笑う者 笑われる者
文部科学省のキャリア官僚の次男として生まれ、子供の頃から何不自由の無い生活を送ってきた。
三歳年上の兄はのんびりとした性格をしているが、豪は物心ついた頃から兄が怒られる姿を見て、自分は怒られないように上手く立ち回って来た。
体格や運動神経にも恵まれ、幼稚園児の頃からボス的なポジションに居座り続けてきた。
中学に上がった頃から素行不良が目立ち始めたが、学業成績は常に学年トップクラスということや父親の職業の関係上、教師たちも強い態度には出られなかった。
都内でも有名な進学校へ入学した後も、豪を取り巻く環境には大きな変化は無かった。
授業態度が悪くとも、家に帰れば東大に現役合格した兄が、懇切丁寧に勉強を教えてくれる。
豪自身の呑み込みの良さも手伝って、大した努力をしなくても優秀な成績を修められていた。
家は裕福、学業優秀、豪にとっての不満は太りやすい体質だけだった。
家族全員が太っているので、単に体質だけでなく、食生活にも問題があるのだろうが、改めるつもりは無かった。
高校に入学した当時、まだ豪がどんな人間か知らなかったクラスメイトが、名前にひっかけて『益子デラックス』などと陰口を叩いた事があったが、トイレに連れ込んで腹パンを食らわせて土下座させ、二度と言わないと誓わせた。
その噂を意図的に広めたこともあり、豪に舐めた口を利く者は居なくなった。
そんな豪にとって、入学当時から目障りに感じているクラスメイトがいた。
豪も兵馬の可哀想な身の上には同情したが、それを差し引いても目障りに感じていた。
授業で当てられる度に頓珍漢な回答をしたり、黒板の前で長々と考え込んだり、とにかく兵馬が絡むと途端に物事がスムーズに運ばなくなる。
兄に教わりながら二年生の勉強まで始めている豪にとっては、学校の授業など暇つぶしでしかないのだが、その流れが阻害されるのが気に障るのだ。
「こんな簡単な問題も分からないのかよ、ヘマ!」
「ヘマ! いつまでも考えてると日が暮れるぞ」
「またヘマか! またヘマがやらかしてんのか!」
豪は自分の名前をもじったあだ名で呼ぶことを許さないのに、兵馬の名前をもじって、ヘマとか、またヘマなどと呼んで馬鹿にした。
クラスのボスである豪が声高に馬鹿にするようになると、クラスメイト達もそれに追従するようになり、兵馬はスクールカーストの最下層へと転落した。
奨学金生活ゆえに問題を起こして退学する余裕など無い兵馬が、ヘラヘラと笑みを浮かべる陰で歯を食いしばっていた事など、何不自由ない生活しか知らない豪には想像も出来なかった。
豪は、兵馬は常に笑われる側であり、自分は笑う側であり続けると微塵も疑わなかった。
そんな状況が一変したのは、ある日の放課後からだった。
帰りのショートホームルームを待っていた豪は、クラスメイト達と一緒に床下へと飲み込まれる。
気付けば何も無い草地の真ん中で、鎧を身に着けた兵士達に取り囲まれていた。
クラスメイトの誰かが『異世界召喚だ!』と叫んでいるのが、妙にハッキリと聞こえたような気がした。
豪も異世界召喚と言う言葉を耳にした事はあるが、漫画やアニメにはあまり興味が無かったので、そんな事が実際に起こるなどと考えたことも無かった。
クラスメイト以上に混乱していたが、普段威張り散らしているだけに、動揺を見せる訳にもいかなかった。
「て、手前ら、これはどういう……うっ、痛ぇ!」
豪は一番近くにいた兵士に詰め寄ろうとしたが、槍を突き付けられた。
槍は本物で、肩に浅く刺さって血が滲んでいる。
「小僧、面倒を掛けさせるな……」
兵士は、身長176センチの豪が見上げるほどの体格で、目の色がまともではなかった。
教師ならば父親の名前で黙らせられるだろうが、目の前にいる兵士の危険性を認識して、豪は大人しく引き下がるしかなかった。
