第30話 獣顔の軍勢(2) イルザ・ハーニッシュ
深域の魔物さえも真っ二つに切り裂いたアルノルト騎士長の渾身の剣戟を山羊頭の怪物は右手の爪で易々と弾き返す。
さらに、奴の後頭部に放たれた一撃必殺の凄まじい威力の籠ったウルフマンの蹴りも、振り返りもせずに僅かな重心移動だけで躱してしまう。
そして無造作に両手の爪が振るわれる。
「くっ!」
「……」
ウルフマンとアルノルト騎士長が身体を反らしてそれらを紙一重で交わすが、大地は大きく切り裂かれてしまう。
あの爪、アルノルト騎士長とウルフマンであっても、まともにくらえば致命傷かもしれない。
「何だよ、あのバケモノ……」
隣で掠れた声を上げるBランクのハンター。三者の戦いを目にする顔は、真っ青に血の気が引いていた。それはそうさ。深域の魔物さえも容易に屠ってきたアルノルト騎士長とウルフマンの二人が、あの山羊頭の怪物一匹と互角。いや、あの山羊の怪物の方が若干押してさえいる。
思い返してみればあの魔物どもはどこか変だった。まるで何かに追い立てられている。そんな印象を受けていた。もっともあの深域の魔物を追い立てられるような存在がいるはずがない。だから、今の今まで選択肢として排除してきたのだ。
おそらく、あの山羊頭の怪物はライガ達が遺跡で聞いた声の主、パズズだろう。
(冗談じゃない。あんなのカイ・ハイネマンでも勝てるわけないじゃないっ!!)
Sクラスのハンター級二人と互角の怪物など、流石のカイ・ハイネマンでも対処は不可能だろう。
確かにライガ達の遺跡探索は、トレジャーハンターとしての禁忌をいくつも破っている。だが、あんな怪物にこうも簡単に遭遇するような場所だ。きっと身の毛もよだつトラップがゴロゴロ設置されていたことだろう。結局だれが踏み込んでも結果は同じだったのかもしれない。
二人と一匹の激戦が繰り広げられる中、突如山羊頭の足元に魔法陣が出現し、そこから無数の光の鎖が伸びると山羊頭の怪物の全身を雁字搦めに拘束する。
「今じゃぁ、やれぃ!!」
赤色のローブに身を包んだ小柄だが筋肉質な男――ラルフ・エクセルが杖を山羊頭の怪物に向けながらも指示の声を張り上げる。
『グゴオオオォッ!!』
まさに獣の吠え声を上げて山羊頭の怪物は、両手で己に絡まる光の鎖を掴むと引きちぎる。
光の鎖は霧散するが、同時にアルノルト騎士長の大剣が山羊頭の怪物の頭部を刎ね、ウルフマンの踵が頭部を失った胴体へと深くめり込む。
グシャッと果実を砕くがごとき音とともに山羊頭の怪物の胴体は四方八方へと飛び散り、肉片が周囲にばら撒かれた。
「やった……」
「勝ったぞっ!!」
見物していたハンターの一人が右拳を突き上げて勝利の雄叫びを上げると、割れんばかりの歓声がバルセ東門前荒野に響き渡る。
「助かった……の?」
今迄、全身を拘束していた緊張の糸が緩み、大きく息を吐き出す。
「まだ終わってはいない! 気を抜くな!!」
ギルド長――ラルフの叩きつけるような声。ラルフだけではない。アルノルト騎士長とウルフマンもシルケ樹海を注視していた。そして三人の顔に例外なく張り付いてたのは、濃厚な恐怖の感情。
ラルフギルド長は、かつて【
その彼ら三者が揃って恐怖を覚える事態。それは――。
「嘘……」
とびっきりの絶望が、イルザの前に出現していた。
「うあ……」
至る所で上がるハンターたちの呻き声と悲鳴。そしてシルケ樹海から次々に姿を現す異国の服を着た頭部が獣の怪物ども。
怪物どもは既に数百、数千にも及び荒野を埋め尽くしていた。
