40 邂逅と嵐(1)
その日はセドリック達は王宮でお茶会に参加しているはずだった。もちろんそれはセシルも同じ。三階は立ち入り禁止になっていることもあり、セシルがいることは想定外のことだ。
エリィは動揺のあまり、すぐに動くことができなかった。
「エリアル様ぁ!会いたかったわ!」
先に動き出したのはセシルだった。まるで旧友の久々の再会を喜ぶかのように、両手を広げて駆け寄ってきた。ふわりと甘い香りが広がり、ハッと我にかえる。
「こ、来ないで!」
「そんな…………ようやく見つけたのに。酷いわ」
エリィが拒絶を示すとセシル抱き付く直前で動きを止めて、すぐに悲しげな表情へと変化させた。他人から見れば、まるでエリィが悪者のように見えるだろう。
そこへもう一人、招かざる客人がアトリエに入ってくる。
「セシル!ここは立ち入り禁止とセドリック殿が言っていたではないか。早く下に戻ら、ない…………と………」
エリィとフィルの視線はしっかりと交わった。
「――――フィル様」
「エリアル…………なのか?」
今更否定することもできず、エリィは渋々頷くするとフィルの顔は驚愕から、泣いてしまいような表情へと変わった。
「エリアル――――っ、良かった!」
「だから、来ないで!」
フィルも駆け寄ろうとするがセシルと同じく拒絶すれば、顔を歪ませて踏みとどまった。エリィは自分のあまりの不運に頭が冷えてくる。
――――苦虫を噛みたいのはこっちの方だわ!何で二人とも感動の再会を演出しようとするのよ。私は会いたくもないのに
二人の口から「エリィが罪人エリアル・アレンスである」とセドリックに知らされれば、告白計画を実行する前に捨てられてしまう。自分から身を引くというのに、その願いすら壊されそうな状況に笑いそうにさえなった。
「セシル様たちは何故こちらに?フィル様は呼びに来たとして、ここは立入禁止ですよ」
「だってアトリエが近くにあるのに見れないなんて、気になって仕方なくて。セドリック様はまだ王宮だから、今のうち内緒で見ようと思ったの。セドリック様は優しいから、バレてもきっと許してくれるわ」
セシルは反省するようすもなく理由を説明した。相変わらず自由奔放なセシルの行動に頭痛がしそうだ。
「そりより、エリアル様こそ何故ここに?」
「ここで働かせて貰っております」
「ではティターニアのモデルというのはエリアル様だったのね。ここで会えるなんて思わなかったわ。ね?フィル様」
「…………そうだな。本当に会えて…………見つかって良かった」
セシル様は同意を求めるようにはしゃぎ、フィルは安堵したように頷いた。先程から自分と温度差のある二人のやり取りに、エリィは気持ち悪さを感じて仕方ない。自然と一歩下がってしまう。
「追放しておいて今更会えて良かったとは、どういうことですの?」
「実はクリストファー殿下が独断で追放したことを陛下に咎められて再調査することになったのですわ。だから事情聴取のために追放されたエリアル様を連れ戻すことになったのに見つからなくて困っていたの」
「あの断罪が独断ですって?」
第二王子という権力があったとしてもクリストファー王子が単独で貴族を追放する権限はない。だからエリィはてっきり国王に全権を委ねられた上での判断だと思っていた。「嘘でしょう?」とフィルに疑いの眼差しを向けるが、首を横に振られてしまう。
「他の令嬢の聴取で、エリアル様が全て悪いわけではないってことも分かったのよ。それから私とても申し訳なくて…………とても心配していたの!あの時やっぱりクリストファー様に相談せず私さえ我慢していれば、エリアル様が追放されることはなかったのにって。エリアル様は無事なのかって…………罪悪感でいっぱいでっ」
「殿下を止められなかった俺も同罪だ。苛めの被害者であるセシルが病むことはない」
セシルはエリィに対して胸の前で手を組み、大きな瞳に涙を溜めた。そしてフィルは悔しげに奥歯を噛みしめた。
「エリアル様、フィル様を責めないで!アレンス家が捜索願いを撤回しようとした時、フィル様だけは諦めずに継続するべきだと説得したのよ。彼はずっとエリアル様を探していたのよ」
「そうなの…………」
熱弁されてもエリィの心には響かない。どれだけ説明されても話の前提はセシルは被害者、フィルは立場上仕方なく、エリアルは罪人のままだ。何も現実は変わらない。エリィのそっけない返事に納得できないのか、セシルの熱弁は続く。
「本当に今まで大変だったのよ!特にフィル様は責任をとる形でエリアル様の捜索隊の隊長になって、他国を内密に探し回る日々。クリストファー様は基本的に謹慎だし、他の方は一定期間無償奉仕を命ぜられたから頼れる人も少なかったの。本当に頑張っていたのよ」
「俺が自ら名乗り出たから、当たり前のことをしただけだ。偉くもなんともない。エリアルのことを想えばこれくらい…………」
「もうっ、フィル様はいつも真面目過ぎるわ。でもこれでひと安心ですわね。エリアル様はこうやって安全なところで無事に生きていたんですもの。私の心配も杞憂で、損した気分。本当に良かったわ」
セシルは満面の笑顔にパッと変わり、声を弾ませる。だがその言葉と態度がエリィの癇に触った。
「良かったですって?笑わせないでよ!」
「え?」
エリィは声を張り上げ、睨み付けた。あまりの剣幕にセシルは体を強張らせ、怯えるようにフィルの後ろに下がった。フィルはエリィの見たこともない態度に目を見張っている。エリアルは大きな声を出すことも、感情的になることもなかったのだから。
