捨てられ兵馬のその日ぐらし
異世界の朝は早い。
アン達フォレストウルフに囲まれて、もふもふ天国でグッスリと眠ったものの、夜が明ける頃になるとピチャピチャと顔を舐められ、頬をフミフミされて起こされる。
「はいはい、おはようサンク、おぉ、シスもだな」
「キャウ、キャウ、キャウ!」
まったく、どうして子供というやつは、朝からこんなに元気なんだ。
サンクとシスに起こされてしまったので、人化スキルを解いて、朝の体操代わりに二頭と一緒に遊んでやる。
アイテムボックスに放り込んでおいたミノタウロスで朝食を済ませたら、アン達はここに残してダンムールの里に向かうことにした。
辺りに危険な魔物は居ないようだし、警備用のゴーレムも問題なく作動している。
里の近くでジッと待っているよりも、走り回れるスペースがある方が良いだろう。
空間移動スキルもあるから、何かあれば瞬間移動で戻って来られる。
人化のスキルを使い、制服に着替えて、出掛ける準備を整えた。
「じゃあ、ちょっとダンムールまで行ってくるから、この辺で待ってるんだよ」
「ワフッ!」
「キューン、キューン、キャン、キャン、キャン!」
アン達成体のフォレストウルフは聞き分けてくれたけど、サンクとシスは行くなと必死にアピールしてくる。
「あぁ、ごめんよ。お父ちゃん、なるべく早く戻って来るからね」
サンクとシスを抱きしめて、撫でまくった後で、後ろ髪を引かれる思いをレベル9の攻撃魔法でぶった切ってダンムールへ向かった。
空間移動と千里眼のスキルを併用して、里の近くまでは一瞬で移動する。
「おはようっす!」
「おぅ、ヒョウマ。昨日はゴチになったな」
「いえいえ、こちらも穀物とか調味料とかいだだいたんで、チャラっすよ」
里の門を守る兵士達も、グリーンサーペントの肉の効果で親しげに声を掛けてくれる。
「ヒョウマ、今日はフォレストウルフは連れていないのか?」
「えぇ、森の中で留守番させてます。その方が皆さんも安心でしょ?」
「あぁ、確かに……いくら安全と聞かされていても、強力な魔物が四頭もいると緊張するからな」
そう話している兵士も、熊獣人で身長は190センチぐらいあるマッチョ体型だから、俺から見れば猛獣にしか見えないんだが……。
いずれはアン達の存在も認めてもらいたい気持ちもあるが、まだこの里に定住すると決めた訳でも無いので、暫くはこの形の方が良さそうだ。
「そうだ、俺、こっちの世界に急に連れてこられちゃって、着替えとかが全く無いんですよ。服を手に入れたいんですけど、どうすれば良いっすかね?」
「そうだな、何か交換する物があれば、そいつと交換するように交渉すれば良いし、無いなら金を稼ぐしかないな」
ダンムールの属しているサンカラーンの通貨は、小水晶貨、大水晶貨、小銀貨、大銀貨、小金貨、大金貨の順になっているそうで、十倍で上の通貨になる。
小水晶貨一枚が一サン、大水晶貨一枚で十サンという感じだ。
通貨の仕組みは複雑ではないが、一サンが何円程度なのかが分からない。
とにかく街をブラブラしながら、物価を探るしか無さそうだ。
里の中は、綺麗に区画が区切られておらず、大きさも高さも雑多な建物がゴチャっと建てられていた。
日本のように建築基準法とかは無いのだろう、増築に増築を重ねて複雑怪奇な形になっている建物もある。
家具屋、鍛冶屋、食器屋、反物屋、籠屋、桶屋……物作りは当然手作業で、日本で言うと明治よりも前、江戸時代ぐらいの感じに見えた。
里の中を歩いていると、やはり高校の制服姿は目立つようで、俺に視線が集まって来る。
昨日里に着いた直後の刺々しい視線ではなく、親しみのこもった視線で、ヒョウマ、ヒョウマと気さくに声を掛けられた。
声を掛けてくれた店の人とは、こちらの世界に来たばかりで物価が分からない事を話し、扱っている物の値段を教えてもらった。
物価が分かれば金銭感覚が掴めるかと思ったが、殆どの品物が大量生産品の日本と、殆どが手仕事で作られているダンムールでは違いが大き過ぎる。
結局面倒になって、一サンは一円だと思い込んで、対応することに決めた。
里には数軒の服の仕立て屋があるそうで、中でも作業用の服を中心に扱っている店を教えてもらった。
店の主は、ウルマという立派な角を持つ山羊獣人の中年男性だった。
「なるほど、着替えが無いのではお困りでしょう」
「はい、今は魔法を使って洗って乾かしてますが、元々、作業をしたり、戦ったりするための服ではないので、少々動きづらいというのもありまして……」
「そうですか、その上着を拝見させてもらってもよろしいですかな?」
「えぇ、どうぞ。一応、僕らの年代の正装とも言える服です」
「ほほう、これはこれは、うーん……確かに非常に手の込んだ作りですねぇ」
ウルマさんは、制服のブレザーを表側から眺めた後、裏側から作りを確かめるようにジックリと眺めているが、目付きが真剣そのものだ。
十分以上は眺めていただろうか、ウルマさんは大きく溜め息を漏らした後で、少し目を閉じて思いを巡らせた後、おもむろに語り掛けてきた。
「どうでしょう、ヒョウマさん、この上着一着と里の標準的な衣装を肌着から一式揃えたものを十着とで交換していただけませんか?」
「一着と十着ですか? それじゃあウルマさんの儲けが無くなってしまうのでは?」
「いえいえ、この上着を解いて、仕立てる方法、手順などを推察できたなら、仕立て屋として一段も二段も上にいけると思っています」
