41 邂逅と嵐(2)
感情を消し去ったような表情のセドリックがアトリエに入ってくる。コツ、コツと静かに靴音を鳴らしながら、ただならぬ雰囲気で近づいてくる。
――――そうだったわ。私はまだ彼に謝罪も告白も伝えていなかった。なぜ忘れていたの?
エリィの知るいつもの優しいセドリックではない。しかし約1週間ぶりに見た彼の姿に胸の内に隠していた熱が蘇る。彼が一歩踏み出し、近づくたびに熱さが増していく。
「エリィはエリアル・アレンスで間違いないんだね?」
「ご主人様…………私は」
「エリアル、後ろにいるんだ」
エリィの言葉を遮るようにフィルはエリィを背に隠し、セドリックと対峙する。
「セドリック殿…………あなたの言うとおり、彼女はユースリア王国が探していたエリアル・アレンスだったのだ。還して欲しい!」
「そう言われてもね、僕にも意地があるんだ。フィル・マレット君、冷静になって今すぐエリィを僕に引き渡してもらえないか。返すかどうかは話し合いをしてからだ。個人の問題ではない」
「なぜすぐに解放するとは言わない。それまでエリアルを奴隷のままにしておくと言うのか!セドリック・カーター」
セドリックとフィルは睨みあい、火花を散らす。そこへセシルの可憐な声が割り込み、彼女は恐れずセドリックに駆け寄った。
「セドリック様!私からもお願いしますわ。エリアル様をフィル様に返して差し上げて。もうたくさんの苦労をしてきたんですもの、国に帰って休むのが一番だと思うんですの。エリアル様のこと大切じゃないのですか?モデルのこと自慢していたではありませんか」
「大切だよ。何よりも、誰よりも。だから簡単に手離すわけにはいかないんだ。セシル嬢は引っ込んでいてくれ」
「なっ!セドリック様がそんな酷い人だとは思わなかったわ」
「どうとでも言えば良い。ずっと煩くて目障りだったんだ。いい加減黙っていてくれないかな?」
セドリックは目線も合わせずセシルを突き放した。セシルは絶句し気迫に押されたように、よろめきながらセドリックとフィルの間から外れる。
遮るものが減り、エリィはセドリックと目線が交わった。一際強く心臓が脈を打ち、胸に溜まっていた熱が全身に巡る。
「エリィ」
「ご、ご主人様はセシル様にそんな事をいってよろしいのですか?」
セドリックの言い方は好きな人にとる態度ではない。疑問に思い聞けば、彼は一蹴した。
「何も問題はないよ。それより今はエリィの事だ。君が本心で帰国を望むなら僕には止める権利も力もない。けれど本心でない場合は全力で引き留めさせてもらう」
「私の本心………」
「そうだエリィ。その前に奴隷印を見せてくれないか?」
セドリックは数歩だけ進むが、フィルがすぐに剣に手をかけ牽制し、それを許さない。
「近づくな。奴隷印を改めて見せつけ、自分の所有物だと知らしめるつもりか!よくも残酷なことを」
「やめてっ、フィル様!」
エリィはフィルの腕にしがみつき、制止する。抜剣でなくとも、友好を築いていかなければならない相手国の人間にすべき行動ではない。いつものフィルであれば理解しているはずなのに、あまりにも短絡的だ。
――――おかしいわ。フィル様は頑固だけれど、冷静を失うような人ではないわ。どうしてここまで…………でもこのままでは
フィルは学園時代からユースリア屈指の実力者だった。セドリックが魔法を使えるのは知ってはいるが、魔力を練る時間が必要なため剣に対して間合いが不利なのは明確。エリィは最悪の展開を予想し、背筋が凍った。
セドリックがフィルの行為に対抗せず、冷静な目で見ていることが救いだ。
「今すぐ見せるわ!大丈夫だから、フィル様は剣から手を離して。お願いよ」
「…………くっ」
エリィが必死に長身のフィルを見上げて懇願すれば、彼は悔しげに手を戻した。エリィはすぐさまフィルとセシルに見せたときと同じく袖を捲り上げた。
腕には
「私、呪われている…………っ」
魔法による麻痺など肉体的な影響があれば青、洗脳など精神的な影響は赤へと奴隷印の色は変わる。エリィは以前セドリックが教えてくれたことを思い出し、息を飲んだ。
「エリアル、どういう事だ?」
「呪われたら奴隷印の色がかわる仕組みなの。赤は精神状態が正常でない証よ」
フィルに問われて答えるエリィも赤色を見るのは初めてで戸惑う。しかし先程までの違和感の正体が分かり、納得もした。危なく自分で考える意思を奪われ、フィルとセシルに言われるままの人形になりかけていたことに気付く。自覚すれば今も頭の中には靄がかかっているのが分かった。
――――でも誰が、いつ?
