第15話 怪物の書いたシナリオ
あまりのおぞましさに吐くものが半数、もう半分は真っ青な顔でカタカタとその身を震わせている。メイドなどの女性数人は、完璧に目を回してしまっていた。
そういうローゼもさっきから足が笑っている。眉一つ動かさなかったのは、この部屋ではザックくらいなものだと思う。
ともあれ、もう彼女がオリバー卿を殺そうとしたのは間違いない。
「で? アスタ姉さん、その料理の解毒剤は?」
呆れ果てたような、そしてどこか疲れた様相でのザックの問いに、
「毒など端から入っていないのである」
妙にすっきりとした顔で、アスタは即答する。
「入っていない?」
「うむ。あの女が毒をもった料理の皿はこちらである」
突如アスタの左手に生じる皿に盛られた料理。
「は? じゃあ、さっきの料理は?」
「あーあ、これであるか?」
アスタは、毒があると主張していた右手に持つ皿をテーブルに置くと、右の掌を上にする。次の瞬間、新たな皿と料理が右手に収まっていた。
少しの間、ザックはそのいかれきった現象に口をパクパクさせていが、
「まったく、姉さん、あんたはマジで悪魔だよ」
喉の奥からそう絞りだした。
「うむ、その通りである」
アスタがザックの言葉を軽く受け流したとき――。
「終わった。お前らは終わったわッ!! 既にこの街の外には500以上の
顏の半分の筋肉がピクピクと痙攣し、涙と鼻水でグシャグシャに歪ませて金切り声を上げるジェーン。
「じゃ、蛇血っ!? お前は、蛇血の一味なのかっ!?」
オリバー卿が血相を変えてジェーンに問いかける。
「そうよ! 私は蛇血の斥候! 私の合図がなければ、この街に攻め入ることになっているの! もちろん、全て皆殺しよぉッ!」
ジェーンの叫びに、オリバー卿の全身から力が抜け、顔を絶望一色に染めて、項垂れる。
「最悪だ……」
そして、彼はそんな呻き声を上げると、床に腰をペタンと下ろすと、頭を抱えてしまった。
「オリバー卿、ご存じなのですか?」
「ええ、蛇血は、このアメリア王国の裏組織の中でも十指に入る武闘派マフィアの一つです」
「勝算は?」
「ここアキナシ領は、あくまで鉱山都市。ハンターも限られた数しかおりません。500もの蛇血に襲われれば、一溜まりもないでしょう」
このオリバー卿の言葉に、部屋中は忽ち大混乱に陥った。
「お、俺たち、どうなるんだ!?」
「知らないわよっ!」
普段冷静沈着なオリバー卿がこれほど動揺する姿を目にすれば、不安になるなという方が無理な話だ。
しかし、マズい。このまま手をこまねいていれば、取返しがつかなくなる。今は直ちに行動に移すべき時。
「ざまあないわ! あんたら、全員、破滅なのよぉっ!!」
オリバー卿たちの慌てふためく姿に、ジェーンは顔をくしゃくしゃにして高笑いをする。
ザックは肩を竦めて、憐憫の表情で今も笑う彼女を見下ろすと、
「まったく、運が悪い。本当に運が悪い」
繰り返し、何かを諦めたように呟いたのだった。
「今更、嘆いても遅いわッ! 老若男女問わず、皆殺しに――」
勝ち誇った彼女の勝利宣言の最中、食堂の扉が勢いよく開かれ衛兵と思われる鎧の男が転がり込んでくる。
「ま、ま、街の外に――」
指先を向けて必死に言葉を発しようとするが、上手く紡げずパクパクと動かすだけ。
「オリバー卿!」
ローゼ自身驚くほどの大音声に、オリバー卿は弾かれたかのように、部屋中の使用人たちを見渡す。そして両手で自身の頬を叩くと、席を勢いよく立ち上がって、右腕を振り上げ、
「大丈夫だっ! 確かにこの領地の衛兵だけでは撃退は不可能さ。だけど、隣のラムールには剣聖様がいる。応援さえこの地にくれば、私たちの勝ちだよっ!」
まるで己を奮い立たせるように、大声を張り上げた。
「基本はオリバー卿に同意します。ですが、ラムールまでよりも、カイのいるイーストエンドの【深魔の森】の方がやや近いです。私達全員で時間を稼ぎつつ、カイに助けを求めた方がより確実だと思います」
ここアキナシなら、ラムールよりも、【深魔の森】の方がより早く到着できる。さらにカイは巨鳥という反則的な存在を配下にいる。あの巨鳥なら【深魔の森】からこのアキナシまではほとんど一瞬で到着できる。つまり、事実上、【深魔の森】に到着しさえすればあとはローゼたちの勝利というわけ。
