異世界国家アルマルディーヌ ―至宝の王子と無能な軍勢― 前編
カラン、カラン、カラン……銅製の壺にコインが落ちて大きな音を立てる。
ベルトナールが留守の間サンドロワーヌ城を預かるタルビオスは、席を立って隣室へと続くドアを開けた。
広い部屋の中央にはテーブルが一つ置かれているだけで、その上には文箱が一つ載せられている。
文箱は早馬を仕立てても十日以上掛かる王都から、ベルトナールが空間転移魔法を使って送って来たものだ。
先程の銅製の壺に落ちたコインも、文箱を送った合図としてベルトナールが送って来たものだ。
タルビオスはテーブルの上から文箱を持ち上げ、隣室の執務机へと持ち帰った。
普段のタルビオスはベルトナールからの指令の入った文箱を期待に胸を躍らせて持ち帰るのだが、この日は緊張した表情を浮かべていた。
文箱の中身は、先に回収されたタルビオスの報告書に対する叱責だと予想されるからだ。
タルビオスを一言で表すならば、武人という言葉がピッタリだろう。
騎士としては体格は大きくないが、サンカラーンとの幾多の戦いに参加しながらも生きて戻ってきた歴戦の強者だ。
四十代の半ばを過ぎた今でも、部隊を率いて前線にでることも珍しくないし、強力な火属性魔法と槍術スキルによって戦果を上げている。
知恵を巡らせて策を弄するよりも力押しによって解決するタイプで、戦場に勝利をもたらすベルトナールに心酔している。
自らの人生はアルマルディーヌ王国の繁栄のためにあり、ベルトナールの手足となって働くためだと心に決めているほどの心酔ぶりだ。
だが二日前、そのベルトナールが臨席している場において、暴走した馬がフェスティバルで賑わうサンドロワーヌの街に乱入し、多数の死傷者を出す騒ぎが起こってしまった。
それだけでもタルビオスは強い自責の念に駆られていたのに、暴走を引き起こした張本人がベルトナールが召喚し奴隷とした者で、監視をすべき兵士が昏倒させられていたと判明した時には、責任を取って自害することすら考えたほどだ。
だが自らをベルトナールの手足だと決めた身で、勝手に自害する方が不敬だと思い留まり、新たなる命令を待っていたのだ。
文箱に納められた命令書に、責任を取って自害しろと書かれていれば、淡々と身を清めて自らの命を絶つだろう。
タルビオスは静かに文箱の蓋を開けると、納められていた命令書を一度押し頂いてから読み始めた。
命令書には、大きく分けて三つの命令が書かれていた。
一つ目の命令は、馬の暴走をサンカラーンの獣人共の仕業であるように仕立て上げる事だった。
多数の死傷者を出し、悲しみに暮れるサンドロワーヌの住民を早く立ち直らせるためにも明確な敵の存在が不可欠だと書かれている。
獣人の奴隷を用意し、首輪を外して騒動を指示した者に仕立て、死亡した奴隷の死体と共に民衆の前で火炙りにして処刑するように書かれてある。
処刑の際には、既に報復の準備を進めていると伝え、民衆の怒りを抑えよとの指示もあった。
タルビオスは命令書を鵜呑みにして大きく頷いたが、ベルトナールの意図は別にある。
馬の暴走を引き起こした張本人が、召喚した異世界人の一人だと民衆に知られば、非難の矛先が自分に向きかねないと懸念しているのだ。
ベルトナールが民衆から絶大な信頼を得ている理由は、サンカラーンとの戦で連勝を続け、多くの労働力を獲得し、敵国の力を削ぎ、自国を繁栄させているからだ。
その信頼は、ベルトナールを神のごとく崇めるレベルにまで達しているが、裏を返せば期待には必ず応えなければならない状況に追い込まれているとも言える。
ましてや今回ベルトナールは、暗殺者の襲撃を受けて生死の境を彷徨っている。
必勝の戦神が傷付いたとなれば、民衆のイメージがただの人レベルにまで落ちるかもしれない。
ベルトナールが重傷を負ったという知らせがサンドロワーヌに届く前に、迅速に騒動の犯人を捕らえて処刑したという実績を作っておく必要がある。
ベルトナールは王位継承争いで先頭に立ってはいるが、民衆の期待の大きさに追い込まれつつもあるのだ。
二つ目の命令は、召喚した者達の扱いを引き締めと懐柔の強化だったが、これには兵士の規律の引き締めも書き添えられてある。
兵士への指示を見たタルビオスは、自責の念を禁じえなかった。
奴隷の首輪は、奴隷たちの自由を制限するものだが、ハンドベルを鳴らして従わせておける時間には限りがある。
そのため奴隷と行動をと共にする場合には、襲われたりしないように、立ち位置や距離に気を付けるように日頃から兵士には注意を与えてきた。
にも関わらず、背後から殴られて昏倒し、逃亡を許すなど兵士としてあるまじき失態だ。
今回はハンドベルの鍵を奪われなかったおかげで、逃亡した奴隷は首を切断されて死亡したが、脱走の過程で多くの住民の命が奪われてしまった。
奴隷一人の命と、五十人以上の住民の命とでは全く釣り合いが取れていない。
命令書には、襲われた兵士を処罰するように書かれてあった。
タルビオスは暫しの黙考の後、覚悟を決めるように頷くと、命令書の続きを読み始めた。
「な、なんだと……」
神妙な表情で二つ目の命令を読み終えたタルビオスだったが、三つ目の命令に目を通した直後、憤怒の表情を浮かべて立ち上がった。
そこには、ベルトナールがサンドロワーヌ城内で襲われたと書かれてあった。
受けたのはかすり傷程度、襲撃は失敗に終わっているので、淡々と容疑者を探すように書かれているが、命令書を持つタルビオスの手はワナワナと震えている。
