元奴隷に「普通」は難しい
エルチット村で解放されたタオロは、村人たちを容赦なく殺害したドードたちに反感を覚えていた。
自分達は奴隷という身分ではあったが、他の村や街から較べればエルチット村での扱いは酷いものではなく、村人たちとも上手くやっていたという思いがあったからだ。
だが、ドードや仲間となっている獣人たちの話を聞くと、その怒りや憎しみも理解出来なくはない。
目の前で友人を殺されれば、自分も同じような恨みを抱いたとも思った。
タオロは、アルマルディーヌ王国の奴隷繁殖場で生まれ育った、いわゆる繁殖奴隷と呼ばれる存在だ。
生まれ落ち、物心ついた頃から奴隷として扱われ、それが当たり前なのだと思わされて育ってきた。
そのため、外の世界を全くと言って良いほど知らない。
獣人族が奴隷としてではなく、一般市民として自由に暮らす世界を知らないのだ。
そして、仲間を目の前で殺されるという体験もしていない。
繁殖奴隷は、働ける年齢になれば出荷されていく。
一度出荷されてしまえば、家族や友人と再会できる可能性は限りなく低いが、それでも命を奪われて死に別れをさせられる訳ではない。
涙を流しての別れであっても、元気でいろよ、身体に気を付けろと言葉を交わせる。
奪われる理不尽さの度合いが異なるし、それを当たり前と思わされていたから恨みの度合いも低かったのだと、戦争奴隷となった者たちと行動を共にして初めて気付かされた。
タオロはドードたちと共に、奴隷繁殖場まであと1日のところまで来ている。
ドードたちにとっては解放に向かう場所だが、タオロにとっては里帰りでもある。
とは言え、帰って来られたという感慨はあまり無い。
確かに繁殖場はタオロが生まれ育った場所だが、そこに家族の団らんや絆といった物が殆ど存在していないからだ。
タオロは繁殖場の様子をドードたちから訊ねられ、警備の様子や兵士の数など分かる限りのことは答えた。
最初は、また人殺しの協力することになるのかと抵抗感を覚えたが、捕らえられている奴隷を安全に解放するためだと言われれば話さざるを得なかった。
地面に木の枝を使って線を引き、繁殖場の様子を語って聞かせると、ドードたちは首を傾げていた。
「本当に、警備の兵士はそれだけしかいないのか? 我々を騙そうとしているんじゃないだろうな?」
「疑うなら、これ以上の情報は提供しないぞ。俺は繁殖場のみんなを危険に晒したくないから、知っている限りの情報を嘘偽りなく伝えているだけだ」
「そうか、悪かったな。俺達が考えていたよりも、兵士の数が少なすぎるから疑ってしまったのだ」
「そうなのか? 確かに奴隷の数に較べれば兵士は少ないかもしれないが、いつも見られているように感じてたぞ。それと、俺が繁殖場を出てから5年近く経っている。今も同じとは限らないからな」
「勿論、攻め入るのは偵察してからだ。だが、この警備体制のままだとしたら、想定していたよりも簡単に事を終わらせられそうだな」
アルマルディーヌ王国にとって奴隷繁殖場は、国の労働力を支える重要な施設であり、相応の厳しい警備が行われているものだとドードたちは思い込んでいた。
だが実際の繁殖場は獣人族の牧場みたいなもので、考えていたような警戒態勢は取られていないらしい。
ドードたちがいたチャベレス鉱山もまた、アルマルディーヌ王国を支える鉄鉱石を産出する重要拠点であったが、長年に渡って外部からの襲撃も内部での反乱も無ければ、警戒態勢が緩んでいくのは当然の流れだ。
奴隷繁殖場でも、かつてはもっと厳重な警戒が行われていたのかもしれないが、外部からの攻撃の可能性が下がるほどに警備体制も緩んでいったのだろう。
奴隷繁殖場で行われていることは、まさに家畜の繁殖そのもので、種馬に相当する若くて健康な男の獣人数人が、若い獣人の女性達と子作りをする。