もちろん、それまでアキナシを防衛する必要はあるが、ザックとアスタがいれば、何とかなるんじゃないかと思っている。
実際にザックは強い。カイがいなければ、王族のロイヤルガード候補の筆頭だろう。アスタも、先ほどの挙動を全く認識できない動きから察するに相当の強者なのは間違いない。流石に二人だけで、賊の500人を撃滅するのは不可能だろうが、カイの到着まで持たせることは可能なはずだ。
「貴方のロイヤルガードは、王国でも有数の賊、500を壊滅できるほど、強いのですか?」
ローゼの顔色を窺いながら、オリバー卿はそう尋ねてくる。カイが、無能のギフトを持つ少年であることは伝えている。だからこそ、オリバー卿はローゼのこの発言が、信じられないんだと思う。
「ええ、陛下のロイヤルガード、アルノルト騎士長が、自身よりも圧倒的に強いというほどには」
「……」
静まり返る室内。王国騎士長アルノルトといえば、世界にも名を轟かすアメリア王国一の剣豪。それを超える剣士など想像もつかない。それが、この場にいる皆の一致する意見だろう。
「誰だろうと、無理ですよ……」
報告をした衛兵は両膝を地面について俯き気味にボソリと呟く。その全てを諦めてしまたったかのような態度にオリバー卿は近づくとその両肩を掴み、
「無理だとはどういうことだ?」
静かにその発言の意味を尋ねる。
「勝てっこねぇ! 助けを呼びに行く!? 無理に決まってるッ!! 今も優に千すら超える賊どもがこのアキナシの街を囲んでいるんですよっ!! どうやってそれを突破するんですっ!?」
千を超えるの賊?
「まさか、今、街を包囲している千を超える賊って!?」
「ああ、多分な。これで師父の計画ってやつが大分見えてきた。その賊とやらもまともじゃないはずだ。何か特徴はなかったか? なんでもいい」
衛兵は震えながら、蟀谷に右の人差し指を当てていたが、
「……たしか、奴らの一つが壺と竜の紋章を持った旗を持っていた」
たどたどしい口調で絞り出す。
「壺と竜……の紋章?」
壺の中から竜が出るようなイメージだろうか。その紋章以前、王都で耳にしたことがあるような。確か……。
「くはっ! くはは!! やられたぜ! 十中八九、タオ家だ!」
ザックは顔を右手の掌で抑えて狂喜の表情で笑いだす。そしてザックが最後に発した単語は、急速にローゼの脳から以前文官から耳にした情報を引き出していく。
タオ家――東の大国ブトウに根を張る闇の巨大シンジゲート。厳格な入組試験があり、そのメンバーの一人一人が一騎当千の実力持ち主だとか。
「じゃ、じゃあ、風猫を取り込む。その目的のために、タオ家を呼び寄せったってこと!? 冗談でしょ!? そんなの絶対正気の沙汰じゃないわっ!」
裏社会の頂点に位置するタオ家からすれば、
「それは今更だせ、姫さん」
「であるな。マスターは希代の
アスタがほら見たことかと断言する中、
「そんなバカなッ!? なぜ天下のタオ家がこんな吹けば飛びそうな辺境の領地を襲撃するのよッ!?」
ジェーンが絶叫を上げる。
ザックは鬱陶しそうに右手の小指で耳をほじり、
「だから運が悪いって言ったろ? お前らは怪物の書いたシナリオの中で、哀れに踊る使い捨ての道化として、組み込まれちまったんだ。絶望的なほど運が悪すぎんだよ」
再度同情すらも含んだ視線で見降ろしていた。
「うむ。同感である。此度、君らをこの地によこした張本人は、吾輩が感服するほどの邪悪である。大方、君らは、全て滑稽なマリオネットとして、骨までしゃぶられ、惨めに、そして残酷に死んでいくのである」
その細い両腰に手を当てて身をかがめてジェーンを見下ろしながらも、口角を上げるアスタは御伽噺に出てくる魔族たちが崇める悪魔のようで正直ぞっとする。
「……」
ジェーンは、暫し目を見開いてアスタを凝視していたが、遂に両腕で自身を抱きしめながら、声を殺して泣き出し始めた。
大きくなり過ぎた非現実的な話についていけなくなったのか、オリバー卿とその使用人たちは無言で成り行きを眺めるのみ。
「だとすると、俺たちの役目は既に終わっている。精々、怪物が書いた物語について、高みの見物を決め込むとしよう」
ザックのこの言葉を封切に、
なんとかなりそうかも。
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