ベルトナールから留守を任されている城内に、襲撃者の侵入を許すなど決して起こってはならない失態だ。
ベルトナールを襲ったのは、二十代ぐらいのくすんだ茶髪の男とある。
襲撃が行われてから二晩が経過している事を考えれば、既にサンドロワーヌから逃亡している可能性が高い。
「オストバル!」
タルビオスが隣室に声を掛けると、無言で入室してきた文官が執務机の前に立った。
オストバルは二十代半ばの男で、世の中全てに関心が無いかのような茫洋とした表情を浮かべている。
「ベルトナール様からの命令書だ」
オストバルは差し出された命令書を無言で受け取ると、表情を変えずに読み進めた。
タルビオスが怒りを露わにしたベルトナールが襲撃を受けたと書かれている箇所でも、ほんの僅か眉毛を釣り上げた程度だった。
「ドネルの隊にやらせましょう」
「なんだと、あの間抜けが居た隊だぞ」
「だからこそです。手柄を立てて汚名を濯ごうと、必死になって働くでしょう。それに、過度に奴隷に肩入れしていたのは、襲われたアーサーだけだったと聞いています」
「そうか、ならば名誉挽回のチャンスを与えるべきだな……で、具体的には?」
「既にベルトナール様を襲撃した者は、サンドロワーヌを離れているはずです。三本の街道それぞれに早馬を出し、くすんだ茶髪の男の足取りを追わせましょう」
タルビオスに進言を続けながらも、オストバルの瞳はまるで他人事を話しているかのように冷めている。
言葉よりも拳で、頭よりも筋肉で考える人間からすると、得体の知れない存在に映るが、自分にはない冷静さを保ち続け、的確な策を進言してくるオストバルの存在価値をタルビオスは高く評価していた。
「公開処刑の手筈は私が整えます。馬を暴走させた奴隷の遺体も火炙りにせよという御命令ですが、その前に奴隷共を引き締めるために見せしめとして使いましょう」
「良いだろう。アルマルディーヌの民に仇なした者だ、汚名を着せて利用せよ」
「残す問題は、襲撃者がどうやってベルトナール様が転移を行っている部屋まで辿り着いたかです」
オストバルは、ほんの僅かだが眉間に皺を寄せる。
「隠形スキル持ちではないのか?」
「勿論、その可能性が一番高いでしょうが、あらゆる可能性を排除すべきではありません」
「あらゆる可能性とは……?」
「内通者の存在」
「何だと!」
気色ばんで立ち上がったタルビオスを、オストバルは両手を軽く挙げて諫めた。
「あくまでも可能性の話ですが、いくら隠形スキルの持ち主でも、ベルトナール様が転移に使われている部屋まで辿り着けるものでしょうか」
「タイミングが良すぎる……ということか?」
「それに、転移に使われている部屋は城の一番奥です。いくら隠形スキルの持ち主であっても、簡単に入り込めないのでは?」
「手引きした者がいると……?」
「そう考えた方が自然ではありませんか?」
「うぬぅ……」
オストバルの話には説得力があるが、身内に潜む裏切り者を炙り出す面倒さを想像してタルビオスは顔を顰めた。
「我々に気付かれずに事を運んだのですから、簡単には尻尾を出さないでしょうが、私が探してみましょう」
「うむ、任せたぞ」
それまでの事の成り行きには興味を示さなかったオストバルだが、内通者の捜索を任された時には少しだけ口元を緩めてみせた。
逃げる内通者と知恵比べをして追い詰める状況が気に入ったらしい。
「アーサーの処分はいかがいたしますか?」
「一命は取り留めたのだったな」
「はい、ですが目覚めてはおりません」
益子に襲われたアーサーは、厩舎で倒れているところを発見されるまでに時間が掛かったために、命は取り留めたが意識が戻らない状態が続いていた。
当初は、侵入者に襲われたと思われ同情されていたが、奴隷に隙を見せて脱走を許し、その結果として多くの命が奪われたことが判明すると、戦犯として槍玉に挙げられている。
「内密に処分しておけ」
「では、侵入者を探すついでに、アーサーはその者に襲われたことにいたしましょう」
「出来るのか?」
「我々が口を閉ざしていても、ベルトナール様が襲撃された話は王都から伝わって参ります。それならば侵入者の存在を公表し、アーサーは襲われたことにした方が、王家や騎士団の威信が保てます」
「なるほど、アーサーの不手際を侵入者に押し付けるのだな?」
「哀れ襲われたアーサーは治療の甲斐なく息を引き取った……」
「良かろう、全て任せる」
「では、命令書を作成し、ドネルに通達いたします」
一礼したオストバルは、隣室へと移動するとタルビオス名義の命令書を作成し始めた。
タルビオスが雑務を嫌うのを良いことに、オストバルは城の実権を裏から操り始めている。
オストバルの望みは、タルビオスの後釜としてサンドロワーヌ城を表向きにも実行支配することだ。
タルビオスのように、ベルトナールに心酔もしていないし、王国の将来にも興味は無い。
下級官吏の家に生まれたオストバルには、己が生きている間に可能な限りの栄華を極めるのが人生の目的だ。
無論、表向きにはアルマルディーヌ王国の繁栄と、それをもたらすベルトナールの為に働いているように装っている。
「タルビオスの爺ぃ、脳筋のクセに勘だけは鋭いからな……」
茫洋として何事にも興味が無さそうな表情は、タルビオスを欺くためでもある。
サラサラと命令書を書き終えたオストバルは、タルビオスから預かっている印章を押し、ドネルに伝達すべく部屋を出た。