」
声音は重く、しかしキャサリンの分析は淡々とよどみない。
アンデッドというのは概して増えるものだ。
アンデッドの拵えた死体や亡霊が、そのまま次のアンデッドの材料になる。
それは大抵の場合、アンデッドを操る術者の力によるものではあるのだが。
――シエル=テイラの景色。そしてアンデッド……
この異様な世界で何者がアンデッドを生みだし、操っているのか?
状況から連想される者はある。
おそらくキャサリンも同じ事を考えている筈だ。
ただ、それはそれで『何故ここに?』という疑問が芽生えるのだけれど。
「ウィルフレッドさん、何か音楽が聞こえませんか?」
「音楽?」
やにわにキャサリンが妙なことを言いだした。
彼女は耳に手を当て、何かを聞き取ろうとしている。
だがウィルフレッドには相変わらず、冬空に舞う風を除けば、耳が痛くなるような死の静寂ばかりが聞き取れた。
「これは、オルゴール……? なんだか物悲しくて、懐かしいような……」
「いや、俺には何も……うーん、聞き耳のやり方はニンジャ訓練の時に習ったんだけどな」
ウィルフレッドは足音を殺し、土間からそっと外に出た。
小雪の舞う空には寒々しい風の音が時折響くばかりだ。
オルゴールの音など聞こえないし、どこからか悲鳴が聞こえるわけでもない。
ただ、耳を澄ますとうめき声のような、すすり泣くような、何者かの声がどこか遠くで聞こえるような気はした。それは風に紛れてしまうほどに微かで、間違ってもオルゴールの音なんてファンシーなものと聞き間違えられるものではなかったが。
「ん? 空が少し明るくなってませんか、キャサリンさん」
空を見上げたことでウィルフレッドは気が付いた。
全く黒いばかりだった闇の空に、ほんの少しばかり白みが差しているということに。
「……本当だ。時間の概念が無い常夜の世界かと思ったのですが」
「夜が明ければ次の夜までは安全かもです。
明るくなるまで待って動きましょう」
正直に言えば、ウィルフレッドはかなり安堵していた。
どんな厳しい状況も、終わりが見えれば堪えられるものだ。
その後に更なる苦難が待っているのだとしても。
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