実態は、若者の「犯罪離れ」
警察庁のまとめによると、17年に検挙された刑法犯少年の数は2万6797人で、前年より4719人、率にして15%減った。03年の14万4404人から14年連続で減少が続いていて、5分の1以下の規模に激減している。
過去最も多かったのは1983年の19万6783人。2003年以前では、1954年の8万5504人が最も少なかったが、2011年にこの数字を下回って戦後最少を記録し、以降毎年記録更新が続いている状態だ。
未成年の数が減っていることを割り引いてもなお、大幅な減少である。刑法犯少年の数を、対象となる14~19歳1000人当たりの人口比で見ると、直近ピークの2003年が17.5人だったのに対し、17年はわずか3.8人。もちろん最少記録だ。荒れていたのは3年連続で18人台だった1981~83年。校内暴力が問題化していた頃である。
「全体の件数は減っているかもしれないが、凶悪犯が増えているに違いない」。そんな声もよく聞かれる。殺人・強盗・放火などの凶悪犯の少年検挙数は、2003年の2212人からやはり減少中だ。08年には1000人を切り、17年は438人。14年前の5分の1の規模になった。
窃盗も同様だ。1994年にはオートバイの盗難で2万1000人以上の少年が検挙されたが、17年は1371人。キレる若者どころか、「若者の犯罪離れ」と言っていい状況だ。少年犯罪が戦後最も少ない時代であることは間違いない。
したがって先の調査で8割弱の人が(少年による重大な事件が)増えているという実感は、誤りということになる。もちろん、どんなに犯罪が減ろうとも、事件の被害者になってしまえばそんなことは関係なくなってしまうし、万単位で起きている以上、安心はできないのも確かだ。
それでもこれだけ減少が続いている今、少年法をもっと厳罰化する必要があるのか? 事件が起こるたびに再発防止策として挙がる「心の教育」はそんなに機能していないのか? 教育勅語をモデルとする道徳教育が本当に必要なのか? 考える材料にはなる。
世の中が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」
2019年1月に日経BP社が発売した書籍『ファクトフルネス』が好評を得ている。副題は「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」であり、その思い込みの1つとして、ポジティブな出来事はニュースになりにくく、ネガティブなニュースの方が耳に入りやすいために世の中がどんどん悪くなっていると思い込んでしまう現象を「ネガティブ本能」と名付けている。
メディアはその役割として、「珍しいこと」「意外性のあること」にニュース価値を感じて報道し、「よろしくない事象」に対して問題を提起する。したがって、未成年の犯罪というよろしくない事象が日常茶飯だと報道価値が下がり、件数が激減すると報道価値が上がって報道量が増え、体感治安が悪化するようなことが起こる。
「少年非行に関する世論調査」はまさにネガティブ本能が発揮された例と言えよう。実はこの分析は、私が2年前に執筆した書籍『だから数字にダマされる 「若者の○○離れ」「昔はよかった」の9割はウソ』で説明したものだ。
※第2章「イメージでレッテルを貼るのはやめよう」p.70~74より抜粋(文中の、検挙人数などは最新の数字に差し替えた)
本日から3日間にわたり、だから数字にダマされるに掲載した「データを基に世界を正しく見る習慣」を身に付けるポイントを解説していく。次回はイメージと実態がずれてしまう例を保育園の建設計画反対を例に解説したい。