「ねぇ…………私も大変だったのよ?寒空の下、毛布も屋根もないところで寝たことはある?雨水を啜ったことは?白湯のようなスープの配給に並んでも貰えず、雑草で飢えをしのいだこともあったわね。道端にわざと捨てられたパンを拾って嘲笑われたこともあるし、髪を売って男性のように短くしたこともあるのよ…………これが良かったって言えるの!?」
「私…………そんなこと知らなくて」
「知ろうとしていないだけでしょう?追放ということはそういうことなのよ!貴族の尊厳と心を折って、殺すことなのよ。私が生き残れたのは偶然でしかないの」
セシルは言葉を失い両手で口を押さえ、後退る。エリィは更に見せつけるように袖を肩まで捲り上げ、腕に刻まれたラグドールの印章をさらけ出した。
「一年半前までは伯爵令嬢だったのに、今や平民ですらないのよ」
「まさか…………奴隷印だと言うのか?」
初めて見たのだろう。フィルはエリィの腕を掴み、奴隷印の親指で擦り真偽を確かめる。消えることなくしっかりと刻印された奴隷印は、洗っても落ちることはない。偽物でないとわかると、手を震わせ絶句した。
「ラグドールでは合法よ。オークションで売られているところを現在のご主人様であるセドリック様に買って頂いたの。優しい彼でなかったら私は人ではいられなかったでしょうね」
「…………エリアル」
本当にこれに関しては幸運だった。そういう意味でエリィは微笑んだのだが弱々しく、フィルには自嘲にしか見えない笑みだ。
「私は何もしていないのよ。直接嫌がらせをしたことも、誰かに指示したこともないのに、なんでここまで堕ちなければならなかったのかしら」
「そんな――――では何故あの時言わなかったんだ。そうしたら俺がエリアルを」
「それこそ今更ですわ。あの時申し開きの機会なんて与えることなく、拘束し、引きずっていったではありませんか。あの場で抵抗して無実を叫んだところで誰が信じましょうか…………誰が味方になってくれたでしょうか…………私が言えば本当にクリストファー殿下より私を選んでくれたの!?いいえ!王家への忠誠心の強いあなたは選ばないわ。それは婚約者だった私が一番知っているわ!」
堰を切ったように、エリィの圧し殺してきた本音が止まらない。打ち明けるつもりもなかった気持ちまで言葉として溢れ、思い出したくもない光景まで頭のなかで甦る。エリィは心を守るように、自分自身を抱き締めた。
「エリアル…………すまない。それ以外に今は言葉が浮かばない」
眉間にシワを寄せ、唇を噛み後悔するフィルの姿はエリィも見るのは初めてだ。いつだって彼はエリアルの前では自信に満ちており、弱みを見せることは無かった。
「フィル様もそんな顔ができたのね。知らなかったわ」
「当たり前だ。エリアルの前では強い男でいたかったから」
「そんなに家格の違いを見せつけたかったのですか?そうですよね、マレット家は資産家でアレンス家は没落寸前。同じ伯爵家と思われては――――」
「違う!俺はエリアルを愛していたんだ。頼りにされる男でいたかったんだ」
エリィは信じられず、ふるふると首を横にしながら「嘘よ」と呟く。
「そうか、伝わっていなかったか。やはり俺は間違えてばかりだ…………以前セシルにも言われたよ。俺の態度は愛する人にむける態度ではないと。本当にすまない。でも信じてくれ」
「本当に私を愛していたというの?」
「俺にはエリアルだけだ。昔も今も」
フィルのエメラルドグリーンの瞳は揺れ、拒絶を恐れていた。あの傲慢だった男がエリィに縋っている。すべてをさらけ出したような態度からは、彼が嘘をついているようには全く見えない。エリィはフィルの衝撃の告白に足元が揺らいだ。崩れそうな体は、フィルによって支えられる。
「一緒にユースリアに帰ろう。俺にやり直しのチャンスをくれないか。次こそエリアルを守らせてくれ。エリアルのためなら何だってする。頼む」
「フィル…………様」
「フィル様、エリアル様、私もお二人に協力するわ。整合性を合わせることで無実を証明して、堂々と帰りましょう。ご家族の皆様も心配しているわ。私たちを信じて…………ね?」
「セシル様…………」
先程まで怯えていたセシルがエリィの涙で濡れた頬にハンカチを当てる。セシルと同じふわりとした甘い香りが怒りを鎮めていく。
――――そうよね、追放が取り消されているのなら帰らなきゃ。二人の言うとおりにするべきなのよね?改心して私を愛してくれるフィル様が側にいれば…………味方してくれるセシル様がいれば大丈夫なのよね?
返事をしなければいけないと思っているのに、素直に頷けない。
「私は…………」
大切なことを忘れている気がしているのに、頭が考えることから逃げようとしている。二人の言葉に頼ろうと心が傾いていく。
「エリアル」
「ぁ…………」
なかなか頷けないエリィをフィルが抱き寄せた。拒絶できないことをぼんやり不思議に思いながら、フィルの腕の中にエリィは収まる。
「頷いてくれ。俺とユースリアに帰ろう。大丈夫だから。必ず守るから。すぐにでもセドリック殿には事情を説明してすぐに奴隷から解放してもらおう」
「セドリック様は優しいから、きっと簡単に許してくれるわ。国の交渉なんて待っていられないでしょ?私たちの帰国の馬車に同席すればいいわ」
「そうですよね。二人のおっしゃる通り私は帰らなければいけないのですよね…………?」
腑に落ちないまま答えたため、疑問を投げ掛けるような形になる。その時、地を這うような低い声が響いた。
「エリアル・アレンス…………簡単に帰しはしない」
エリィが声のした方を向くと、アトリエの入り口には殺気を放つセドリックが立っていた。