京三号ヒストリー

量産開始~成長期

京三号は一時期月産150台を記録し、当時としては既に企業的に自立しうる状況にありました。昭和12年3月には、自動車メーカー数社が参加し、富士登攀(6合目まで)のテスト走行を実施したところ、「京三号」をベースに改良を加えた四輪駆動車だけが6合目まで到達し、その優れた性能を証明するかたちとなりました。

昭和9年、当時の株式会社豊田自動織機製作所(後のトヨタ自工)研究時代の発足から協力し、昭和12年に京三自動車商会、トヨタ自動車工業株式会社、大洋商会との3社共同出資によって、京三自動車商会を京豊自動車工業株式会社と改称しました。

京三号はやわかり

「京三号はやわかり」に記載の京三号の仕様・特長は、36年式京三号の当時のカタログにもとづいています。

現代に甦る京三号

京三号レストア記

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すばらしい自動車でも、長い年月にはかないません。この時が来るのを、ずっとこの地で待ちわびていた様に感じます。
フォークリフトにてセフティローダーに搭載し工場へ運んでいきます。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

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