平兵士のひとりごと
「整列! 本日の訓練はここまで!」
「ありがとうございました!」
「よし、すみやかに宿舎に戻れ!」
「はい!」
兵士の服に身を包んだ十人ほどの少年少女は、二列に並んで足並みを揃えて小走りで進んで行く。
それを見送る隊長の顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「見てみろ、アーサー。下手な新兵よりも遥かに優秀だぞ」
「ええ、正直これほどとは思っていませんでした」
アルマルディーヌ王国第二王子ベルトナール様が、境界渡りの召喚を行うと仰った時、多くの者が反対し、お諫めしたと聞いている。
この世界とは異なる世界からの召喚では、強い能力や高いレベルのスキルを有する者を招く場合がある一方で、未知なる魔物を呼び出して大きな被害を招く危険性を孕んでいる。
召喚は王家が所蔵する先史文明の遺物とされる魔道具によって行われるが、召喚を行える時期には法則があるらしく、限られた期間にしか行えないらしい。
ベルトナール様は、召喚時期の法則を独自に研究し、最適な期間を割り出されたそうで、今回の召喚には絶対の自信を持っていらしたそうだ。
更に、ベルトナール様は御自身の得意とする空間転移と千里眼の魔法を使い、王国に危険の及ばぬ召喚方法を考え出された。
そこまでなさる理由が、騎兵隊の損耗を少しでも減らすためと聞かされれば、もはや反対する者など居なかった。
召喚に反対する者は居なくなったが、召喚によって得られる結果についての期待値は人によって異なっていた。
若手兵士の多くは、ベルトナール様が行われるのだから、異世界の強者が招かれると信じていたが、一部の捻くれ者は、強者は来ても僅かな数だろうと予測していた。
そして、実際に召喚が行われてみると、現れたのは揃いの服に身を包んだ少年少女だった。
服の仕立ての良さからして、裕福な環境で育った者であるのは間違いないが、年齢も若く身体付きも華奢に見えた。
この時点で、召喚の失敗を予測していた一部の捻くれ者は得意気な表情を浮かべていたが、鑑定が行われていくと表情を強張らせていった。
召喚された少年少女の能力値、スキルのレベルは、こちらの世界の同年代の者を大きく上回っていた。
間違いなく良い素質に恵まれた者達だが、問題は我々の言いなりに出来るかどうかだ。
召喚した者達への教育は、当初の予定通りに奴隷の身分に突き落とすことから始められた。
「貴様らを元の世界に戻す方法は無い! こちらの世界で、まともな生活を送りたいと思うならば、我々に従え! 能力やスキルを高め、戦果を上げた者には生活の改善をしてやる。ただし、歯向かう奴には相応の罰が下されることを忘れるな!」
奴隷の首輪を嵌め、着ていた上等な衣服や持ち物は全て奪い、粗末な貫頭衣を与えて劣悪な環境へと突き落とす。
当然、不平不満が噴出し、我々には敵意の籠もった視線が向けられたが、首輪を嵌めている限り逆らう術は無い。
逆らう術は無いが、だからと言って完全に我々の思うがままに行動させられるという訳ではない。
確かに良い素質を持った者達だが、自主的に訓練に取り組むのと、強制的にやらされるのとでは、能力やスキルレベルの向上に大きな差が生じる。
奴隷待遇に突き落とし、絶望を味わわせた者達に、いかにして自主性を発揮させるかが我々に課せられた使命だったのだが、それを手助けする者が現れた。
イッテツという名の見た目は貧弱で、とても戦闘には向かないと思われた少年だ。
イッテツは、他の者達が不平不満を口にする中にあっても、一人黙々と訓練メニューをこなし、更には追加の訓練まで要望してきた。
隊長や同僚達は、イッテツの振る舞いに目を細め、他の者達の前で褒め称えてみせたが、私の目には異質な怪物に見えた。
普通に考えれば、ある日突然それまでの日常を奪われ、劣悪な環境に押し込められ、厳しい訓練を強制されれば不平や不満を抱え込むのが当然だ。
我々の指示に率先して従い、あまつさえ協力を申し出るなど仲間に対する裏切り行為ととられてもおかしくない。
実際、訓練を始めた当初のイッテツに対する周囲の反応は、裏切り者に対するものに他ならなかった。
そんな状況が一変したのは、召喚した者同士に立ち合いを行わせてからだ。
イッテツの相手に選ばれたのは、ツヨシという名の大柄な少年だった。
体格差を見ただけでも、多くの者はツヨシの勝利を確信していたようだが、結果は予想に反してイッテツの圧勝で終った。
同僚が聞き出したところによれば、元の世界にいた頃には、ツヨシが体格と腕っ節の強さで仲間を牛耳っていたようで、イッテツは抗議することすら出来なかったらしい。
それが、ほんの数日の訓練で力関係がガラリと一変すれば、周囲の者達の視線も当然変わってくる。
その変化を後押ししたのが、立ち合いが終わった後のイッテツの一言だった。
「僕は、日本に帰ることを諦めた訳じゃない。でも、それを実現するには生きていることが大前提だ。僕は生きる、何としても生き残る」
一緒に聞いていた隊長などは、酒の席で何度も口にするほど絶賛しているが、私は聞いた時に鳥肌が立つほどの恐怖を感じた。
