私は息子を妊娠した時、完璧な母親になろうと決めた。
完璧って何?ってかんじだけど。
その時に思いつくかぎりの理想を詰め込んで。
その理想を詰め込んだ形を完璧って決めた。
例えば、
いつも笑顔。
怒らず、言い聞かせる。
イライラを見せない。
仕事は完璧にするけれど、家庭には持ち込まない。
料理は栄養バランスよく、おやつも工夫して。
お風呂はふれあいの時間として大切に。
眠る前には必ず絵本を読む。
テレビは30分以内。
一緒に体を使う遊びをたくさんする。
室内遊びは発達の段階を意識して。
買い物や料理を一緒にして自然に学べるように。などなど。
育児書もたくさん読んでいて、自分の中に完璧な母親の像を完成させていた。
で、完璧な母親を目指すにあたって、私には邪魔なものがあった。
それは、本来の私。
本来の私は、完璧な母親の像からは遠くかけ離れていて。
だからこそ、理想を作って目指すことにしていて。
本来の私が邪魔だと感じた私は、
浅はかな人間だから、本来の私を捨てようとした。
でも、捨てられるものじゃないから、
閉じ込めた。
出産して、しばらくは閉じ込めていられた。
けれど、うまくいかないことが次々に起こって、
そのたびに本来の私が顔を出して、訴えた。
「辛い」
「悲しい」
「もう嫌だ」
「誰か助けて」
訴えられていることに気づいているのに、
「気のせい」
「悲しいって思うのが間違っている。育児は楽しいはず!」
「嫌なわけない。自分の子どもでしょう!」
「完璧な母親なんだから、ちゃんとして!」
私は、本来の私の声を全部無視して、抑え込んで、時には𠮟りつけた。
いつのまにか、本来の私は、どこかにいってしまった。
本来の自分に向き合わず、大切にもできなかった私は、
やっている行動は完璧な母親のはずなのに、
ちっとも完璧になれなかった。
楽しくもないし、育児も全然うまくいかなかった。
何かおかしいとは感じていたけれど、本来の自分を閉じ込めることに慣れてしまい、気づくことすらできなかった。
今思えば、自分すら大切にできない人が、自分以外を大切にできるわけないのに。
息子の障害がわかって、しばらくして、とても辛くなって。
私は、何が、どうして、こんなにも辛いのかわからなくて。
たぶん、本来の私を無視しすぎたから。
本来の私は、もうすっかり
「どうせ聞いてくれないでしょ」
ってすねて、隠れてしまった。
自分すら受け入れていないのだから、
息子やその障害なんて受け入れられるはずもなかった。
私は、本来の自分を探して、気持ちを聞くまでに、とても時間がかかってしまった。
私は完璧な母親を目指して、
いったい何をしていたのだろう?
何がしたかったのだろう?