考えたくはない。考えたくはないが、まさか、あれらは全てさっきギルド長が倒した怪物どもと同等の強さを持っていたりするんだろうか? だとすれば、たった一匹をしとめるのに人類最強クラスの三人の連携が必要だったのだ。敵うはずがない。
『あんらー、わたしのボクちゃんの
頭の中に響き渡る緊張感皆無の野太い男の声。
獣の頭部を持つ怪物どもの群衆が二つに割れると一斉に跪き、首を垂れる。奴らの跪く先には青髭を生やした巨躯の赤髪の男が仰け反り気味に、髪をかき上げるポーズで佇んでいた。男は赤色のパンツとマント、靴の様相であり、頭には緑色の丸い帽子を被っている。
「あれらは――儂らには無理だ! 儂らが足止めをする! 直ちにこの街から避難しろっ!」
裏返ったギルマス――ラルフの声。城門まで一斉に走り出すハンターたち。
『私たちを足止めるぅ? それは無理ねぇ』
魔法を唱えようと詠唱を開始するラルフの目と鼻の先で口角を上げて見下ろす赤髪の巨躯の男。
「……」
ラルフの詠唱は途中で止まり、ただ無言で奴を見上げるのみ。その全身は小刻みに震えていた。
見えなかった! 微塵もその挙動が認識できなかった。気が付くとまるで魔法のようにギルド長の前にあの赤髪の巨人がいたのだ。そして、それはイルザにとって殿上人であるアルノルト騎士長とウルフマンすらも同じく、微動だにすらできていない。
『あら~、どうしたのぉ、私を足止めにするんじゃなかったのぉ?』
まさに蛇に睨まれた蛙の状態のラルフの頭部を赤髪の怪物は鷲掴みにすると持ち上げる。
「うあ……」
普段憎たらしいほど冷静なギルド長の口から漏れる何かが裂けるような小さな叫び。
『私、虫けらの強さってよくわからないのよーん。だから――死んだらごめんなさいねぇ』
振りかぶるとまるで何かゴミで捨てるかのように放り投げる。
爆風を纏って凄まじい速度で城壁まで直進し、激突。城壁は粉々に砕け散り、ラルフは瓦礫の山の中へ消えてしまった。
「舐め過ぎズラっ!!」
四つ足で地面を拘束疾走していたウルフマンが赤髪の大男の後頭部にその鋭い右手の爪を突き立てるが、金属が擦れる音とともに弾かれる。
「なっ!!?」
まだ、奴が爪や拳で避けたのなら救いがあった。だが、奴の後頭部は無傷。逆に、攻撃を加えたはずのウルフマンの右爪は、グニャリとひん曲がってしまっている。
『残念でしたぁー』
奴はゆっくりと、ウルフマンを振り返る。
「……」
そして、目を見開きながら、己の爪に視線を落としているウルフマンを軽く殴りつける。ウルフマンは、凄まじい速度で地面を転がりながら、ようやく止まり、ピクリとも動かなくなってしまう。
ギルド長とウルフマンの実にあっさりとした敗北に、頭が上手く働かない。
ギルド長は元【
この御仁たちと肩を並べられるような存在になりたい。そう願いイルザ達一般のハンターは、日々練磨してきたのだ。その二人があっさり理不尽に潰されてしまう。こんなこと、あってはならない。そうだ。きっとこれは夢だ。夢、以外考えられない。いつものように、ベッドの中で目が覚めて仲間たちと馬鹿な話に花を咲かせる。そんな日常が待っているはずだ。
『さあ、ボクちゃんたち、久しぶりのごちそうよ! たっぷり食べていいわぁ!!』
赤髪の男の指示に右手を胸に当てていた獣の頭部をした怪物どももこちらに向けて隊列を組んで歩き出す。
「なぜだ?」
滝のような汗を流しながら、剣を構えて様子を伺えっていたアルノルト騎士長が、疑問の言葉を絞り出す。
『んー、何がかしらぁ?』
「なぜ、我らを襲う!?」
『んふふーん。もち、食材に装飾品の素材、実験の素体、人間種ってのは色々できるからよぉ』
