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奴隷堕ちした追放令嬢のお仕事 作者:長月 おと

本編

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42 想い

 セシルとフィルを見送ったエリィたちも、ラグドール王国王太子より通達があり登城することとなった。魔法通信によりエリィがユースリア王国で行方が捜索されていたエリアル・アレンスだと伝わり、直ちに王宮で保護することとなったのだ。



 エリィは騎士団の馬車ではなく、セドリック個人の馬車に同席した。セドリックにエスコートされ、戸惑いながら彼の隣に座る。騎士団の馬車に前後を挟まれた形で、すぐに馬車は王城を目指し森へと発車した。


 ブルーノが馭者を務めているため、馬車の中はエリィとセドリックとシンディの馴染みの三人だけ。しかし誰も発言せず、馬車の揺れる音だけがする。

 数分後、静寂を破ったのはセドリックだった。



「エリアル嬢って呼んだ方が良いのかな?」

「あ、いえ…………そうですね」



 いつも愛称でもある『エリィ』と呼ばれていたため、『エリアル嬢』という響きが他人行儀で寂しく感じてしまう。それがエリィの表情にはしっかり現れ、視線を下げてしまった。



「そんな寂しそうな顔をされると困るな」

「申し訳ありません。なんだかご主じ、セドリック様が遠くなってしまったようで…………だから、やっぱりエリィのままで呼んでくださると嬉しいです」

「もう、君は可愛すぎる」

「か、可愛い…………って」



 何度か言われてきた言葉も、恋を自覚してから聞くと酷く甘く聞こえてしまう。エリィは前のように聞き流すことができず、セドリックを見上げたまま動けなくなってしまった。



「だからそういう所だよ。まいったな」



 セドリックは口許を手で覆いながら、視線を逸らした。よく見れば彼の頬はほんのり赤くなり、エリィを直視できないほど照れていることが分かる。そんな新しい一面を見れたことが嬉しくて、エリィはときめいて仕方ない。同時に胸がきゅっと掴まれたように痛む。


 きっとラグドールに滞在理由のないエリィは、数日もしないうちにユースリア王国に戻されると予感していた。こんな事件が起きたあとだ。交易や同盟の話が無くなり、またラグドールが交渉の扉を閉める可能性だってある。それはセドリックとの別れを意味していた。



――――まだ何も告げていないのに。ごめんなさいも、ありがとうも、この気持ちも



 セドリックの事を思うだけで胸が締め付けられる。今も隣にいるだけで鼓動は速まり、愛しさを感じてしまう。完全に恋に飲まれている自覚はあっても、止められない。このまま何も伝えずに帰ることなど考えられなかった。


 姿勢を正し、セドリックに向き直る。



「セドリック様、正体を隠していたことを謝罪いたします。申し訳ありませんでした」

「罪人だと知られれば行き場がなくなると考えたのだろう?でも謝ることはないよ。当たり前の感情だ。冤罪なのに追放されて…………過酷な環境に捨てられて、本当に頑張ったね」

「――――っ、はい」



 信用を裏切ったと怒られる覚悟をしていたが、セドリックはむしろエリィの冤罪の証言を信じて労る。本当に辛かったのだ。セシルの呪いのせいで鮮明に思い出したため、より言葉が染みて鼻の奥がツンとしてしまう。



「セドリック様に買われて私は本当に幸運でした。楽園だと思ったのは本当です。故郷でもアビスでもそう思えたことはありませんでした。セドリック様が優しかったから…………私はとても幸せでした。本当にありがとうございました」

「エリィ」



 初めて会ったときから、彼は優しかった。汚れた手を引き、冷たいオークション会場から温かい屋敷へと招いてくれた。甘い言葉をさらりと使い、勝手に触れてくる。エリィをからかうのが好きで戸惑うことも多かったけれど、お陰で『奴隷』という境遇を嘆く暇はなかった。奴隷という立場に誇りすら持つようにもなった。



「私はセドリック様の奴隷で良かったです。仕事は楽しかったですし、初めて無邪気に話せる相手もできました。奴隷も悪くないなと思っていたけれど…………先日、どうしても諦められない気持ちを知ってしまいました」



 恋を知ってからは、奴隷の立場が辛かった。



「一人で諦めようとしたけれど難しくて、セドリック様に八つ当たりもしてしまいました。なんで私は奴隷なんだろうと境遇を嘆きもしました。このままでは迷惑をかけてしまう…………そう思って勝手にお別れの準備もしました」

「そんな…………」



 セドリックの顔色は赤から一転、色を失う。



――――裏切られた気分になるわよね。私がセドリック様に恩を返さず、出ていこうとしたんだもの



 エリアルに戻っても状況はさほど変わらない。セドリックに何かできるわけでもなく、このままでは故郷に戻されるのを待つだけ。エリィは厳しすぎる現実に弱気になりそうになるが、拳を作り気持ちを奮い立たせる。