あんな目は、あの年頃の子供がして良い目ではない。
なんとしても生き残るという言葉の裏には、他者を蹴落としても省みない狂気が潜んでいるようにしか思えなかった。
実際、ツヨシとの立ち合いも、隊長が止めなければ止めを刺すまで続けていたような気がする。
今は召喚した者達を我々の思惑通りに行動させる道標を務めているが、これから更に力を付けて過酷な戦場を生き抜き、もし奴隷の首輪が外れたとしたら、イッテツの牙はどこへ向けられるのだろうか。
訓練を重ねる毎に、顔つきも身体つきも変化していくイッテツは、あと何年か経った時、どんな男になっているのだろうか。
一度、酒の席で私の懸念を隊長にぶつけてみたが、一笑に付されて終わりだった。
「アーサー、お前は馬鹿なのか? 理論上、奴隷の首輪は竜さえも縛るものだぞ。首輪を嵌めることが出来ないから竜を飼い馴らせないだけで、一度嵌めてしまえば鍵の持ち主の許可なく外すことなど出来ない。無理に引き千切ろうとすれば、魔法の刃が奴隷の命を奪う。どんなに強くなろうと、どんなに手柄を立てようと、首輪を外せない限り奴らは奴隷であり続ける、それだけのことだ……」
確かに隊長の言う通り、奴隷の首輪を奴隷自身が外す方法は無い。
だが、イッテツならば、あの瞳に狂気を宿した怪物ならば、決して諦めることなく、なにかの拍子に首輪を外してしまいそうな気がしてならないのだ。
イッテツが賞賛される一方で、立ち合いで手酷くやられたツヨシは薄気味悪がられている。
他の者達が、訓練に身を入れて取り組むようになったのに、ツヨシだけは反抗的な態度を続けている。
所持しているスキルは、風属性魔法レベル1と馬術レベル2。
奴隷に馬が与えられることは無いので、ツヨシが生き残るには風属性魔法に磨きを掛けるしかないのに、まともに訓練に取り組もうとしない。
訓練場に連れて来られても、攻撃魔法を撃つどころか、魔法の風で一緒に訓練している少女の貫頭衣を捲くり上げ、下半身を露出させては下品な笑い声を立てていた。
とうぜん隊長や監督する兵士達の怒りを買い、ムチで滅多打ちにされたりしている。
ツヨシは、どんなに痛めつけられても決して謝罪を口にしない。
顔の形が変わるほど殴られても、まだ薄ら笑いを浮かべていたぐらいだ。
同僚達からは、さっさと殺してしまえという意見が聞かれるようになったが、第二王子ベルトナール様からの通達によって待ったが掛けられている。
理由は、召喚した者の敵意を、これ以上我々に向けさせないためらしい。
例えどんな理由があろうとも、仲間を殺した相手には怒りの矛先が向けられる。
召喚した者達が、街に来た当初に反抗的だったのは、一人の少年を置き去りにしたからだと思われている。
その一件には私も少なからぬ関与をしており、召喚された者達が私に向ける視線は刺々しかった。
ここでツヨシの命を奪ってしまえば、また敵意が我々に向けられるようになる。
それならば、戦場に放り込んで獣人どもに殺させた方が、戦場での仲間の士気を上げる事に繋がるというのがベルトナール様のお考えだ。
通達以後、同僚達はツヨシの態度に舌打ちしつつも、それまでのような酷い暴力は振るわなくなった。
召喚された者達の中には、訓練を経て能力値だけでなくレベルを上げる者も出て来ているが、ツヨシは頑なに訓練を拒み続けている。
このままで行けば、ツヨシは最初の戦闘で命を落とすことになるだろうし、本人も薄々そのことに気付いているように感じる。
それでも我々の指示に従わないのは、自分に理不尽な待遇を与えた者への精一杯の抗議なのではなかろうか。
隊長や同僚達とは違い、私はむしろツヨシに親近感のようなものを覚えている。
召喚の地で、何の罪もない少年を死地へと追いやってしまった私としては、なんとかツヨシが命を落とすような事態は防ぎたいと思いたった。
馬術のスキルが活かせるかもしれないと思い、馬の世話をさせる事を隊長に提案した。
「馬の世話か……馬は我々にとって大切な戦力だ、体調を崩して走れなくなったりしたらどうする」
「そこは、私がキチンと監視、点検を行います。このまま役立たずのまま戦死させるよりも、使えるだけ使った方が良いと思います」
「ふむ、確かに今のままでは、ただの無駄飯食らいだからな。よし、良いだろう、やらせてみろ」
隊長に許可をもらい、馬の世話を任せた当初は訓練と同様に、ツヨシは嫌々作業していたが、今では自主的に取り組んでいるようだ。
このままツヨシが有用な人材だと思われれば、戦死させられずに済むかもしれないが、そのために残されている時間は多くはないはずだ。
通常、新兵を戦場に送り込むのは三年は訓練を積み重ねてからだが、召喚された少年少女の場合、その時期はもっと前倒しされるはずだ。
そこに一緒に放り込まれれば、ツヨシが生き残る可能性は殆ど無いだろう。
こんなことを人前で言えば、不敬だと非難されるだろうが、私には王国のやり方が間違っているように感じてならないが、今の私にはこの程度の事しか出来ない。
あぁ、あの少年はどうなったのだろう……せめて苦しまずに逝ってくれと願うしかなかった私は、何と無力なのだろうか。