赤竜が最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。
「なんだよ、これ……」
城壁の周囲には、獣人族、人族入り乱れた遺体が累々と横たわり、城門前では激しい戦闘が続き、王都の街並みは炎に包まれている。
ドード達、奴隷繁殖場を解放に向かった者全員をマーゴの里へと送り届けた直後、兵馬が千里眼で目撃したのは地獄のような状況だった。
「どうした、ヒョウマ」
「アルマルディーヌの王都が燃えている」
「何だと、本当か……」
思わず歓喜の声を上げかけたマーゴの里長ビエシエは、兵馬の内心を思って口を噤んだ。
「行かなきゃ……」
「行くって、待てヒョウマ! お前、フラフラじゃないか」
兵馬はサンカラーンから遠く離れたアルマルディーヌ国内から、4万人近い人間を転送し、更には脱走を試みた若者まで追い掛け、捕まえ、強制的に転移させ終えたばかりだ。
途中で休息を挟んだものの、もう魔力も気力も体力も底を尽いている状態だ。
「そんな状態で行ったところで、何が出来る。いくらヒョウマでも、行くだけで精一杯じゃないのか」
「それでも、それでもこれは俺の責任だから……」
「ヒョウマ!」
押し留めようとするビエシエの前から、忽然と兵馬の姿が消える。
兵馬が姿を現したのは、アルマルディーヌ王国の王都ゴルドレーンの街中だ。
「くそっ、何を使えばいいのか分からねぇ……とりあえず水だ!」
もはや自分の持っているスキルの把握などしている余裕は無い。
今この瞬間にも多くの命が失われようとしているのだ。
収容先の教会を出た女性と子供が炎に閉じ込められた路地に、滝のような雨が降り注ぐ。
全てを洗い流すかのような土砂降りが、みるみるうちに火の勢いを弱めるが、焼け落ちた建物が道を塞いでいる。
雨を降らせながら、兵馬は瓦礫を既に焼け落ちた地区へと空間転移させた。
突然の雨に驚きながらも、絶望していた女性達の目に希望の光が戻った。
「火は弱まったが燃えた建物はもろくなっていて崩れるかもしれない、急いで避難しろ!」
「竜だ……竜が助けてくれた……」
兵馬は意識していなかったが、飛翔のスキルを効率良く使うために、背中から大きな翼が生えていた。
ズボンは履いているが、翼が出た時にシャツは破れて飛び、鱗に覆われた上半身が露わになっている。
その姿は、地上にいる者から見れば竜そのものだった。
兵馬は、そのまま王都の上空に留まって、燃え盛る炎の帯に向かって大量の雨を降らせ続けた。
水属性の魔法は、まったくの無から水を生み出す訳ではない。
空気中の水分を利用し、それでも足りない場合には、周囲の水を任意の場所に集めて来る。
兵馬が大量の水を雨にすることで、城壁や王城の堀の水位が見る間に下がり始めたが、今更堀の水を気にしている余裕があるは者いなかった。
「消火班が頑張ってるんだ。何としても門を守れ!」
「街に紛れ込んだ獣人共を殺せ!」
急速に勢いを失っていく火災を見て、アルマルディーヌの兵士達が息を吹き返す。
王都を舐め尽くす勢いだった炎の大蛇が姿を消し、火災現場だった辺りが白い水蒸気が立ち昇るのみとなったのを見て、兵馬は王都の東門へと移動した。
未だに死に物狂いの戦いを続ける両軍の頭を冷やすように、ここでも叩き付けるような雨を降らせたが、そこが兵馬の魔力の限界だった。
背中の翼が消え、飛翔のスキルも途切れた兵馬は東門の前へと落下した。
辛うじて人や遺体を巻き込まずに着地できたが、気力を振り絞っても立ち上がるのがやっとだった。
城壁の上に陣取ったアルマルディーヌの兵士も、東門へと殺到していた獣人族も、突然の豪雨と共に空から降ってきた兵馬に驚き、一瞬の空白が生まれた。
「やめろ! もう殺し合いはたくさんだ!」
兵馬の周囲にいた者は、互いに顔を見合わせて次の行動を決めかねていたが、離れた場所にいる者は、兵馬の姿も見えていなかった。
一瞬の空白が途切れて、獣人族からの投石が再開され、そのうちの一つが兵馬を襲った。
「ぐぁ……」
頭に投石を食らった兵馬は、よろめいてガックリと膝をつく。
もう一度立ち上がる気力は残っていなかった。
「撃て! 奴らが足を止めている今が好機だ!」
先に動き出したのはアルマルディーヌ兵で、再び城壁から攻撃魔法が降り注いでくる。
「やめろ……やめて、がぁぁ……」
風の刃が兵馬の背中をザックリと切り裂いた。
自動再生のスキルが発動するが、魔力が底を尽いた状態なので瞬時の再生は行われない。
流れ出す血が、更に兵馬の体力を奪っていく。
「やめろ……やめてくれ……」
「進めぇ! 何としても門を開けぇ!」
道の端に倒れ伏した兵馬の横を獣人族が駆け抜けて行く。
跳ね上げられた泥が顔に掛かっても、それを拭う気力すら湧いてこない。
こんなはずではなかった。自分の力があれば、戦争の無い世界が築けると兵馬は思っていた。