種付けをする男は、戦争奴隷として外から連れて来られた者から選ばれ、新しい者が送り込まれて来る度に、一番経験の長い者が通常の奴隷として連れて行かれる。
これは、血が濃くなり過ぎるのを防ぐための措置らしい。
身ごもった女性たちも、遊んでいられる訳ではなく、農作業や機織りなどの仕事をさせられているそうだ。
生まれて来た子供たちは、子供を産んだ母親たちが共同で育てているらしい。
母乳の出方には個人差があるので、子供の成長に差が出ないようにするための措置なのだろう。
それでも病気がちで成長の思わしくない子供は、別の場所で育てると言って連れていかれるそうだ。
ただし、その別の場所から戻ってきた子供を見た者はいないらしい。
タオロも確たる証拠を持っている訳ではないが、おそらく間引かれたのだろうと話した。
子供たちは、物心がつく前に奴隷の首輪をはめられ、一定の年齢になると親たちの仕事の手伝いをさせられた。
男の子は農作業、女の子は機織りなどを教え込まれるそうだ。
誰が自分の母親なのかも知らされず、どの子供が自分の子供かも知らされない。
親子の絆を薄めることで、出荷される時の抵抗感を減らしているらしい。
そして一定の年齢になると男は出荷され、女性は子供を産まされるらしい。
初めての出産から約20年、女性は毎年子供を産まされるそうで、丈夫な子供を産む女性は年数を延長され、逆に身体の弱い子供を生んだり、妊娠しない者は、繁殖の役割から外されて出荷されるようだ。
ただし、繁殖を外された女性たちが、本当に出荷されたのか、労働力として使われているのか、タオロには知る術は無かったそうだ。
タオロの話を聞き終えたドードは、髪を逆立てて怒りを露わにしていた。
「まったく酷い話だな。これじゃあ本当に家畜扱いじゃないか」
ドードーたちは獣人族の女性の扱いに酷く腹を立てていたが、タオロはその怒りの意味も理解出来ずにいた。
サンカラーンでも、親同士の取り決めで夫婦となる習慣が残っている地域があるそうだが、そうした地域でも近年は本人同士の恋愛による結婚が主流となりつつある。
だが、繁殖場育ちのタオロには、恋愛も結婚も全く縁の無いものだった。
繁殖場では、物心付く前に男女は別に育てられるようになる。
そして、男は農作業の手伝いが出来る程度の年齢になると次々に出荷されてしまい、そこから先は獣人族の女性を見る機会すら無かった。
自分の意思で相手を選ぶどころか、相手が存在しないなら恋愛も結婚も成立しない。
奴隷として働かされていた村で、村人同士の結婚式を見ることはあったが、自分達は違う世界の話という認識しかタオロには無かったのだ。
そうした状況を伝えると、ドードたちは目を見開いて驚いていた。
「お前、その歳になるまで恋も知らずに生きてきたのか……」
「いや、だってそれが普通だったし……」
「それが普通だと思わせるなんて、やはり王国の連中は許す訳にはいかんな」
ドードの言葉に部下たちも一斉に賛同の声を上げ、王国の連中は皆殺しだと気勢をあげたが、当のタオロはその勢いに乗り切れなかった。
戦争奴隷だった者たちから、下世話な話も交えて女性の良さを語って聞かされたが、あまり共感を覚えなかった。
アルマルディーヌ国内では、奴隷の所有者が自分の所有する奴隷同士を結婚させて子供を作らせる場合もあるが、ごく一部に限られている。
男女は別々の仕事場に置き、接触させないのが一般的だ。
そのため戦争奴隷だった者たちに較べて、繁殖奴隷のタオロは性欲の度合いが酷く低い。
性に関する知識も持ち合わせていないし、性の対象も近くに存在しなかったからだ。
勿論、身体は一般の男性と同じように成長しているし精通もあるが、夢精という形で経験しただけで、快楽を得るために自主的に行為を行った経験が無い。