『大切だよ。何よりも、誰よりも。だから簡単に手離すわけにはいかないんだ』


『君が本心で帰国を望むなら僕には止める権利も力もない。けれど本心でない場合は全力で引き留めさせてもらう』



 アトリエで言ってくれたセドリックの言葉を思い出す。エリアルだと正体が分かったあとでも、彼は求めてくれた。それは奴隷としてではなく、彼女自身を求めてくれている言葉で――――セドリックの言葉は魔法のように彼女に希望を与える。



 エリィは胸に両手を当て、たっぷりと息を吸い込んだ。



「愛してしまったのです。私は奴隷でありながら、セドリック・カーター様に恋をしてしまいました。許されない想いと分かっていても、止められないほどに愛してしまったのです。我が儘が許されるのなら、次はエリアルとしてあなた様の側にいたいのです」



 一気に言い切り、エリィは肩を上下させる。セドリックは水色の瞳を見開き、何も反応を示してくれない。エリィは返事が怖くて、顔を俯かせた。



「フィル・マレットじゃなくて良いのか?」



 ようやく返ってきた反応は意外な人物の名前だった。呪いで思考が鈍っていたとはいえフィルに抱き締められ、セドリックに見られたことが悔やまれる。



「当たり前です。フィル様は単なる過去の政略結婚の婚約者で、個人的な感情をもうしあげますと、一切未練もありませんし令嬢時代からそんなに好きでもありません。アトリエでのことは不可抗力です。むしろ苦手な男性代表ですわ!」

「あ、はい…………疑って悪かった。そうか、僕の勘違いだったか」



 エリィが胸の前で拳をつくり力説するとセドリックは天を仰ぎ、肩の力を抜いて安堵を示した。



「良かった。あのとき僕は嫉妬で狂うかと思った。フィルに君を奪われるのではないかと、酷く恐れた。だって彼はエリアルが嫉妬で嫌がらせをするほど惚れていた相手だと思っていたから…………」

「セドリック様が嫉妬?」

「するよ。当たり前じゃないか」



 セドリックはエリィとの距離をつめ、手を滑らせ彼女の頬を包み込んだ。恥ずかしさで壁際に下がろうとするが、狭い馬車では意味をなさない。



「エリィは僕の最愛だ。きっかけはオークションで出会ったときで、一目惚れだった。でもどんどん君の魅力に酔って、恋なんてもう飛び越えて、今はもう醜く執着するほどに君を愛している。エリィでもエリアル・アレンスでもかまわない。僕こそもう諦められない。死んでも手離すものか」



 セドリックの透明感のある水色の瞳に囚われ、強烈な告白に脳が甘く痺れる。こうやって彼に頬を包み込まれ支えられていなければ、気を失っていそうだ。



――――嬉しい。想いが通じ合うってこんなにも幸せなのね。どうしましょう…………何か御返事しなければならないのに、言葉が浮かばないわ



 エリィはラピスラズリの瞳を潤ませ、今にも溶けてしまいそうな表情を浮かべた。

 逆にセドリックは苦しげに眉を寄せた。



「セドリック様?」

「ねぇ、僕はこれから君を手に入れるために国の交渉の場につかなければならないだろう。協力してくれる?」

「勿論です。私にできることなら何だってしますわ」

「良かった。エリィにしか出来ないことなんだ。やる気をもらうよ」



 彼は苦渋の表情から喜色満面へと変えると、エリィに顔を寄せた。



「――――んっ」



 エリィの唇にはセドリックの唇が重ねられる。以前つむじにキスを落とされたときとは違い温もりが伝わってくる。そしてゆっくりと唇と彼の手が離れていった。



「本当はもっとしたいけど、同席者がいるからここまでだね」



 ニッコリと微笑むセドリックに言われ、すっかり忘れていた一人を思い出す。向かいの席を見れば、シンディが無表情のまま顔を赤らめ小窓の外を見ていた。

 つまり甘い時間の一部始終を見られていたわけで――――エリィは穴に隠れたくなった。



「ひ、人前でキ、キスは恥ずかしすぎます」

「あまりにも可愛い顔していたから甘えたくなったんだ。許して?お陰で頑張れるよ」

「そういう言い方ずるいです」



 惚れた弱みなのか、セドリックには勝てそうにはない。顔を逸らし、怒るふりをするしかできないことがまた悔しい。



「ふっ、ほら機嫌直して欲しいな」



 手にひんやりと冷たい物が握らされた。それはアトリエで落とした蝶の髪留めだった。壊れている様子もなく、ブルートパーズの蝶は綺麗に羽を広げている。



「ありがとうございます。アトリエから出てくるとき見つからなくて…………良かった」



 エリィは安堵し、宝物を胸の前で握りしめた。

 王城につけば、セドリックとは簡単に会えなくなる。彼の分身のような髪留めが手元にあるだけで、側にいるって思えてくる。そう思えどセドリックと会えなくなるのは寂しくないはずはなく…………



「私も甘えさせてください」

「うん、喜んで」



 エリィはセドリックの肩に頭を預ける。幸福感を感じながら、王城までの道のりはずっと寄り添った。


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