俺は俺の居る世界を知らない
一日の作業を終えた後、ラフィーアや里の人達に押し切られる形で、里の中で暮すことになった。
アン達も一緒なので、里の外に家を作ろうかと思っていたのだが、それでは里が拒絶し、里を拒絶しているようだと言われてしまっては、断わる訳にはいかないだろう。
とりあえず、里長の館の裏手、訓練場の一角を借りて家を建てることにした。
ラフィーアは館の部屋を使えと言ってきたが、俺としてはアン達とゆっくり眠りたいのだ。
「まったくヒョウマは強情だな」
「いやいや、ラフィーアには言われたくないぞ」
「まぁ良い、ただし、夕餉は一緒に食べてもらうからな」
「分かった、分かった、アン達の世話を終えたら邪魔するよ」
借りた土地に土属性魔法を使って塀を巡らせ、ゴーレムを変形させて小屋を作る。
服を脱いで人化のスキルを解除して、竜人の姿でアン達の夕食を済ませた。
まだミノタウロスは残っているし、ワイバーンの肉もあるが、アイテムボックスには空きがあるので、その内に食料の補充をしておいた方が良いのかもしれない。
食事が終われば、次は風呂だ。
再び土属性魔法を使って広い湯船を作り、水属性魔法と火属性魔法を使って湯を張る。
風呂に浸かる時は、人化のスキルを使って人間の姿に戻る。
「あぁぁ……やっぱり風呂は良いねぇ……」
アン達が飛び込んで来て、また湯が泥だらけになってしまうが大丈夫、水属性魔法と土属性魔法を合わせて、汚れを抽出して外に放り出す。
魔法を使った浄化手順を構築したので、いつでもお湯は綺麗なままだ。
「あぁ……殆ど魔法を使った作業だったけど、やっぱり疲れるもんなんだな」
水晶を採掘する谷へ向かう道の整備は、風属性魔法や土属性魔法を使った作業で、肉体的な労働は殆ど無い。
それでも疲れているように感じるのは、精神的な疲れが肉体にも影響を及ぼしているのだろう。
「はぁぁ……ん?」
湯船の縁に頭を預けてダラーンと身体を弛緩させていたのだが、気付くとアン達が俺の背後に視線を向けている。
振り返ってみると、服を脱ぎ捨てているラフィーアの姿があった。
「ちょっ、何してんの!」
「何って、風呂に入る支度をしてるだけだぞ。こんなに広いのだからケチケチするな」
「いや、待って、そういう事じゃ……ラフィーア?」
止める間も無くラフィーアは下着まで脱ぎ捨て、前を隠すこともなく湯船に足を踏み入れてきた。
獅子獣人のラフィーアの身体は、アン達と同様に毛で覆われている。
覆われているのだが身体つきは人間の女性と同様で、出る所は出ているし、くびれもある。
ぶっちゃけ、どう反応して良いものなのか、対応に困ってしまった。
「ふぅ、良い湯加減だな。それに、このように屋根の無い場所で風呂に入るのは良いものだな」
「こっちの世界では、温泉とか露天風呂はないのか?」
「温泉というのは何だ? 露天風呂とは、このようなものの事か?」
日本のように、遠方にまで旅行に行く習慣の無いダンムールには、温泉と言う知識は無いようだ。
それに、風呂に入る時には無防備な状態になるので、壁も屋根も無い状態というのは考えられないそうだ。
「そうか、ワイバーンとか飛んで来る場所だものな。こんな無防備な状態では食ってくれと言ってるようなものだな」
「そうだ、風呂では武器も持てぬ、防具も付けられぬ無防備な姿を晒すことになる。だから、ヒョウマの好きにして良いのだぞ……」
ラフィーアは、俺の右腕を抱き抱えて、肩に頭を預けてきた。
組み打ちの時には意識しなかったが、思った以上にボリュームのある膨らみが存在を猛烈にアピールしてくる。
「私としては竜人の姿の方が良いのだが、ヒョウマであれば人の姿のままでも……」
「いやいや、待て待て、何を言ってるんだ?」
「ヒョウマこそ、何を言っておる。このような状況は、私とて勇気が必要だったのだぞ」
制止の言葉を口にしようとする俺に、ラフィーアが唇を重ねてくる。
情熱的なアピールなのだが、正直ガブっと食われるのかと一瞬思ってしまった。
「んあっ……待って、待ってくれラフィーア。気持ちはありがたいけど、まだ俺の気持ちの整理が付かない」
「やはり、人の女が良いのか? 私のような毛むくじゃらの女では嫌なのか?」
「そうじゃない。いや、正直に言えば、俺の居た世界には獣人そのものが存在していなかったから戸惑いはある。でも、そういう話じゃなくて……何ていうか、展開が早すぎるんだよ」
「展開が早い?」
「俺の居た世界では、男女の関係になるのは、もっと手順や時間を使ってからだから、会って数日というのはちょっと……」
俺達の暮していた世界は魔物に襲われる心配が無く安全だが、多額の費用が掛かるので簡単に子供を作れない世界だとしどろもどろに説明した。
「そうか……やはりヒョウマの暮していた世界とダンムールは、かなり違いがあるのだな」
「俺の国には、郷に入っては郷に従えなんて言葉があるけど、その……こういう事は、もう少し里の暮らしに慣れてからにしてくれ」
