竜人として生まれ変わった兵馬は今度は暗殺を目指す
サンドロワーヌの裏町で獣人族の奴隷の様子を確かめた後、表通りには戻らずに空間転移の魔法を使ってダンムールの里へと戻った。
訓練場の片隅に建てた小屋へと戻ると、フォレストウルフのアン達が、千切れんばかりに尻尾を振って駆け寄って来る。
「キューン、キューン、ワフッ、ワフッ!」
「はいはい、わかった、わかった。今日はもう出掛けないよ」
熱烈に歓迎してくれるのは嬉しいのだが、俺が出掛けている間は風呂に入れていないのでかなり獣臭い。
ベロンベロンに舐められて、俺も獣臭くなってしまったので風呂に入ることにした。
湯舟は作ったままだったが、お湯は放置していたから緑色になってしまっている。
水属性の魔法を使って水流を起こして湯舟を洗浄して一旦排水し、新たに火属性と水属性の魔法を組み合わせて奇麗なお湯を張った。
「あぁぁぁ……やっぱり広い風呂はいいねぇ……」
「キャウ、キャウ!」
アン達も一度奇麗に洗ってから湯舟に浸からせている。
巨大なフォレストウルフが、思い思い寛いでいる姿はなかなかに壮観だ。
アン達が顎を湯舟の縁に預けて脱力している一方で、サンクとシスは俺にじゃれ付いてくる。
うんうん、モフモフ天国はやっぱり最高だね。
お湯に浸かって夕闇に包まれていく空を眺めていると、頭に浮かんだのは獣人族の奴隷達の姿だ。
満足に横になるスペースすら与えられず、狭い部屋で身を寄せ合っていた。
衣類も腰布のような物を与えられているだけで、毛並みは見るからにボロボロだった。
身体を洗うにしても水浴びがせいぜいだろうし、こんな風にのんびりと風呂に浸かる事など無いのだろう。
ダンムールの里の者たちは、頑強であったり、俊敏であったりするように見えたが、奴隷の獣人族からは生気のようなものが感じられなかった。
「ヒョウマ、戻っているのか?」
「ラフィーアか? あぁ、今さっき戻ってきたところだ」
「そうか、夕食は食べたのか?」
「いや、アン達と一緒に食べようかと思っていたんだが」
「母屋の方に来てくれ。父も話を聞きたいだろうから」
「分かった、アン達の食事を済ませたら行くよ」
また湯舟に乱入してくるかと思っていたが、ラフィーアは母屋の方へと去っていった。
ちょっと拍子抜けした気分になっているあたり、俺は期待していたって事なのだろうか。
アン達に食事を与えてから竜人の姿で母屋を訪れると、まだ夕食には少し間があるようだったが、食堂では里長のハシームが俺を待っていた。
テーブルを挟んで差し向いで座るように促され、俺の隣にはラフィーアが座った。
「ヒョウマよ、サンドロワーヌまで足を延ばして来たのか?」
「あぁ、明日からフェスティバルが始まるから、物凄い賑わいだった」
「ふん、我ら獣人族の犠牲によって成り立つ繁栄など欺瞞だ」
「確かに、その通りだな……」
食事の席で話すには、あまり相応しくないと思い、囚われている獣人族の奴隷達の様子を先に話した。
俺が話を進めていくうちに、ハシームの顔は憤怒に彩られ、たてがみが大きく逆立っていった。
「なんという事だ! 獣人族が、そんな扱いを受ける謂れは何一つ無いぞ!」
吼えるように言い放ったハシームの言葉に、料理を運んでいた給仕の者がビクリと足を止めた。
俺はダンムールの里に来て日が浅いが、ハシームがこれほどまでに怒りを露わにするのを見たのは初めてだ。
サンカラーンは、里ごとの独立性が高いと聞くが、やはり同胞としての意識は当然存在するのだろう。
隣に座っているラフィーアの眦も吊り上がっている。
「ヒョウマよ。勝手な申し出だとは思うが、その者たちを救い出す事は出来ないか?」
「すまないが、今は無理だ」
「やはり、奴隷の首輪が問題か……」
「それもあるのだが……アルマルディーヌの第二王子ベルトナールを暗殺するつもりだ」
「何だと……」
どうやらラフィーアは、ベルトナールの暗殺計画をハシームには伝えていないようだ。