豪達は、ロクな説明もされないまま、見慣れない道具で能力鑑定を受けさせられた。
腰巾着の一人、田村祐二が異世界召喚についてアニメやラノベの知識を使ってレクチャーしてきたが、これはフィクションではなく現実だし、チートだレアだと興奮気味にまくし立てるので、話の半分も理解出来なかった。
「次、お前だ、さっさとしろ!」
隊長らしき男の横柄な口の利き方にイラつきつつも、先程の兵士が槍を構えているので、豪は逆らう事も出来ずに鑑定を受けた。
「魔力9、体力14、耐久力12、生命力11、風属性魔法レベル1、馬術レベル2……ぜんぜん駄目だな、ふんっ、次!」
数値やスキルがどうというよりも、隊長らしき男に鼻で笑われた事の方が、豪のプライドを傷付けた。
思わず掴み掛かろうとした豪の鼻先に、槍の穂先が突きつけられる。
「何度も同じ事を言わせるなよ」
その後、クラスメイト達が高い数値や有用なスキル持ちだと鑑定されていく中で、豪は鬱屈した思いを強めていった。
豪の不満がほんの少しだけ和らいだのは、兵馬が用途不明のスキルしか持っていないと鑑定された時だった。
ゆるパクというスキルは、希少な強奪系かと思われたが、実際には役立たずで、兵馬はこの場に置き去りにされることになった。
「はっはっはっはっ、流石はヘマだな。ざまぁ……」
兵士に突き飛ばされ、無様に尻餅をつきながらも手を伸ばす、兵馬の必死な表情を見て、豪は腹を抱えて笑い転げた。
豪は兵士達のやり取りを良く聞いておらず、置き去りにされた兵馬は電車で二、三駅分を歩かされる程度だと思い込んでいて、命に関わるような事態だと認識していなかった。
王族と思われる男の空間移動魔法によって、豪達は街の近くの演習場へと瞬間移動した。
そこで待っていた別働隊の兵士によって、魔法の暴発を防ぐための首輪を嵌められた。
「グズグズするな。魔法が暴発すれば、自分だけでなく周囲の者も巻き込むんだぞ!」
命令している兵士は意識などしていなかったのだろうが、周囲の者まで巻き込むの一言は、日本人である豪のクラスメイト達には非常に効果的だった。
豪も首輪を嵌められ、列を作って並ばされていると、田村がブツブツと何事かを呟いているのが耳に入ってきた。
「やばい、やばい、やばい、やばい……」
「おい……おい、田村。やばいって、何がやばいんだ?」
「あっ、益子君、これ絶対にハードモードですよ」
「ハードモード? なんだそれ?」
「異世界召喚には、いくつかパターンがあるんですけど……」
田村が話始めた内容は、やはりオタク知識に基づくもので、豪には胡散臭く感じられたが、途中の一言に背筋が寒くなった。
「奴隷の首輪だと? これは魔法の暴発を防ぐものじゃないのか?」
「たぶん違いますよ。だって、僕らを呼び出した王子は、さっさといなくなっちゃったじゃないですか」
田村の言う通り、王族の男は姿を消していたし、豪達に対する扱いは終始威圧的だ。
「馬鹿、手前なんでもっと早く言わないんだよ!」
「だって……」
豪が田村の襟首を掴んで締め上げると、すぐに兵士が駆け寄ってきた。
「お前ら、何を暴れてる!」
「うるせぇ、手前ら俺達を奴隷にする気だろう。さっさと、この首輪を……」
チリーン……兵士が手にしていたハンドベルを鳴らした途端、豪は体の自由を奪われた。
「黙れ、大人しく列を作って並べ」
兵士に命じられると、豪は自分の意思に反して大人しく列に並んでしまった。
目の前にいる田村の後頭部を思い切り張り倒したくても、身体は言う事を利かない。
「ふふん、大人しく命令に従っていれば、食事ぐらいは食わせてやるから安心しろ」
「あ……ぐぅ……」
ふざけるなと喚き散らしたくても、豪の口から言葉は発せられない。
『笑うな、俺は笑う側の人間だ……俺を笑うな、俺を笑うな、笑うな!』
豪は怒りと絶望の入り混じった視線で、去って行く兵士の背中を睨みつけることしかできなかった。