エリィはセシルとフィルに奴隷印を見せたとき、自分では見なかったから分からない。助けを求めるようにセドリックへと目線を上げたとき、鈍く光るものが目に入った。
セシルがナイフを手に、セドリックの背中を見つめていたのだ。
――――まさか!
セシルがナイフを振り上げるのと同時に、エリィは飛び出した。
「ご主人様危ない!」
勢いのままセドリックに抱きつき、横に押し倒す。ナイフはエリィの頭を掠め、ミルクティー色の髪がはらりと舞った。
「エリィ!」
床に倒れ込むが、セドリックに抱き支えられ上半身を起こす。彼の水色の瞳は泣きそうに揺れているが、怪我は無さそうだった。
「ご主人様…………良かったっ」
「なんで飛び込んできた!僕には防御魔法があったのに」
「だって、体が勝手に動いたんですもの。だって大切な人なんですもの…………」
「あぁ、もうっ!許すからそんな顔をしないで」
セドリックは片手で額を押さえ、ため息をついた。そして面倒くさそうにエリィの後ろに視線を移した。
「ようやく化けの皮が剥がれたね。セシル・ダルトン」
一撃目を避け安心し、二撃目を忘れていたエリィは焦って振り向いた。それは杞憂に終わる。
床にはブルーノに押さえつけられ、もがこうとするセシルがいた。だがしっかりと腕を捻り上げられ、無駄な抵抗は明らかだった。
セシルにはいつも纏っていた可憐な雰囲気は微塵もなく、忌々しそうにセドリックを見上げている。
「この視察交流も罠だったのね。アンタの優しさに騙されたわ」
「御名答。理解が早くて助かるよ。呪いを込めた複数の香水を使い分け、多くの人を操っていた魔女さん。でもラグドールはユースリアのようにはいかなかったようだね」
「――――何よ。最初からお見通しってわけ。面白くない…………嫌ね」
「そんなことはない。証拠集めには苦労したさ」
セドリックが微笑めば セシルは舌打ちをし、力を抜き抵抗をやめた。
「セドリック殿、俺もやられていたようです。忠告を忘れ、冷静さを欠いていました」
「どんまいフィル君。しばらく思考が鈍くなるけど、もう大丈夫そうだね」
「はい。ご迷惑をお掛けしました」
床に座ったままのセドリックにフィルが膝をついて謝罪する。二人は今回の件について知っている様子で、分からないのはエリィだけだ。まだ混乱が収まらない。
「ご主人様、本当に呪いはセシル様が?でも彼女はラグドールの者ではないから魔法は使えないはずです」
「
「それがセシル様であり、媒体に香水が使われていたと」
「うん。少し運が良くなる程度の影響なら見ぬふりをして放置するんだけど、強すぎる呪いは危険だ。魔法が悪用され、恐怖の対象にはなってはいけない。だから力の強い魔女は国で監視する決まりで、今回はユースリア王国と取引をしていたんだ。さて、もう来てしまったか。詳しくはあとでだね」
セドリックが「掃除大変だなぁ」と苦笑しながらアトリエの扉の方を見る。多くの足音が聞こえ、ラグドールの騎士たちが土足で入ってきた。
騎士たちはセシルの姿を認めるとロープで縛り、首には魔力封印の石のついたチョーカーを手際よく着けていった。セシルは両脇を騎士に掴まれた状態で、あっというまに連行されていく。
セドリックは正気を取り戻したフィルや騎士団の隊長と話をしており、エリィはシンディに支えられながら慌ただしいアトリエを眺めるだけだ。
フィルはユースリア王国からの監視者として、セシルの護送馬車に乗ることとなり、皆より先にアトリエを出ていく。その時彼はエリィを名残惜しそうに見つめたが、声をかけることなく現場をあとにした。