「そうか……分かった」
ラフィーアは悄然とした表情で湯船から出ると、ブルブルっと身体を震わせて水気を飛ばすと、そのまま濡れた身体で服を着た。
「じきに夕餉の時間だ。館に来てくれ」
「分かった」
ラフィーアを見送った後で、俺も風呂から上がり、アン達を順番に乾かしていく。
抱き合っている時、俺の身体が反応していた事にラフィーアは気付いていただろうか。
気まずい思いを抱えて館を訪れると、里長一家が顔を揃えていた。
夫人が二人、息子が二人、娘が三人で、ラフィーアは末っ子だそうだ。
獅子獣人らしく食事は肉が中心だが、ナンのようなパンもあるし、野菜の炒め物もある。
オカズの品数や味付けのバラエティも豊富で、食文化はかなり豊かだ。
「ダンムールの里では、みんなこれと同じレベルの食事をしているのか?」
「ここまでの品数は無いだろうが、困窮している者でもなければ、食うに困る者は居ないぞ」
俺の質問に答えるハシームは、少し自慢げに見える。
「他の里も同じような感じなのか?」
「いや……ダンムールには水晶という産物があるが、特別な産物の無い里の暮らしは楽ではない」
森を切り開いて畑を作り、家畜を飼育しても、一度強力な魔物に襲われれば全てを失う事もある。
魔物の数が減る森の浅い地域では、王国による侵略を受ける可能性がある。
いずれにしても、産物は魔物から取れる素材に限られるので、交易相手から足下を見られてしまうようだ。
ダンムールは、周辺の里への支援も行っているそうだが、それとても十分ではないらしい。
森の中で南方に位置する里からは、隣接する民国オミネスに出稼ぎに出る者も少なくないらしい。
そうした里では、若い働き手が不足する問題が起こっているそうだ。
「話を聞いた限りでは、サンカラーン全体で、儲かる特産品や産業を立ち上げないと、ダンムール以外は王国や民国の食い物にされるだけじゃないのか?」
「ヒョウマの言う通りなのだが、どうにも頭の固い連中が多くてな。古来より続く森での生活に固執する者が多いのだよ」
水晶で交易をしているダンムールは、サンカラーンの中でも例外のようで、多くの里では昔ながらの生活への拘りが強いそうだ。
その要因の一つは、日本のように情報が伝わらない事が原因のようだ。
ダンムールには、水晶を求める商人が頻繁に訪れ、民国や王国の話が伝わってくるが、他の里に商人が訪れるのは、二十日に一度あれば良い方らしい。
商人と取り引きを行う者も限られているらしく、里の者へもたらされる情報は限られてしまうそうだ。
「そう言えば、こちらの世界には、弓矢というものは存在しないのか?」
「ユミヤ……とは何だ?」
弓矢の形や仕組み、弓を引くジェスチャーなどもしてみたが、ハシームは首を捻るばかりだ。
弓矢なんて原始的な武器だし、俺からすれば有って当然だと思うのだが、この反応を見る限りでは本当に存在しないようだ。
「ヒョウマよ、そのユミヤとか言う代物は武器なのか?」
「そうだな、元々は狩猟の道具として作られて武器として使われるようになったものだな」
「だとすれば、我々獣人は使わないものだな。獲物を狩るのは己の脚と爪と牙、それに槍があれば事足りる」
「だが、人間ならば狩猟の道具は必要だし、俺の前にも別の世界から来た者がいるのだろう? そうした奴らが伝えていたっておかしくないよな」
「ヒョウマよ。儂らよりも、むしろ人間の方が必要とせぬぞ。魔法が使える者が、そんな道具を必要とするのか?」
「あっ……そうか、魔法が使えるなら、わざわざ弓とか作る必要は無いのか」
魔法のレベルが上がれば、弓矢どころかピストルやライフル、バズーカー並の攻撃が生身で出来る。
弓とか矢とか、精度を必要とする道具を整えなくても狩りは出来るのだ。
「なるほど……魔法があるから飛び道具は発展していないのか」
「いいや、我々とて王国の連中に対抗して、投槍の工夫はしておるぞ。長さや重さ、形、重心の位置などを変え、より遠くまで投げやすい形を作っておる」
「でも、王国連中の攻撃魔法には後れを取っているんだよな?」
「そうだな、投槍スキルの高い者でも、距離が離れると狙いのブレが大きくなり、命中精度が落ちてしまうからな」
獣人の兵士達は、日本のプロレスラーがごめんなさいしそうな体格の者達ばかりだ。
この体格に強力な弓を与えれば、相当離れた場所まで攻撃が可能になるだろう。
数を揃え、練習も必要となるだろうが、弓矢が普及すれば力関係が一変しそうな気がする。
問題は、その強力な弓を俺が作り上げられるか、作れたとして、どのタイミングで普及させるかだ。
救出する以前に、強力な弓が普及してしまったら、戦闘奴隷にされているクラスメイト達が犠牲になる心配がある。
それを考えると救出が先で、弓矢の普及は後回しにすべきだろう。
いずれにしても、情報が足りない。
アルマルディーヌ王国のことは勿論、サンカラーンの事も、オミネスの事も、もっと知る必要がありそうだ。