自分との出会い
70年近く生きて来たから、これまで記憶しきれない程多くの人達に出会ってきた。
人に出会っては影響を受け、心を育て、時には愛情を育み、その出会いはまさに物語だ。
思えば教示を受けた先輩や心を揺り動かされた出会い等、それこそが人生の要だろう。
長いこと籍を置いた職場だって、とどのつまりは誰と出会うかで勝負は決まった。
つまり、他人と出会うことによって、自分を変えて(影響され、成長させて)きたのである。
ところで、朝顔を洗いながら自分の顔と向かい合いながら、時に「こいつが俺かぁ」と思う。
自分とはガキの頃からずっと一緒にいた筈だが、未だにホントの自分に出会っていない。
頭髪も薄くなって死んだ親父に似てくるようだが、果たして親父は自分をどう考えていたんだろうか?
息子の目からは町の議長を務めたり村の事で悩んだり、仕事はともかく目一杯生き抜いた。
私も何時の間にか、その親父と同じように生きている訳で、それに老い先もみえてきた。
だけど70年近く生きて来たのに、私の中には二十歳の自分や四十過ぎの自分がいる。
穿った見方をすれば、この自分は未来よりも過去に生き始めているのかも知れない。
あの頃はあれもこれも出来たのにと洗い直したって、結局何にもならないのにである。
ともあれ、一番親しいはずの自分とどう付き合うのかを改めて考えることがある。
他人との出会いは一種の勝負みたいなものだが、自分とは簡単に妥協してしまう。
実はそれは、自分で自分を誤魔化しているに過ぎないのだ。
そんな惰弱な自分ととことん勝負してみようか・・・・と思ったりもする訳だ。
幾分しわが多くなって弱気な顔を睨みつけると、鏡の向こうからも睨みつけている。
「やれやれ、これが俺か!」と思いつつ、こいつに負けちゃならないと心している。
自分との出会いが、本当は最も難しいことなのかも知れない。
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