だが、思い返してみれば、思惑通りに運ばなかった事の方が多いぐらいだ。
ベルトナールを殺し損ね、クラスメイトを救出する時に初めて人を殺した。
ケルゾークを襲った兵士を皆殺しにし、ノランジェールでも多くの兵士を殺した。
無血解放をするはずが、チャベレス鉱山にいた人族は全員虐殺された。
自力でサンカラーンを目指すと言っていた者達は、アルマルディーヌの村や街を襲い、女性や子供までも皆殺しにしていた。
王都まで進んで来た者達は、城壁の守りに跳ね返され、屍の山を築いている。
それでも戦いは終わらない、今も城壁の内外で人族と獣人族が争い、現在進行形で命が失われている。
そんな戦場の片隅で、誰にも見向きもされず、泥にまみれて死んでいくのは自業自得だと兵馬は思っていた。
「もう疲れた……ごめん、ラフィーア……」
閉じようとする意識の中で、ダンムールに残してきた恋人の姿が瞼に浮かび、涙が溢れてきた。
「樫村……後を頼む……」
意識を、命を手放そうとした兵馬を地にめり込ませるような強風が襲った。
「りゅ、竜だ! 赤竜だ!」
誰かは分からない声を聞き、気力を振り絞って首を捩じると空は赤い鱗に覆われていた。
「うぎゃぁぁぁ……」
地響きと共に悲鳴が上がり、巨大な生き物は地に降り立った。
「ふぅぅ……何をしている?」
初めて出会った時のように、鼻息が掛かりそうな距離に赤竜は顔を寄せ、金色に光る瞳で兵馬を見据えた。
「し、死に掛けてる……」
「ふん、そんなことは見れば分かる。我から力を奪ったそなたが、なぜこんな場所で死に掛けているのだ?」
「う、撃てぇ!」
空気を読まないアルマルディーヌ兵が、赤竜に対して集団魔法を撃ち込もうとした。
「ふん、愚か者が……」
赤竜の尾の一薙ぎで、東門を中心とした城壁は瓦礫の山と化した。
「も、門が崩れた。今だ、突っ込……」
王都に雪崩れ込もうとした獣人族の一団も、赤竜の尾に薙ぎ払われた。
「なぜ奪わぬ、なぜ命じぬ、なぜ力を振るわぬ?」
静まり返った戦場で、赤竜は兵馬に問い掛けた。
「えっ……なぜ?」
「戦いを止めたければ、止めろと命じれば良い。従わないなら殺せば良い。なぜ死に掛ける必要があるのだ?」
「でも、俺はあなたのような力は持っていない」
「ふん……己の存在すら理解していないのか。ならば死に掛けるのも無理はないな」
「えっ……どういう意味?」
兵馬は赤竜の質問の意図を計りかねていた。
「そなたの能力は、相手の力の1割ほどを奪うものだったな?」
「そう、ですが……それが」
「ならば、そなたは300年を生きた竜と同じではないのか?」
「300年……」
「そなたは身体の大きさこそ我とは違えど竜族と呼んでも差し支えない。既に、ここで蠢いている奴らとは別の次元の存在だ」
赤竜は、足許で腰を抜かしている獣人族に目を向けると、右手を伸ばし、デコピンの要領で爪弾いて肉塊へ変えてしまった。
「何で殺した」
「目障りだからな」
「な……」
「人とて羽虫を殺すのに躊躇などせぬだろう。同じだ……」
「それなら俺だって……ぐはっ」
赤竜に爪弾かれて兵馬はゴロゴロと転がったが、その身体が肉塊に変わることはなかった。
「同じではなかろう。いい加減に、己の存在を自覚せよ」
自覚しろと言われても、兵馬は混乱したままだった。
「お、俺は……」
「ふん、我から力を奪っても生き残ったから、少しは楽しませてくれるかと思ったが、ウジウジと面倒な……いや、我とは違うのだから、これが楽しみなのか?」
赤竜は自問するように呟くと、バサリと翼を広げた。
「待ってくれ、俺はどうすれば……」
「好きにしろ。そなたには、それだけの力があるだろう。足らなければ奪え、何のための力だ。人など滅ぼしたところで、またすぐに増える。いや、むしろ中途半端に殺す方が目障りだぞ」
「ちょっ……」
引き留めようと兵馬が手を伸ばすが、言うだけ言った赤竜は空へと舞い上がり、白み始めた東の空へと飛び去っていった。
再び戦場に静寂が訪れた。
兵馬の背中の傷はいつの間にか塞がり、死を意識するような虚脱感も去っているが、まだ戦えるほどの魔力は戻っていない。
王都に目を向ければ、赤竜の尾に薙ぎ払われて東門が消失し、王城へと通じる大通りが丸見えになっていた。
東門と共に、守りを固めていた兵士も薙ぎ払われ、呆然としているのは予備兵力として招集された市民達だ。
街道に立ち塞がり、王都への突入を阻んでいた赤竜は去った。
獣人族の前に、ポッカリと道が開けていた。
「いなくなった。赤竜がいなくなった!」
「突っ込め! 人族を皆殺しにしろ!」
止まっていた時間が動き出すように、獣人族が雄叫びを上げて疾走を始める。
「やめろぉぉぉぉぉ! ゆるパ────ク!」
絶叫した兵馬の身体に魔力が、生命力が一気に流れ込んで来た。