そこで、フェスティバルで行われる武術大会や、その優勝者の表彰式にベルトナールが現れることなどを伝え、チャンスがあれば暗殺しようと思っていると伝えた。
「そいつが、空間魔法の使い手なのだな?」
「そうだ、俺たちを異世界から召喚したのもベルトナールだろうし、俺を森に置き去りにしたのもベルトナールだ」
「そやつの命を絶てば、戦況は大きく変わるな……」
ハシームは先程までの怒りを鎮め、頭の中で考えを巡らせているようだ。
「奴隷になっている獣人族を解放するには、首輪をどうにかしなければならないし、騒ぎを起こせばベルトナールに警戒されてしまう。今は、ベルトナールの暗殺を優先したい」
「分かった。暗殺が実現出来れば、サンカラーンにとっては大きな戦果となる。だがヒョウマよ、お前の友人たちの救出には支障をきたさないのか?」
「分からないが……ベルトナールを生かしておけば、サンカラーンの里は襲われ続けるだろう。奴さえ居なくなれば、少なくとも突然森の奥にある里が攻め込まれるような事態は防げるはずだ」
「その通りだ。あの空間転移魔法の使い手が現れる以前は、アルマルディーヌの奴らが攻めて来るとしても国境沿いの里ばかりだった。そうした里の者達は、それなりに武装を整えて、互角とまでは言えなくとも奴らにも損害を与えていたのだ」
いくら攻撃魔法が使えない獣人族とは言え、攻めて来ると分かっていれば備えることは出来るし、今のように一方的にやられる事は無いらしい。
ベルトナールの空間転移魔法によって、それまで攻められた経験の殆ど無い、森の奥にある里が狙われるようになり、近年は負け戦が続いているそうだ。
「なぁ、少し疑問に思ったんだが、戦争で奴隷を手に入れたとしても、アルマルディーヌ全土をまかなえるほどの人数は確保出来ないだろう?」
フンダールやルベチの話では、戦争で奴隷となった獣人族達は、アルマルディーヌの鉱山へと送られて強制労働をさせられているという話だった。
だが、実際に足を運んだサンドロワーヌの街では、思っていた以上に多くの獣人族が奴隷として閉じ込められていた。
鉱山にサンドロワーヌ、アルマルディーヌには他にも街があるという話だから、そこでも獣人族が奴隷として使われているとしたら、そんな人数を戦争捕虜だけで補えるものなのだろうか。
それほど頻繁に、侵略が行われているのだろうか。
「ふん、戦の末に連れていかれるのは、男だけではない」
「えっ、まさか……」
「そのまさかだ……家畜のごとく繁殖させられているそうだ」
「なっ……」
苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てた、ハシームの言葉を聞いた途端、体の中で血が沸騰した。
ゴリゴリという軋み音が耳に響いてきて、それが自分の歯ぎしりだと気付くまで少し時間が掛かったほどだ。
「アルマルディーヌの連中は、我々を人だとは思っておらん。もし、我ら獣人族を少しでも人間だと思っているのだとしたら、そのような所業を繰り返す奴らこそが人でなしだ」
確かに、ハシームやラフィーアの見た目は、立って服を着て暮らすライオンにしか見えないが、言葉を交わせば知性や思いやりを持つ『人』だ。
アルマルディーヌの国民だって、奴隷にされているとは言え、獣人達と言葉を交わす機会はあるだろう。
それなのに『人』として扱おうとしないなら、ハシームの言う通り人でなしだ。
「こんなのは間違ってる。例え、それがアルマルディーヌの常識だとしても、俺は認めない。繁栄を築きたければ、自分たちの力で築けばいいんだ」
「その通りだ。我々サンカラーンの民も、アルマルディーヌの連中が独力で繁栄するのであれば、文句を言うつもりなど無い。だが、現状では我々は搾取されるばかりだ。このような状況は到底許容できるものではない」
ハシームの言葉には全面的に賛成だ。
フンダールやルベチは急激な変化は望んでいないのだろうが、あの獣人族の奴隷の姿を見てしまっては、ノンビリと構えている訳にはいかない。