頭の中に直接響くおぞましい発言。
「食材? 素材? それは本気で言っているのか?」
『もちろーん、特に強い魂魄を持つ人間の皮でできた鞄や服は素晴らしい質感なーの。メスや人の子の肉なんてシチューにすると美味なのよぉ』
赤髪の男の顔は恍惚に歪み、その身体を不自然にくねらせ悶える。
「クサレ外道めぇ!!」
アルノルト騎士長はそう激高すると、大剣を肩に担ぎ、赤髪の大男に向けて地面を高速疾駆する。
しかし、青と白を基調する衣服にやはり丸い帽子を被った灰色の毛並みの狼の頭部を持つ怪物に背後から押さえつけられてしまう。
赤髪の男の傍には、やはり青と白の衣服を着た虎顏と鷲顔の怪物が佇んでいた。
『無駄だぁ。雑魚ぉ、貴様ごとき弱者では、パズズ様どころか我らにすらも傷一つつけられん』
喜々として狼顏の怪物はアルノルト騎士長の後頭部を掴むと顔面を地面に叩きつけた。爆風が巻き起こり、陥没する大地。
虎顏の怪物がアルノルト騎士長の傍へと行くとしゃがみ込み、
『あーあ、ポチって乱暴さんだねぇ。人間って痛みや恐怖を与えすぎると肉が固くてマズくなるんだよぉ。ラリッた状態で首を刎ねるのが一番美味いのさぁ。ねぇ、君も足掻いても辛くなるだけださぁ。僕らに従いなよぉ。そうすれば、すぱっと楽に――』
諭すように語り掛けるが、
「下種がっ!!」
アルノルト騎士長は、その虎の顔に唾を飛ばし、罵倒する。
忽ち虎の顔に無数の血管が浮き出り、悪鬼の形相を形作る。
『ねぇ、ポチ、気が変わったよ。こいつ、僕に頂戴?』
『あーあ、またミケの悪い癖がでた。いやだ。いやだ。これだから猫科は』
鷲顔の怪物が肩を竦めると、呆れたように首を左右に振る。
「ピーコ! お前――」
『くっちゃべってないで直ぐに捕獲しなさーい。特に若い雄と雌は牧場の繁殖に使うから傷はつけないよーに。他は好きにしていいわぁ。思う存分、食い散らかしなさーい』
狼顔の怪物――ポチはアルノルト騎士長の鳩尾に右拳を叩き込み一撃で意識を刈り取ると立ち上がり、右手を胸に当てる。虎顏の怪物――ミケと鷲顔の怪物ピーコもそれに倣い、
『『『は! パズズ様のお望みのままに!!』』』
そう叫ぶ。
『晩餐会だぁ! 喰いまくれぇ!』
ポチの咆哮にハンターたちに向けて一斉に走り出す頭部が獣の怪物ども。
妙にゆっくり迫る怪物ども。それをイルザはボンヤリと眺めていた。
女のイルザはただ喰われやしまい。だが、それは救いを意味しない。あいつらに捕まれば、待つのは人としての尊厳を踏みにじられる最低最悪の未来のみ。喰われる方がよほど楽かもしれない。
こいつらは四大魔王配下の魔族だろうか? いや、奴らは人を喰わないし、人間牧場などというおぞましい発想もしない。ただ、人を殺し支配する欲求を持っているだけ。
きっと、こいつらはもっと邪悪でおぞましい何か。あの魔族どもが崇める異界の怪物のような救いのないもの。
羊の頭部を持つ怪物が眼前まで迫り、イルザに右手を伸ばす。その時――。
『ガヒッ!?』
頭上から黒色の塊が降ってくると羊の頭部を有する怪物を押しつぶす。羊の頭部を有する怪物は粉々の肉片となって飛び散ってしまった。
その黒色の人型の塊はイルザを振り返る。それはイルザ達がこの戦いを終わらせるべく待っていたあの不思議な少年、カイ・ハイネマンだったのだ。
次回が二章の無双の回です。スカッとするようないようになっていると思いますので、どうぞお楽しみに!
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