ここまで来る途中の集落や街を襲った時、人族の女性が凌辱される様子も目にしたが嫌悪感しか覚えなかった。
ドードの仲間たちから口々に同情されたが、自分が異常であると決めつけられているようで、タオロは苛立ちを感じてしまった。
それでも、若い獣人の女性達と接する機会が増えれば、その魅力に必ず気付いて恋に落ちると言われると、そんなものなのかとも思ってしまった。
ドードたちは入念な下見を行い、夜を待って奴隷繁殖場の解放作戦を開始した。
奴隷繁殖場は、近隣の村からは離れた場所にある。
開設された当初は、獣人族による襲撃や内部からの反乱を警戒して、近隣に被害が及ばない場所が選ばれたらしい。
それが、今となってはドード達の襲撃を助けることになっている。
繁殖場の制圧は、驚くほど簡単に終了した。
正門に作られた詰所を制圧した後、侵入したドード達によって兵舎で眠っていた兵士たちが皆殺しとなるまで、ほんの1時間程度しか掛からなかった。
繁殖場に着くまでに襲撃した村や街で奴隷の解放を行い、総勢2万人近い兵力となった獣人族に対して、繁殖場の兵士は500人程度しかいなかった。
これでは真昼間に正面から乗り込んでいったとしても、勝負は目に見えていただろう。
ドードは、殺害した兵士達を兵舎ごと焼却した。
そして、奴隷たちの首輪を外して回ると、戦争奴隷として連れて来られた者達は涙を流し歓声を上げて喜びを爆発させた。
「自由だ! 俺は自由だ!」
「忌々しい首輪から解放されるなんて……あぁ、こんな日が来るとは思わなかった」
「帰りたい、里に帰って家族に会いたい!」
戦争奴隷たちが喜びあう一方、繁殖奴隷たちは戸惑っていた。
勿論、奴隷の首輪から解放されたことは嬉しいのだが、この先のことを考えると不安を感じてしまうのだ。
「これから、どうする?」
「サンカラーンに行くの?」
「途中で捕まったら酷い目に遭わされるんじゃない?」
「でも、子供たちは自由に生きてほしい」
当たり前に続いていくと思っていた日常が、突然崩壊したのだから戸惑うのも当然だろう。
不安そうな表情を浮かべる繁殖奴隷たちに、ドードが力強く呼び掛けた。
「明日、サンカラーンに向けて出発する。簡単な道程ではないが、我々が全力で守り、必ずやサンカラーンまで届けてみせる。安心してくれ」
ドードの呼び掛けを聞いた繁殖奴隷たちだが、不安の色を完全には払しょく出来ずにいた。
「すみません……サンカラーンに辿り着けたとして、その後はどうなるんですか?」
「サンカラーンのいくつかの里に分かれてもらい、移住してもらう」
「あの……一緒の場所に住むというのは……」
「全員が同じ場所に……ということか?」
「はい、そうです」
「うーん、全員か……」
繁殖場には、大人から子供まで合わせると、総勢2万人を超える奴隷が暮らしている。
サンカラーンで一番大きな里に匹敵するぐらいの人数を、一か所で受け入れるのは事実上不可能だろう。
「今すぐというのは難しいだろうが、将来的に新たな里を作って、そこで一緒に暮らすという形ではどうだ?」
「はい、それでも構いませんので、同じ場所で暮らせるようにお願いします」
将来的にという形にしたが、ドードは内心では実現性の乏しい口約束になってしまっていると感じていた。
本人達や、サンカラーンの者が手伝えば、森を切り開くことは出来るかもしれないが、そこが農地として使えるようになり、里として機能するには時間が必要だ。
それに、どこの森を使わせるのかも里同士の揉め事の火種になりかねない。
そもそも、まだサンカラーンに辿り着いてもいない。
奴隷繁殖場の解放は、思ってもいなかったほど簡単に成し遂げられたが、その後処理は簡単にはいきそうにもなかった。