京都アニメーション放火事件報道への違和感と「聖地巡礼」
社会 文化 アニメアニメファンへの偏見を助長する報道
もう一点、今回の事件で気になったのは、「放火をした男が事前に聖地巡礼をしていた」という報道だ。男が事前に現地の下見をしていたらしい様子が防犯カメラに写っていたと報じる中で、「聖地巡礼」という言葉を使ったものがあった。実際に容疑者が巡礼のつもりでゆかりの場所を巡ったのかは、本人に聞く以外に判断する方法はないが、公表された足取りを見る限り、一般的な作品ファンによる聖地巡礼のコースとはかなり異なっているようだ。確かに数カ所はアニメ聖地とされている場所を訪れてはいるが、「ファンであれば行っておきたい場所」には足を運んでいない。
おそらく、新聞の限られた紙面の中で、言葉を短縮したい記者が「アニメの舞台を巡った」を「聖地巡礼」と書きたかったのだろう。だが、単にアニメに出てくる場所を通ったことを「聖地巡礼」と呼ぶのは、大きな勘違いを招く可能性が高い。「聖地」という比喩表現からも分かる通り、アニメの舞台となった場所は、ファンにとって大切な場所なのである。例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』の聖地の一つは駅前の自転車置き場である。駅の自転車置き場は日本ではとてもありふれたもので、普段からその場所を使っている人にとっては日常風景であり、ことさら気に留めるものではない。だが、作品が好きで大切に思っている人間にとっては、その場所は「遠くからでも訪れたい聖地」となるのである。アニメ制作会社を放火しようとする人間がアニメの舞台を訪れたことを「聖地巡礼」と表現するのは、ナンセンスだろう。
この「聖地巡礼」報道にも関わるが、「犯人が熱狂的なアニメファンであった」という言説がまことしやかに語られた。これは、1989年の連続幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎勤についての報道と同様の大きな風評被害をもたらす可能性がある。すなわち、アニメファンは犯罪者予備軍というような偏見である。日本のアニメファンは長らくこの偏見と闘ってきた。
凶悪な事件が起こった際、その容疑者の自宅に家宅捜索が入り、その結果押収されたものの中に、アニメ、ゲーム、マンガ、ホラー映画のDVDなどが含まれていた場合、マスメディアはそのことをことさらに報道する。「容疑者の自宅からゲーム機とソフトが見つかった」―それがどうしたというのだろう。考えてみると、実におかしい。なぜ、釣りが趣味だと言わないのか、野球が好きだと言わないのか。今回の「聖地巡礼」報道も、アニメ聖地巡礼をしている人たちは危険なのでは、という偏見を助長するもののように思えた。
人間の「善き部分」を描いた京アニ
近畿大学の京アニ応援イベントに使ったスタッフのTシャツなど。募金した人には東大阪キャンパスの「聖地巡礼マップ」も配布した
2019年8月24、25日に、近畿大学東大阪キャンパスでのオープンキャンパスイベントで、有志の学生たちと共に京アニ支援のための募金イベントを実施した。急きょ開催したこのイベントに、2日間でのべ620人が訪れ、約42万円の募金が集まった。東京都や長崎県など遠方から来訪した人もいた。東大阪キャンパスは『Free!』の「鮫柄学園(さめづかがくえん)」のモデルとなった「聖地」である。募金をした人々は京アニへの感謝の気持ちを熱心にメッセージカードに書き込んでいた。中には、感極まって涙する人や、「京都アニメーション第1スタジオにはつらすぎて行くことができなかったが、このゆかりの地で募金ができて良かった」と感謝してくれる人もいた。
京都アニメーションの作品は多様で、作風を一言で述べるのは難しい。ただ、私は人間を丁寧に描き、その「善き部分」にフォーカスしてきた点は、どの作品にも共通しているのではないかと考えている。この事件は本当にやるせない。しかし、作品で多くの人々を励ましてきた京アニに、ファンが「今度は自分が恩返しをするんだ」と動き出しているのは、人間の「善き部分」の表れであり、救いであると思う。
(2019年9月 記/本文中写真提供=岡本 健)
バナー写真:「世界コスプレサミット2019」の会場に設けられた京都アニメーション追悼のメッセージボード=2019年8月4日、名古屋市東区(時事)