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2015年6月19日 (金)

ロートルの戯言

昨日の続きの様な話になりそうだが、人間の寿命について考えている。

人生50年の時代からすれば、100歳超の人も増えて寿命は随分と長くなった。

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とは言え生き物には、それぞれ一定の生きる時間が割り当てられている。

遺伝子の中に寿命が組み込まれていて、それがテロメアらしいが何とも不思議てある。

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例えば馬や牛は20年から25年だし、犬や猫は15年程度だ。

スズメは5年程度なのにカラスは10年で、インコは数十年も生きるらしい。

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それぞれ進化の過程で、この地球に順応するために最適〔?〕な寿命が出来たんだろうが、

同じ鳥でも何故そんなに寿命が違うのかなど、科学的にも分からない事だらけだ。

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ところで先日、静岡県が新たな年齢区分なるものを発表した。

それによると青年は18~45才、壮年は46~76歳、老年は77歳以降なのである。

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65歳以降を老人としているこれまでの区分に、常々違和感を感じていた私としては、

おおいに我が意を得たりと久々に納得したのである。

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寿命は全能の神が決めたもうたとしても、

その人の人生を一方的に65歳から老人と決め付けるのはけしからんと思っていたからだ。

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それに76歳までならば、まだまだ随分と色々と出来る時間があるではないか。

昨日ある事務所に立ち寄ったのだが、一人から「爺さんが、そんなに走って良いのかね?」と言われた。

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私は即座に「爺さんとは、一体何歳なんだね」と問い返したものである。

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やはりこの場でも、新たな世代区分〔76歳まで壮年〕は多いに説得力を増したようだ。

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幾つになっても生きるということは、それは目的を持つと言うことである。

その目的が、壮年と言う一言でおおいに広がりを見せたような気がするのだ。

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言葉は意識だし、言葉によって救われることもある。

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