男の色気
私の様に平々凡々と生きてきた人間には無縁の事だが、
男が惚れる男と言うか、世の中には自分にない魅力を持った男がいる。
それは運動能力だったり、目の輝き、言動と行動力だったりする。
その身のこなしが羨ましくって、真似ようと心掛けたことがある。
しかし所詮はぼんくら、果たせぬ真似ごとになった。
しかし、色気は形式美から生まれると感じた。
立居振舞には、それなりの方式があってバシッとそれが決まればサマになる。
小笠原流礼式とか、古来の礼式もその流れである。
茶席でも取って付けたようなお点前は簡単に露見する。
そもそも不自然だ。
例えば通夜や葬式の席でも、その人間性が現れる。
お焼香の姿だって、すごく様になっている人とふにゃふにゃな人がいる。
切れの良い身のこなしは見ていても清々しい。
要は、その型を自分のものに出来ているか否かだろうか。
私も馬齢とは言え、随分長いこと人間をやってきた。
それなりに培った私なりの形を、オドオドせずに自信を持って表現すべきと思っている。
それは人の前に立った時のトークであったり、人あしらいであったり、
取りも直さず日々の生活そのものに色気を付与することだ。
長い間隠忍自重、ひたすら自分を抑えながら生きてきた。
色気とは無縁な道だったろう。
しかしもうそろそろ、人間性の一部を露出させても良いんじゃなかろうか。
その方が、人間本来の有り方なのかも知れない。
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コメント
同姓にも異性にも色気を与える(魅力)人いますね。
まれですが、異性にモテようと努力してもモテずに嫌がられたりね。
外観じゃなくて内面に惚れられる。
そう生きたいものです。
でも昨日の笹ユリの様に、誰もがよる匂いと美しさは、色気でしょうね。
たまに咲くから派手でもいい。
投稿: ひろ | 2013年6月 7日 (金) 06時17分
迷いながらも自分なりの信念を持って前向きに進む。
所詮凡人が出来ることは、魅力的になろうてんじゃなくって、自分に恥じない足跡を残せるかどうかだな。
それだって中々難しいけど、兎も角真実一路歩み続けましょう。
山草人
投稿: 山草人 | 2013年6月 7日 (金) 10時02分