確かに制服のブレザーは、手の込んだ作りだけど、それが十着分の価値があるのか分からないし、日本に戻れるとなったら必要になるかもしれない。
少し迷ったが、ウルマさんの真剣な表情を見て、交換を受け入れることにした。
「分かりました。交換しましょう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「ですが、着替えがないので、お渡しするのは代わりの服を用意していただいてからでも構いませんか」
「ええ、勿論です。とりあえず、肌着と仕立ててある物で寸法の合うものをご用意いたしましょう」
ウルマさんとしては、一刻でも早くブレザーを解いて作りを確かめたいのだろう、大急ぎで着替えを準備し始めた。
ダンムールの男性用の肌着は、肌襦袢と紐のトランクスなのだが、トランクスには尻尾を通す穴が空いていた。
「あぁ、しまった。ヒョウマさんは尻尾が無いのですね」
「ウルマさん、ダンムールの標準的な服装と、王国の市民の服装は、やっぱり違うものなんですか?」
「はい、一目見れば分かるぐらいの違いがありますよ」
ダンムールの衣装が、日本の着物に似た合わせで、袖も余裕がある筒袖なのは、みんな自前の毛皮を持つ獣人なので、通気性を重視していそうだ。
一方の王国の服装は、洋服に近い形をしているらしい。
「ウルマさん、王国風の衣装を作ってもらうことは可能ですか?」
「王国風ですか……」
いずれ、王国の街にも潜入して、クラスメイトの状況も確かめたいと思っているが、その時のために衣装も準備しておこうと考えたのだ。
ただ、ウルマさんは長年の敵である、王国の服装を真似た服を仕立てることには抵抗感があるようだ。
「では、サンカラーン風でも、王国風でもない衣装ならどうでしょう?」
「サンカラーンでも、王国でもない服ですか?」
「はい、旅の行商人でも装って街に潜入してやろうかと思っているので……」
「なるほど、でしたら南方の民国の衣装にいたしましょう」
ダンムールを含むサンカラーンは西側が王国、北は高い山脈、東が赤竜の縄張りに接し、南側はオミネスという民政の国と接しているそうだ。
オミネスは人間も獣人も共に暮す国で、サンカラーンとの往来もあるが、足を運んでくるのは獣人だけで、オミネスに暮す人間はサンカラーンには足を踏み入れないそうだ。
オミネスは王国とも往来があるが、足を運ぶのは人間だけで、オミネスに暮す獣人は王国には近付かないらしい。
つまり、人間の国、獣人の国、共存の国という図式のようだ。
結局ウルマさんからは、ダンムールの衣装五着とオミネス風の衣装三着を受け取ることになった。
とりあえず、ズボンは一本だけ尻尾用の穴を塞いでもらい、ダンムールの衣装に着替えた。
制服姿からダンムールの衣装に着替えれば目立たなくなると思ったのだが、里の中を歩くと相変わらず視線が集まり声を掛けられる。
なぜかと思って聞いてみると、理由の一つは人間としての顔付き、もう一つの理由はやたらと目立つ赤い髪だった。
人化のスキルを使った後、出来栄えを確かめるために鏡を見る時には自分でも驚くが、鏡が無ければ自分では見えないので黒髪のままのような気分でいた。
里の住人の中にも、赤みの強い毛色の者はいるが、俺のような真っ赤な毛並みを持つ者はいない。
まぁ、敵意を向けられなくなったから、目立つぐらいは諦めるとしよう。
ウルマさんの店で長い時間を過ごしていたので、里の散策に戻ると腹の虫が鳴いた。
どこからか漂って来る良い匂いに誘われて行くと、広場に面した店や屋台から美味そうな香りが立ち上っていた。
タコスっぽいものがメチャメチャ美味そうに見えるのだが、生憎と金を持っていない。
ふと思いついて、駄目元でアイテムボックスに入れてあった魚と交換を要求したら、一匹で五個も作ってくれた。
湖で獲ってきたニジマスに似た魚は、40センチ近い大物ではあるが、タコスも一個で満腹になりそうなボリュームがある。
新参者の俺だからサービスしてくれているのかと思いきや、ダンムールの里の近くでは魚は獲れないらしい。
「ここじゃ、魚と言えば塩漬けになったものばかりなのに、こんな新鮮なものが手に入るなら、五個じゃ申し訳ないぐらいだ」
「ヒョウマ、うちの野菜とも交換してくれよ。好きなだけ持って行っていいぜ」
「モリイチゴのジャムはいらないかい? これ全部とでもいいよ」
「待って、待って、魚はまだあるから、そんなに沢山と交換じゃなくて良いから、順番に交換しますよ」
時間停止の能力が付いたアイテムボックスなので、魚はさっき獲ったばかりのように新鮮だ。
我先にと交換を望む里の人達をなだめながら、持っていた魚を全部放出し、代わりに大量の交換品を手に入れた。
暫くの間は、食材を買う必要も、調理する必要も無さそうだ……てか、タコスっぽいの美味っ!
里の味に舌鼓を打っていると、後ろから刺々しい言葉が投げ掛けられた。
「ふん、食い物で里の者を懐柔するつもりか」
「んだよ……せっかく美味いものを食べて、いい気分になってるのに水差すんじゃねぇよ」
振り向くまでもなく声の主はラフィーアだと分かっていたし、里長の娘だけど敬うつもりはない。
「うるさい、里長がお呼びだ、一緒に来い」
「へぇへぇ、分かりましたよ。お嬢様」
「こいつ……」
相変わらず敵意に満ちた視線を向けて来るラフィーアに連れられて、里長の館へと向かった。