「とりあえず、明日から二日はサンドロワーヌの偵察をしながら、武芸者のスキルを根こそぎ奪っておくつもりだ。そして三日後、必ずベルトナールの息の根を止める」
「頼むぞ、ヒョウマよ」
「あぁ、これは俺の戦いでもある。もう迷わない」
計画を思い付いた時には、自分に人が殺せるのか自信が無かったし迷いもあったが、ベルトナールの暗殺は絶対に必要だ。
俺の手をギュッと握ってきたラフィーアに、シッカリと頷いてみせた。
夕食の間、暗殺計画は話題にせず、武術大会の予選の様子ばかりを話した。
人族の武術には興味など無いかと思いきや、力では劣る人族の技には興味があるそうだ。
「ほぅ、ではヒョウマは、その予選に出場している者達の技をそっくり盗んで来たのか?」
「頭では理解したが、実際に体を動かしている訳じゃないから、今すぐ使える訳ではないぞ」
「では、一段落ついた所で里の連中と手合わせして、自分のものにしてしまえば良い」
「そうだな。ゆるパクなんてスキルのおかげで、色々と手に入れる事ができたが、経験が圧倒的に足りていないからな」
実際、ラフィーアと組み打ちを行った時も、最初は一方的にやられるだけだった。
ゆるパクで手に入れた頑強な身体と、模倣、戦術予測、思考加速などのスキルをフル活用して、ようやく対抗できたのだ。
「厄介事が片付いたら、すこしラフィーアと手合わせするか……」
「ふふん……ヒョウマよ、素手の戦いでは敵わなくなったが、武器を使うなら話は別だ。まだまだ私の方が上回っているはずだ」
「だろうな。だから手合わせして、色々と学ばせてもらうよ」
「あぁ、そうしてまたヒョウマは、私の大切なものを奪っていくのだな……」
「ちょ、ラフィーア、言い方!」
夕食の席は、三日後の血生臭い計画など存在していないかのように、終始笑いが絶えなかった。
夕食後に館を出てアン達が待つ小屋へと戻ろうとすると、ラフィーアが付いてきた。
「ヒョウマ、その……大丈夫か?」
「あぁ、心配するな」
ラフィーアが何を心配しているのか分かっているし、ラフィーアも俺が何を大丈夫だと答えたのか分かっているはずだ。
例え、見た目は違っていても、言葉も気持ちも通じ合える。
それなのに、相手の存在や尊厳を否定するアルマルディーヌのやり方を俺は絶対に認めない。
謂れのない暴力を振るわれるならば、自衛のために力を振るうし、報復だって辞さない。
俺は聖人君子ではないし、殴られっぱなしで黙っていられるほど人間は出来ていない。
初めてダンムールを訪れた時、ハシームからサンカラーンとアルマルディーヌどちらの味方なのだと問われた。
あの時は、ラフィーアからバリバリの敵意を向けていられたし、全く状況が分からなかったから、どちらの味方でもないと答えたが、今ならば答えは決まっている。
俺はサンカラーンに味方して、獣人族も人族も平等な世界を目指す。
たぶん、アルマルディーヌの連中だけでなく、サンカラーンの連中からも絵空事だと言われるだろうが、ゆるパクによって強大な力を得た事には何か意味があるような気がする。
例え、大きな力を持っていても、俺一人で出来る事には限界があるだろう。
それでも、奨学金を貰い続けるために、学校を無事に卒業出来るように、益子や取り巻き達の顔色を窺っていた頃の俺とは違う。
俺は、ゆるパクで得た力を使って、生きたいように生きてやる。
「あぁ、星が多いな……」
「何を言ってる、ヒョウマ。星の数など変わらぬぞ」
満天の星を見上げて呟いた言葉の意味は、ラフィーアには通じなかったようだ。
「いや、俺の居た世界では空気が汚れ、街が明るくなりすぎて、こんなにたくさんの星は見えなくなっていたんだ」
「星が見えなくなるほど街が明るい……想像も出来んな」
星を見上げる俺の横に並んで、ラフィーアが腕を絡めてくる。
「あぁ、星空に吸い込まれそうだ……」
「いや、それは駄目だ。私は、この腕を離すつもりはないぞ……」
ラフィーアはギュッと腕を抱え込み、俺の肩に頭を預けると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。